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2007年01月31日

百刈田遺跡第4次(1月22日~1月26日)


下層面の完掘状況です。この面からは縄文時代の土器片が出土しました。砂礫層からの出土ということがあり、ほとんどの物が磨り減っていました。


関係者向けに現場説明会を行い、現場の状況をみてもらいました。


木の種類などを調べるために流木のサンプルを採取しました。


1月26日をもって、二ヶ月間に及ぶ発掘調査が終わりました。

2007年01月25日

百刈田遺跡第4次(1月15日~1月19日)


週初めはよく雪が積もります。


上屋に雪が積もったため、雪下ろしをしてもらいました。自分達では危険なため、業者の方にお願いしました。一日がかりの作業でした。


下層面の作業風景です。流木が多数ありました。遺物は縄文土器片が出土しています。砂利の中からも土器が出土するため、注意深く調査します。

2007年01月15日

百刈田遺跡第4次(1月9日~1月12日)


今週から調査を再開しました。上層面から20cm掘り下げたところ、遺物が出土しました。   古墳時代の土器と木製品です。


船状の木製品です。完形品ではなく、半分以上が欠けてしまっています。長さは110cmです。


下層面まで重機で掘り下げました。砂利層にあたり、水がどんどん沸いてきます。水をぬくために排水溝を掘っています。

2007年01月05日

百刈田遺跡第4次(12月25日~12月29日)


今週は天候が悪く、寒い日が続きジェットヒーターを用い、調査を行いました。今年は雪がほとんど降らず雪かき等の仕事が無く調査に集中することができました。28日から現場はお正月休みに入り、再開は9日からです。


用途不明の木製品です。流木のそばにありました。詳しいことはセンターに持ち帰り調べていきます。

2006年12月27日

百刈田遺跡第4次(12月18日~12月22日)


月曜日は雪が積もっていました。上屋のおかげですぐに調査に入ることができました。


調査風景です。遺構検出面から1m掘り下げました。


上層面の調査が終了しました。河川跡から奈良時代の壺や古墳時代の土器が出土しました。
今後はトレンチを新たに設置し、下層の様子を調べていきます。

2006年12月21日

百刈田遺跡第4次(12月11日~12月15日)


上屋が完成しました。悪天候でも毎日現場作業を行っていきます。


調査区全体が河川跡であるため、下から水が沸き足場がぬかるみます。雨具を着て作業をしていますが、毎日泥だらけになってしまい大変です。


今週の出土遺物です。土師器の甕です。

2006年12月13日

百刈田遺跡第4次(12月4日~12月8日)


今週は上屋工事のため、現場は休みでした。


調査区全体が覆われるので、雪が降ろうと雨が降ろうと発掘調査を行うことができます。

2006年12月07日

矢馳A遺跡第3次(11月27日~11月30日)


最終になった河川跡を掘り終えたようすです。土師器などの多くの遺物が出土しました。


調査終了時の調査区の全景です。ところどころ、河川跡や基本層序を調べるためのトレンチが見られます。


調査最終日、お世話になったプレハブをきれいにしています。

2006年12月06日

行司免遺跡第3次(11月27日~11月30日)


今年度の調査もこれでおしまいです。残りの遺構を掘りきりました。この炭の集中箇所からは下駄やおびただしい量の土器が出土しました。


調査の最終日は遺跡から出てきた遺物や調査に使った道具をセンターへ搬送しました。これで調査は終了となります。関係者の皆さん、および8ヶ月もの間、発掘に従事した作業員の皆様、本当にありがとうございました。

南田遺跡(11月27日~11月30日)


ラジコンヘリを使用し空撮を行いました。作業員さんもヘリに興味津々の様です。


11月29日をもって南田遺跡の調査は終了となりました。翌日には埋め戻しが始まりました。

百刈田遺跡第4次(11月27日~12月1日)


今週はトレンチを設定し、掘り下げを行いました。


天候が悪いうえ、下から水が沸いてきて作業が大変です。1m掘り下げたところ、遺物が数点出土しました。


奈良時代頃の須恵器の壺です。貯蔵用に用いていたものです。

興屋川原遺跡第3次(11月27日~11月30日)


調査の実質最終日に調査した古墳時代の形の整わない落込みから、土師器片とともに須恵器坏身が出土しました。


調査の最終日、遺構を覆うシートの重しとして使っていた大量の土嚢を破り、土を調査区内に戻しました。この作業で、調査の全日程が終了しました。

2006年11月29日

百刈田遺跡第4次(11月20日~11月24日)


今週から南陽市の百刈田遺跡で調査を開始しました。4次調査にあたる今回は、約700㎡のさくらんぼ畑(手前)が対象となります。


重機で表土を除去した後の面整理作業状況です。昨年までの調査内容から、今回の調査区はほぼ全域が河川跡になると予想されます。


面整理後の調査区全景です。黒い2本の筋が蛇行している様子がわかります。埋没前の最終段階の川幅を示すもので、出土土器から約1,000年前に埋まったと考えられます。

2006年11月28日

行司免遺跡第3次(11月20日~11月24日)


昨年、遺物が大量に出てきた溝跡(SD4)の残りの部分を掘っています。真っ白く見える層は火山灰です。


溝の中から木が重なりあうように出土しました。この中には木製品らしきものもありました。そばには円礫や赤い石(鉄石英)もあります。

興屋川原遺跡第3次(11月20日~11月24日)


