財団法人山形県埋蔵文化財センター
大在家(だいざいけ)遺跡 

8月第5週
15区北の上水道施設

 江戸時代後半〜末頃の上水道施設が、現水路に直交して見つかりました。
水道施設は、木製の桶(おけ)と樋(とい)をつなぎ、当時の水路から水を引いています。
県内では、水道施設はあまり発見されておらず、当時の水道施設を知る上で貴重な資料となります。

水道施設の桶(おけ)

 桶は、矢板を円形に並べ、タガで留めています。直径約1m、深さ約1m以上を測り、底板はありません。
 写真奥には、当時の水路から水を取り込むため、斜め上に延びる樋があります。

水道施設の樋(とい)

 樋は、長さ2m前後の丸太を使い、互いに組み合わせながら8m以上みつかりました。また、樋は、丸太の上1/3を裁断し、中を方形にくり抜き、水が流れるようにしています。

水道施設の時期と使い方

 写真左の現水路に直交した落ち込みは、江戸時代中頃(元禄年間)の絵図に残る旧水路と考えられます。
 水道施設は、その旧水路が埋まった後、構築され、それより新しい事が分かります。また、写真右側の地層には、黒い炭化層があり、幕末頃の大火の痕跡と考えられます。
 水道施設は、この炭化層より下にあり、それより古い事が分かります。
 水道施設の使われ方では、水路から引いた水を桶にため、上澄みのきれいな水を樋から引き込み、飲み水に使ったと考えられます。

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