財団法人山形県埋蔵文化財センター
亀ヶ崎城跡(かめがさきじょうあと) 第5次

9月第1週
 C区(本丸)の第2面の遺構を確認しました。遺構の少なかった第1面とは一転して、たくさんの遺構が見つかりました。

 E区(二の丸)では第3面に向けて整地層を掘り下げ始めました。たくさんの木製品が出土しています。

 漆器の天目台が出土しました。天目台はお茶の道具で、底が小さく落ち着きの悪い天目茶碗を置くための台です。
南部町の聖寿寺館跡、鎌倉の建長寺などで出土例がありますが、これほど完全な形で出土することは珍しく、非常に貴重な発見です。

 9月10日に現地で調査説明会を開催しました。70名を超える方にご参加いただきました。

 以前出土した木簡です。説明会で内容を発表しました。

   表「なまり玉千」

   裏「天十二 八月二十一日」

 昨年出土した慶長5年の木簡と同じように、鉄砲玉を運んだ荷札木簡です。
「天十二」は一緒に出土した遺物などから。天正12年(1584)と考えられます。天正11年には尾浦城主武藤義氏の家臣だった前森蔵人が、東禅寺筑前を名乗り東禅寺城主となっています。また、天正13年には東禅寺筑前が最上義光と通じて武藤氏と戦を行っています。そのような緊迫した情勢のなかで、鉄砲玉が運び込まれていたことが明らかになりました。

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