今週も雨の中での調査が続きました。E区の柱穴の精査と記録作業の様子です。調査日程も大詰めを迎えています。


井戸になるのではと期待されていた大型土坑ですが、残念ながら井戸にはなりませんでした。

下叶水遺跡(11月20日~11月24日)


横川ダムの見学会に伴い、遺跡の見学を行いました。あいにくの雨で、屋内での遺物の展示となりましたが、約100名の方に来ていただきました。


調査も無事終了し、最後に調査事務所内の器材の撤収・清掃を行ないました。


11月22日(水)をもって、下叶水遺跡の発掘調査の全工程が無事終わりました。ご尽力いただいた作業員さん、関係機関の方々にお礼を申し上げます。 

南田遺跡(11月20日~11月24日)


調査区内の標高を記録しているところです。


断面図を作成している所です。標高を測る作業と併せて今週は各記録作業を行いました。

加藤屋敷遺跡(11月20日~11月24日)


E区の川跡を拡張して掘り下げました。調査が大詰めのため、雨の日でも作業を行いました。


D区とE区の全景写真です。今年度の加藤屋敷遺跡の現地調査は、24日(金)をもって無事終了しました。

矢馳A遺跡第3次(11月20日~11月24日)


11月19日に現地説明会を行いました。お集まりいただいた58名の方々には、矢馳A遺跡の概要と出土遺物の説明の後、現場内を歩いて遺構を見学して頂きました。


C区西側の包含層から、古墳時代の坏などが出土しています。


C区西側の河川跡(SG1048)から出土した、土製の紡錘車です。直径約4cm、高さ約2cmの円錐形です。

2006年11月22日

加藤屋敷遺跡(11月13日~11月17日)


E区の川跡の全景です。だいぶ蛇行しているようで、南西側(写真手前)も掘り下げていくことになりました。


川跡から出土した曲物です。


C区の真ん中付近で土器片の下を掘ったところ、合せ口甕棺が出土しました。

下叶水遺跡(11月13日~11月17日)


SG1の河跡堆積土の除去作業の様子です。遺物の包含層から、土器や石器を主にした遺物が出土しています。


柱が動かないように、川原石でしっかりと根固めした柱穴(SK96)です。石の詰め方などを把握するために、石組みを半分だけ外し、掘り下げていきます。


前の写真の柱穴の断面を確認しました。この柱穴は、拳ほどの大きさの石を上面に敷き詰め、下層に大きな石を詰め込んでいます。

矢馳A遺跡第3次(11月13日~11月17日)


河川跡(SG160)から出土した土師器の小甕です。


同じ河川跡(SG160)から出土した甕です。川の床面近くから、潰れて割れた状態で出土しました。

天王遺跡(11月13日~11月17日)


調査が終わったそばから調査区が埋められていきます。


調査に使った器材を積み込んで調査終了です。


テンノウさまをバックに記念写真です。今までご覧いただきありがとうございました。来年の2次調査をお楽しみに。

行司免遺跡第3次(11月13日~11月17日)


今月は雨の日が多く、晴れ間を縫って調査を行っています。


木材がまとまって出土しました。何らかの遺構である様で、この中には串のようなものも見られます。

興屋川原遺跡第3次(11月13日~11月17日)


大型建物SB1001は掘り方の断ち割りに入りました。9月までの調査結果と同じく、30cm弱の柱痕跡が確認されています。ただし、底面までは浅く、この地が大きく削平されたことが窺えます。


今週は、ほとんどが雨の中での調査となりました。記録作成にはテントが威力を発揮します。風がなければの話ですが・・・

南田遺跡(11月13日~11月17日)


川跡に残していたベルトを外しています。掘り下げて行くと遺物が出土しました。どうやら古墳時代の土師器の様です。


出土した遺物のアップです。土の圧力で潰されている土器がいくつか見られます。

2006年11月14日

中山城跡第2次(11月6日~11月10日)


調査を始めた頃は緑だった山々が、秋の色に変わっています。長かった調査も今週で終了です。ありがとうございました。


今週は現場の引き上げ作業中心です。発掘よりも大変な仕事です・・・。

下叶水遺跡(11月6日~11月10日)


調査区完掘の空中写真
今週は、ヘリコプターを使って上空からの遺跡の写真撮影を行いました。
上空からの写真では、調査区中央を斜めに走る川跡や、その両側に柱穴や土坑などの大小の穴が密集しているのが分かります。
県内では少ない縄文時代後・晩期の集落構成が分かる点で、重要な資料となります。



これは河跡(SG1)付近の集落域を真上から撮影したものです。河跡の右側では硬い礫の地盤にもかかわらず、遺構が多く存在します。一方で左側では河跡から離れていくにつれて、遺構が少なくなっていくことが見受けられます。

興屋川原遺跡第3次(11月6日~11月10日)


柱穴群は全体の掘り下げでアタリの有無を確認後、半截して底面まで下げ、断面図作成の撮影、ポイント測量を経て、完掘作業、平面図作成用の写真撮影と続きます。F区の柱穴は一部を残して完掘作業に入っています。


SB1001の新たに検出した掘り方の精査にはいりました。

行司免遺跡第3次(11月6日~11月10日)


調査区のいちばん西側から溝跡が検出されました。細い溝は南東を向いており、およそ2m間隔で掘られています。


炭が集中している場所から木製品が出てきました。

天王遺跡(11月6日~11月10日)


農道部分の遺構を掘り下げました。


農道部分の遺構が掘り上がりました。地元の方の話では熊野大社のある宮内地区に抜ける昔からの道ということでしたが、古い道の遺構は見つかりませんでした。

上大作裏遺跡(11月6日~11月10日)


調査区東端で拡張した範囲も掘り終えました。現況とは異なる旧来の地形が復元されました


調査が終わりに近づき、これまで使用した機材の片付けや洗浄を行いました。あとは撤収のトラックを待つばかりです。


最終日の朝も濃い霧に覆われました。この時期、米沢盆地では、晴れる日の朝にはよく霧がかかり、時には正午になってようやく晴れる日もあります。

加藤屋敷遺跡(11月6日~11月10日)


先週に引き続き、E区の川跡を掘り下げています。川の幅は4m~7mあります。


川跡からは、完全な形の土師器・須恵器が、さらに数点出土しました。中には、文字の書かれた土器も含まれています。


川跡から出土した、曲物(まげもの)の底の部分と思われる丸い板です。このような木製品もたくさん出土しています。

矢馳A遺跡第3次(11月6日~11月10日)


C区の河川跡SG160を精査しています。


SG160の遺物出土状況です。炭混じりの黒色土層から、坏や甕など、土師器が出土しています。


SG160から出土した高坏と甕です。

南田遺跡(11月6日~11月10日)


雨の日に遺物の洗浄を行いました。遺物を傷つけないよう気を付けて土を落としていきます。綺麗になった遺物を見て作業員さんもとても満足そうでした。


河川跡から遺物が出土し始めました。これからどんな遺物が出土してくるかとても楽しみです。

2006年11月08日

天王遺跡(10月30日~11月2日)


調査区の中を通っていた農道の付け替え工事を行ないました。


これから農道が通っていた部分の調査を行ないます。多くの遺構が見つかりました。

矢馳A遺跡第3次(10月30日~11月2日)


C区の包含層から土師器が多数出土しています。写真は坩の体部です。


C区西端の包含層から、土師器の坏や甕などが完形に近い状態で出土しています。

加藤屋敷遺跡(10月30日~11月2日)


空撮のために、各調査区を丁寧に掃除しました。


11月1日に空撮を行いました。天気にも恵まれました。翌日、A~Cの各調査区の写真を撮影しました。

檜原遺跡第2次(10月30日~11月2日)


調査区全体や遺跡の周辺が分かるように、ラジコンヘリを用いて上空から写真を撮りました。


B区の全景です。B区からは焼土遺構や河川跡・竪穴状遺構・土壙などが検出されました。また、重機が動いている盛土の部分は7月まで調査していたA区です。11月2日(木)をもって半年間にわたる調査が終了しました。

南田遺跡(10月30日~11月2日)


調査区北側の遺構検出を行っています。土が非常に見づらく検出が難しい状態です。調査員、作業員共々全員で面整理をしています。


東西に流れる溝跡が検出されました。排水に使用されたのでしょうか?

中山城跡第2次(10月30日~11月2日)


最後に残った調査区の斉藤家跡の完掘写真です。写真中央が先週お伝えした建物跡のあった場所です。


今週で発掘調査が終了するので、半年間頑張ってくれた作業員さんと一枚撮りました。本当にお疲れ様でした。

上大作裏遺跡(10月30日~11月2日)


調査も終盤を向かえ、土層記録用に残したベルトの除去をし、土器がまとまって出土した区域は再度拡張をおこないました。


拡張した範囲での土器出土状況の一部です。破片が折り重なるように 密集しています。


掘りあげた遺構の形や深さを計測する遺構測量を、外部に委託して実施しました。

行司免遺跡第3次(10月30日~11月2日)


先週もお伝えした炭の集中する箇所を更に深く掘り下げると、おびただしい量の土器や焼けた礫がでてきました。


写真の左側に1箇所、右側に2箇所、炭の集中する範囲が見られます。遺物も大量に出土しています。白いラベルの立っているところが遺物の出た場所です。

興屋川原遺跡第3次(10月30日~11月2日)


2間×6間の大きな建物です。2間×4間のSB1002と軸線を同じくしており、計画的な配置が読み取れます。


この土坑からは平安時代の初め頃の須恵器と礎板が出土しました。

下叶水遺跡(10月30日~11月2日)


河跡(SG1)東側の遺構の完掘作業に入りました。ここは石組みの柱穴や土坑が密集しているので、慎重に作業を進めているところです。


土壌の分析のため土を採取している様子です。土の中に含まれる花粉などを調べます。これらは当時の自然環境などを知る手がかりとなります。


今週の水曜日に基督教独立学園の皆さんが遺跡の見学にみえました。出土した遺物の説明に熱心にメモを取ったり、見聞きした遺構や遺物について質問が飛び交いました。

2006年11月02日

興屋川原遺跡第3次(10月23日~10月27日)


E区で大形の土坑が検出されました。平安時代の土器を含んでいます。井戸になる可能性もあります。


E区拡張部分の表土除去後、ジョレンを使って掘り下げ遺構の検出作業を行いました。この作業と並行し、検出した遺構の分布図を作る作業も行いました。

檜原遺跡第2次(10月23日~10月27日)


25日(水)に調査説明会を行いました。天候が危ぶまれましたが、朝には雨も上がり、約50名の方が参加してくれました。

矢馳A遺跡第3次(10月23日~10月27日)


C区の包含層から、土師器の甕・高坏など多数の土器が出土しています。


C区の包含層から出土した2点の甕です。潰れて割れていますが、ほぼ完全な形に復元できそうです。

天王遺跡(10月23日~10月27日)


空撮準備のため調査区の掃除をしました。雨が降ったりやんだりの中での作業でした。


空撮の日には何とか雨が上がりました。


秋晴れの中、調査説明会を行ないました。25名の方に参加していただきました。

中山城跡第2次(10月23日~10月27日)


斎藤家跡調査区内で建物を組みました。作業員さんが立っている位置が柱があった場所です。


10月27日(金)に発掘調査説明会を行いました。平日にもかかわらず、約80人の方に来ていただきました。ありがとうございました。

南田遺跡(10月23日~10月27日)


溝跡から出土した遺物の取り上げをしている所です。遺物を傷付けないよう慎重に取り上げています。


調査区を拡張しました。どんな遺構や遺物が出てくるのかとても楽しみです。

行司免遺跡第3次(10月23日~10月27日)


先週紹介いたしました、炭の集中していた箇所を掘り下げたところです。中から土器片が出てきました。また炭を洗ったところ、炭化した米粒が出てきました。


10月28日に現地説明会を行いました。この日は天気にも恵まれ多くの方々が見学に来てくださいました。ありがとうございました。

上大作裏遺跡(10月23日~10月27日)


調査区南辺の掘り下げを継続しました。湧水があるので大変ですが、下層からは弥生土器が多く出土します。


上層部の遺物は破片が散在する程度でしたが、下層からは復元可能なものが出土しています。


週末28日の土曜日には、天王遺跡と合同で調査説明会を開催しました。天候にも恵まれ、多くの方が見学に来てくださいました。

下叶水遺跡(10月23日~10月27日)


10月29日(日)に現地説明会を開催しました。地元小国町や県内の方など約85名の参加があり、宮城県や新潟県の研究者も来ました。
今回の調査成果は、県内(東北地方含む)では稀少な集落構成の分かる遺跡が発見された事、多量の遺物内容から新潟県(北陸地方)などとの関わりが分かりそうな事があげられます。


今週は遺構の完掘作業を行いました。川沿いの集落の縁辺には、フラスコ状や袋状を呈した土坑、根固め石を持つ柱穴群がまとまって分布しています。

加藤屋敷遺跡(10月23日~10月27日)


E区の河川跡のトレンチです。以前墨書土器が出土した周囲を少し掘り下げたところ、たくさんの土師器片・須恵器片・木製品などが出土しました。さらに、遺物が増えることを期待しています。


10月27日(金)に調査説明会を行いました。朝方に雨が降り、足元の悪いなかにもかかわらず、参加していただいた皆様ありがとうございました。


説明会で展示した遺物の一部です。

2006年10月25日

天王遺跡(10月16日~10月20日)


太陽がだいぶ低くなってきました。遺構の掘り下げはほぼ終了し、来週の空撮と説明会に向けて調査区の清掃をしました。

南田遺跡(10月16日~10月20日)


調査区中央にある河川跡の掘り下げを始めました。奈良時代の物と考えられる遺物が多く出土しています。


河川跡から出土した土器です。この他に台の付いた須恵器の坏も出土しています。

行司免遺跡第3次(10月16日~10月20日)


旧河川に注ぐ溝跡(SD5)を掘っているところです。東西に走っており、調査区外にも続いている模様です。


炭が集中している箇所が検出されましたが、真ん中だけは炭が散らばっておらずドーナツのような形になっています。

下叶水遺跡(10月16日~10月20日)


先週に引き続き、遺構の完掘作業と河跡(SG1)の土層観察に残した土の層の掘り下げをおこないました。


河跡(SG1)の土層を掘り下げたところ、扁平な石に文様が施された岩版(がんばん)が出土しました。土偶などと同じくに信仰的な遺物と考えられます。


底径が90cm程のフラスコ状の土坑です。底は平らで、理科の実験で使うフラスコの様に、入口よりも底の方が広くなっています。このような形の土坑は、木の実などの食物を蓄えるのに使った貯蔵穴と考えられています。 

上大作裏遺跡(10月16日~10月20日)


今週後半には上空からの撮影を行いました。パラグライダーによる空撮でしたが、この日は風が穏やかで、飛んでいて気持ちよさそうでした。


調査区上空ほぼ真上からの画像です。写真の上が北方向になります。


南側落ち込みの最下層から、鍬と思われる木製品が出土しました。これまで縄文・弥生・平安時代の土器や石器が見つかっていますが、木製品は初めての出土です。

中山城跡第2次(10月16日~10月20日)


先週お伝えした草刈家の木枠の水路跡から、漆塗りのお椀が出土しました。もろくて取り上げるのが大変です。


その水路跡を掘り終わって草刈家を完掘しました。


大きな石が埋まっていたので、3人がかりで持ち上げました。足元にはまだ何個も残っていて、作業員さんの腰が心配です。

檜原遺跡第2次(10月16日~10月20日)


先週に引き続き河川跡の掘り下げを行いました。断面観察を終え、完掘に向けて掘り進めています。

加藤屋敷遺跡(10月16日~10月20日)


B区の溝跡(SD4)を精査したところ、方形周溝状の遺構であることがわかりました。何のためにつくられたものか、さらに調査を進めていきます。


E区の河川跡にトレンチを設定し、掘り下げ始めました。平安時代のものと思われる須恵器片など、遺物が多く出土しています。


今週は秋晴れに恵まれた日が多かったのですが、朝晩、大分寒くなってきました。周囲の山々も徐々に色づき始めています。

興屋川原遺跡第3次(10月16日~10月20日)


刈り取りの終わった遺跡周辺の水田に、今年も『冬の使者』白鳥がやってきました。
終日、落ち穂を啄んでいました。


F区の遺構検出が終わり、水路を挟んだ西側、E区の遺構検出作業に入りました。平安時代の柱穴と古墳時代の土器を含む
落ち込みが検出されています。

矢馳A遺跡第3次(10月16日~10月20日)


B区ST1171検出状況 B区東端で住居跡を確認できました。石で囲まれたカマドが出土しています。


C区西側の遺構検出状況です。(北西から)

2006年10月17日

檜原遺跡第2次(10月10日~10月13日)


調査も終盤を迎えました。来週25日(水)には調査説明会を行います。現在は、河川跡の掘り下げ作業などを行っています。箸のたっているところから土師器や須恵器が出土しています。


赤く焼けた遺構の断ち割り作業の様子です。焼けたところがどこまで広がっているかを調べています。

天王遺跡(10月10日~10月13日)


この季節、置賜地方は霧に包まれる朝が増えてきます。10時過ぎまで霧が晴れないこともあります。


以前見つかっていた溝の続きが拡張部分でも見つかりました。中世前期の遺物が出土します。


溝が掘りあがりました。何度も流れを変えていたようです。

中山城跡第2次(10月10日~10月13日)


斎藤家調査の様子です。柱の跡などを掘っています。


斎藤家調査区内の柱の跡です。底に石が残っていました。この上に柱を建てたと考えられます。


前々回掲載された草刈家調査区内での木枠の進行状況です。周りを掘り進めると、水路のようになっています。来週は、どのように広がるかを調査していきます。

南田遺跡(10月10日~10月13日)


先週お伝えした河川跡の全景です。断面を見るためのベルトを残し、完掘しました。


分層作業をしているところです。土の堆積状況を見ながら層を分けていきます。

行司免遺跡第3次(10月10日~10月13日)


福栄小学校の子ども達が見学に来ました。現場で発掘を体験してもらいました。


地面の一部分が焼けて真っ赤になっていますが炉やカマドの痕跡はみつかりませんでした。

下叶水遺跡(10月10日~10月13日)


今週から遺構の完掘作業に入りました。遺構断面の記録作業が終わり、半分にした遺構内の埋め土をすべて掘り下げていきます。


完掘した柱穴の状況です。くぼんだ範囲に柱がすえられ、周りを河原石で敷き詰めて、しっかりと固定した様子がわかります。


河跡(SG1)西側の完掘した柱穴群です。前の写真であったように、他にも石組みの柱穴が確認されました。

加藤屋敷遺跡(10月10日~10月13日)


D区の竪穴住居跡(ST20)の検出状況です。南西側(写真右下)で大きな須恵器片が密集して出土しています。隣接して、北東側(写真左上)には土坑と思われる遺構(SK19)もあります。


C区の竪穴住居跡(ST13)カマド付近の写真です。これまで検出した加藤屋敷の住居跡は、土師器片や須恵器片などの出土遺物から、すべて奈良・平安時代のものと考えられます。


katouyasiki_1010_3.jpg.jpg
B区の溝跡(SD2)です。図面や写真等の記録作業が終わったため、残しておいた土(ベルト)を掘り下げていきます。

興屋川原遺跡第3次(10月10日~10月13日)


建物の規模が不明だったSB1001は桁行6間、梁行2間の大きな建物であることが分かりました。


F区の表土除去が終わり遺構検出のための面整理作業を行っています。地山との境界付近で平安時代の土器片が多く出土しました。

上大作裏遺跡(10月10日~10月13日)


拡張した縁辺部の調査と並行して、土層観察のため、これまで半掘りしていた遺構の完掘作業を開始しました。


調査区西側の遺跡範囲では、県教育委員会による試掘調査が行われました。その結果、遺構や遺物の存在が確認された場合は、来年度に発掘調査を実施します。


夕方5時前の西の空です。日没がすっかり早くなり、家路に着くころには日暮れで暗くなり始めます。

矢馳A遺跡第3次(10月10日~10月13日)


A区遺構検出状況 調査区を北側に拡張しました。溝跡や土壙を確認できました。


C区の井戸跡から曲物・土玉・斎串(7点)が出土しました。何らかのまじないや儀式が行われていた可能性があります。

2006年10月11日

矢馳A遺跡第3次(10月2日~10月6日)


C区西端の遺構検出を行っています。


RP62出土状況 C区SG160から高坏の脚部が出土しました。

行司免遺跡第3次(10月2日~10月6日)


調査区の南半分は少し掘り下げただけでも、たくさんの遺物が出土し、炭がまとまった状態で検出されます。箸の立っているところは遺物の出ているところを示しています。黒いまとまりが炭の集中している箇所です。


須恵器の底に墨書がありました。片方は「天」と読むことができそうです。

檜原遺跡第2次(10月2日~10月6日)


柱穴が4本ある竪穴住居跡の完掘状況です。カマドは検出されませんでした。


B区の拡張した部分の遺構検出状況です。床面が赤く焼けた遺構が、写真の左の調査区の続きとしてでてきました。来週から調査を始めていきます。

天王遺跡(10月2日~10月6日)


堀の壁に沿って、円形の痕跡が密集して見つかりました。土留めのための杭の跡でしょうか。


堀と考えられる遺構が掘りあがりました。幅は約8mあります。2列目の人が並んでいる部分は幅が半分ほどに狭まっており、出入り口に当たると考えられます。


写真奥の田んぼが狭くなっている部分が、堀の延長のように見えます。

上大作裏遺跡(10月2日~10月6日)


拡張した範囲を徐々に掘り下げていきました。遺物が多く出土するのは下層部なので、1回に3cmほどの掘り下げを繰り返し行います。


「ホレ、まだ出やたよ。」土器や石器の小さな破片が主ですが、場所によってはカゴがいっぱいになるくらい出土します。


弥生土器(上)や須恵器(右)に混じって、ヤジリや石箆など石器の完形品も見つかりました。

中山城跡第2次(10月2日~10月6日)


今週も雨に苦労させられました。雨が入らないようにテントを張っての作業になりました。


新しい調査区の「斉藤家」で遺構を検出しました。どんなものが出るのか楽しみです。


今週はラジコンヘリで空撮を行いました。これから出動するところです。

加藤屋敷遺跡(10月2日~10月6日)


D区で新たに検出された住居跡です。D区内では3つの住居跡が見つかっています。南側(写真右)と西側(写真下)の方に、柱跡が並んでいます。


C区で検出された住居跡の一部と思われる遺構です。ここでは、須恵器片がまとまって出土しました。遺構の残り部分は、隣にある用水路の下に続いているようです。


現在D区では主に、遺物が含まれている層をどんどん掘り下げています。砂層で水分が多く、作業員さんも大変です。

興屋川原遺跡第3次(10月2日~10月6日)


2期工事区内を対象として調査が再開されました。工事用道路となっていたため、重機を使い、路盤の撤去と表土除去を行っています。秋晴れのもと出羽富士と呼ばれる鳥海山もくっきりと望むことができました。


表土除去の終わったところから、遺構を検出するための面削り作業に入りました。今までのところ、柱穴が数基確認されています。

下叶水遺跡(10月2日~10月6日)


今週から調査区南側の遺構精査に入りました。南側は固い礫の地盤が広がっており、掘り下げ作業も大変です。


南側の精査状況です。礫の地盤に黒い土が帯状に広がっています。ここには最近まで集落があり、住宅の基礎であるコンクリートや近代の陶器などが多く出土します。

南田遺跡(10月2日~10月6日)


川跡と思われる遺構を掘り始めました。土留めと考えられる板塀が検出されています。遺物の年代から近代頃まで機能していたようです。


遺跡全体を走る暗渠を掘り下げています。土管を埋めたものや籾殻を詰めたもの等があります。

2006年10月03日

上大作裏遺跡(9月25日~9月29日)


今週は調査区東側と南側の壁を取り除いて、一部拡張することにしました。


表土はスコップで粗掘りしましたが、これから先は遺物が多く含まれる層なので、移植ベラで少しずつ掘り下げます。


こちらは東壁側の拡張区です。周辺の田んぼはすっかり黄金色になり、今週から一部で稲刈りが始まりました。

天王遺跡(9月25日~9月29日)


川跡を掘り下げたところ、直線的な壁が現れました。自然の川ではないようです。


反対側から見た様子です。溜め池のような施設か、屋敷を区画する堀の可能性があります。

下叶水遺跡(9月25日~9月29日)


北西端の礫の地盤になります。右側に見える黄色のシルト地盤と同じように、柱穴や土坑など遺構の広がりが見えます。


礫の地盤で確認された柱穴群です。遺構の半分だけ掘り下げると、掘り込みの深い柱穴が弧状にまわっており、竪穴住居跡の可能性もあります。


調査区東側では河跡(SG2)の下層から埋設土器が出土しました。河跡下の柱穴や土坑などの遺構を掘り込んでおり、それより新しい時期に埋設土器があったことがわかります。

行司免遺跡第3次(9月25日~9月29日)


炭のまとまりが見つかりました。小さな土器片も数点発見されました。


炭のかたまりをアップで撮りました。白い粉が散らばっています。

南田遺跡(9月25日~9月29日)


排水溝を掘っている時に検出された土器です。どうやら古墳時代の土器の様です。


南田遺跡から見た夕暮れの景色です。日暮れも早くなり一日一日秋が深まって行くのを感じます。

檜原遺跡第2次(9月25日~9月29日)


B区拡張部分の遺構です。床面が真っ赤に焼けています。いまのところ遺物は出土していません。このような遺構がほかにいくつもあります。


河川跡のトレンチ掘りの状況です。トレンチ内からは須恵器や土師器などの遺物が出土しています。

加藤屋敷遺跡(9月25日~9月29日)


D区の住居跡(ST5)のカマドと思われます。土が焼け、赤茶色になっている部分を丁寧に掘っていきます。


調査も後半に入り、遺構精査と図面記録の作業が忙しくなってきました。これは、C区の住居跡(ST13)を掘り下げているところです。


遺構を図面に記録し、特徴を細かく書いていきます。

上野遺跡第2次(9月25日~9月29日)


9月半ばの雨の影響を受けて、予定より3日程遅くなりましたが、上野遺跡第2次調査が終了しました。昨年に引き続いての調査でしたが、遺跡の広がりが確認できたことは、大きな成果でした。


調査区の引渡しに備えて、最後の見回りをしていたところ、風倒木痕と考えられる遺構から、縄文土器片を発見しました。掘り下げてみると、縄文土器の口縁部や底部が、ある程度固まって検出されました。


縄文土器片のアップです。出土遺物が少なかっただけに、上野遺跡(第2次)の性格を探る際に、大きな手がかりとなりそうです。

矢馳A遺跡第3次(9月25日~9月29日)


A区SK1046遺物出土状況 土壙から土師器の甕や坏の破片が多数出土しています。


A区 包含層から須恵器の坏が二点並んで出土しました。手前の土器には、焼成する際に土器同士の溶接を防ぐために藁を敷いたことによってできる火襷痕が残っています。

中山城跡第2次(9月25日~9月29日)


草刈家調査区です。円状の白線の内側を半分づつ掘り、断面に柱の跡が残っているかなど調べます。


草刈家の調査区から、木枠のようなものが出土しました。来週は周りを広げて、詳しく調査していきます。


いつから使用されていたのかは不明ですが、昭和32年頃まで使用されていた階段が検出されました。

2006年09月28日

天王遺跡(9月19日~9月22日)


A区拡張部分の遺構を検出しました。溝や柱穴が見つかりました。


B区の拡張部分です。右下の水溜りからつながる蛇行した川跡と、左側の直線的な溝跡が見つかりました。


川跡の掘り下げを始めました。鎌倉時代頃の陶器や、石臼の破片、平安時代の須恵器などが出土しています。


川跡の最上層から出土した板碑です。2基並んで彫られていたものと考えられます。

檜原遺跡第2次(9月19日~9月22日)


床面が真赤に焼けている遺構を掘りました。この地区からは4ヶ所見つかりました。別の地区からも見つかっています。


秋晴れの日が続きました。絶好の調査日和です。

行司免遺跡第3次(9月19日~9月22日)


調査状況を撮影するために地面をきれいにしています。


白いラベルが集中している箇所が先週紹介した遺物が集中している地点です。

矢馳A遺跡第3次(9月19日~9月22日)


B区 土壙の精査をおこなっています。土師器の破片が出土しています。


C区SG160 河川跡にトレンチを入れて掘り下げます。


C区SG160の包含層からは、土師器の坏・甕の破片などが出土しています。

南田遺跡(9月19日~9月22日)


今週から南田遺跡の調査が開始されました。これは重機を使用して遺構が見える面まで土を取り除く作業です。


面整理を行っています。土の違いをきちんと見分けるために行う作業です。

加藤屋敷遺跡(9月19日~9月22日)


C区のSX16から木簡が出土しました。文字は確認できていませんが、荷札等に用いられたものと考えられます。


以前ご紹介した、D区の東側角の地区を精査したところ、住居跡(ST5)であることがわかりました。床の部分には、粘土が貼ってあるようです。


先ほどの住居跡(ST5)のすぐ隣からも、土器の大きな破片が出土しています。

興屋川原遺跡第3次(9月19日~9月22日)


F区では古墳時代の遺物が出土するところが数カ所見つかっていましたが、最終的には遺構ではないと判断されました。


当初予定した調査の最終日を迎えました。今回の調査で見つかった大きな掘立柱建物跡です。

中山城跡第2次(9月19日~9月22日)


内耳土器という、とても重要な土器を発見して、作業員さんも満面の笑みです。


上大石家から東側を眺めた様子です。山々に囲まれたとてもきれいな景色です。


今週で上大石家の調査を終了しました。来週からはまた新しい調査区を発掘する予定です。

檜原遺跡第1次(9月19日~9月22日)


E区の完掘状況です。細長い調査区で、建物跡と思われる柱跡群と、東西の溝跡を3本検出しました。


D区の全景です。D区から連なる溝跡がL字形に折れ曲がり東に延びています。また、大小のピットや土壙・井戸跡が検出されました。 以上、9月22日で檜原遺跡第1次の発掘調査を終了しました。

上大作裏遺跡(9月19日~9月22日)


調査区の北西端からの全景です。写真奥は建設中の113号バイパスの盛り土です。そこから眺めると・・・


調査区全体を見渡すことができ、絶好の撮影ポイントです。


遺跡は河岸段丘上に立地しており、調査区の端部は元の河道にあたります。底の部分では常時湧水があるため、排水しながらの作業です。

下叶水遺跡(9月19日~9月22日)


河跡(SG2)の下から検出された遺構の精査を行いました。右側の河跡から15m程の範囲に遺構が広がっている様子がわかります。


河跡(SG1)近くの遺構の集中域で遺構を掘り下げてみると、石組みの柱穴や大型の土坑が確認されました。河沿いに当時の集落が広がっていたことがうかがえます。


調査区の東側で、右側の遺構は河跡(SG2)の下層です。河跡(SG1)から遠ざかると遺構が希薄になっていきます。

上野遺跡第2次(9月19日~9月22日)


7a区西部には、縄文時代の風倒木痕があります。その周辺から、縄文土器片が何点か検出されています。


左前方のやや黒ずんだ部分は、縄文時代の風倒木痕と思われます。左後方には、中世の建物址が確認されています。


7a区の東端(現在の住宅地に隣接する部分)は、水気を多く含む砂地の地盤になっています。昨年の一時調査で検出された柱材が、ここでも3点ほど検出されています。


3週間の2期調査も終盤を迎えました。今回の調査は、果樹園地帯を横切る約6m幅の調査区において実施されました。南陽市上野地区の遺跡の広がりが、おおよそつかめてきました。

2006年09月25日

檜原遺跡第1次(9月11日~9月15日)


説明会には、約50名の見学者が訪れました。遺跡の概要 立地と環境、主な遺構、主な遺物について説明し、最後に全体のまとめと質問に答える時間を取りました。晴天に恵まれ絶好の説明会となりました。


今回の調査では、中世から近世の建物跡や土壙・溝跡・井戸跡などが検出されました。そして溝跡からは鎌倉時代とおもわれる甕の一括資料が出土しました。その他、いろいろな陶磁器片が出土しており、これからの研究や分析が期待されます。

上野遺跡第2次(9月11日~9月15日)


雨続きでコンディションが悪いため、ブルーシートを極力かけたまま狭い範囲で精査を行っています。


7c区は、昨年の一次調査における3区に接する地点ですが、昨年の調査時と同様、縄文時代の遺構が点在しています。この柱穴からは、底部壁面から縄文土器片が検出されました。


7a区は、中央の微高地部分に遺構が集中しています。中世の柱穴群に混じって、縄文時代の遺構も散見されます。溝跡または河跡から、縄文土器片が検出されました。

檜原遺跡第2次(9月11日~9月15日)


B区拡張部分の遺構検出作業です。削っている土は、粘土あり、砂ありで変化に富んでいます。


今週は天候が不順で雨の日が続きました。気温も急に下がり、遺構を掘る手が冷たくなってきます。

上大作裏遺跡(9月11日~9月15日)


今週は雨の日が多く、現場での調査ができない日もありました。こんな時、普段は手の回らない事務所周辺の草刈りを行ってすっきりさせました。


雨の影響もあって、日がたつと土の色がくすんでしまうので、再度削り直してから調査にあたります。


調査区からは弥生時代と平安時代の土器が出土していますが、住居跡は見つかっていません。遺構の分布状況などから考えて、写真奥の畑の方が遺跡の中心であったようです。

天王遺跡(9月11日~9月15日)


調査区の南側に新しい工事用道路が完成しました。


今まで工事用道路のあった北側の調査に入ります。テープを張って調査区の範囲を決めました。


雨の続いた一週間でしたが何とか表土除去が終わりました。来週から拡張部分約1,500平方メートルの本格的な調査に入ります。

中山城跡第2次(9月11日~9月15日)


今週は雨の日が多く、テントを張って作業しました。早く安定した天気になって欲しいです。


上大石家から井戸状の遺構が出土しました。直径約1メートルの大きさです。


尻高家の調査を終了しました。写真奥の調査区の端には溝状の遺構があります。道路の下に続いているので、どのように巡るのか確認できませんでした。

加藤屋敷遺跡(9月11日~9月15日)


C区北側で住居跡が確認されました。同じC区内ですが、先週お伝えした住居跡とは、大分離れています。写真中央の黒い長方形の土の部分です。


また、C区では鉄製品も出土しました。今のところ、これ以外に鉄製品は出土していません。何に使われたものか、いつごろのものか興味深いです。


今週は作業中、雨に降られることが多く大変でした。来週は秋晴れを期待したいです。

下叶水遺跡(9月11日~9月15日)


南側の調査状況です。写真の右上に見えるブルーシートで保護しているところは河跡です。調査区北側と同じで、河跡のそばから柱穴や竪穴住居跡と思われる遺構が確認されました。


上の写真の河跡のすぐ西側で見つかった遺構です。大きさは幅2mほどで、小規模な竪穴住居跡の可能性があります。ベルトをかけ、若干掘り下げたところ、川原石が出土しました。


週前半の長雨による遅れを取り戻すべく、少々の雨でも発掘を決行しました。掘る場所以外はビニールシートをかぶせたまま保護して、泥にまみれて作業をしました。作業員さん、ご苦労さまです。

興屋川原遺跡第3次(9月11日~9月15日)


平安時代の調査が終了したE区で古墳時代の遺構の掘り下げを行いました。削平が著しいため竪穴住居跡は見つかりませんでしたが、復元可能な土師器を含む土坑が数基見つかりました。


最後の空撮を行いました。各調査区の平面図用の撮影と、調査区全体の俯瞰撮影を目的としました。

行司免遺跡第3次(9月11日~9月15日)


溝の脇を掘ったところ大量の遺物が出土しました。


地面を掘り下げていくと炭が大量に出てくる箇所に当たりました。写真の中央部に板のようなものがあります。その上に焼けた石のかけらが載っていました。

岩崎遺跡(9月11日~9月15日)


木枠井戸を完掘しました。深さは約1メートル50cmです。下からどんどんと水が湧いてきます。


写真撮影に向けて調査区全体の掃除をしています。最近の雨で調査区内に水溜りが出来たり、泥を被っていたりと掃除も一苦労です。


調査終了後の調査区全景です。もうすっかり秋の風景となり、周りのたんぼでは稲刈りが始まったところもあります。9月15日をもって調査が終了となりました。

矢馳A遺跡第3次(9月11日~9月15日)


12日に県議会の文教公安常任委員会の方々の視察がありました。


D区河川跡からおそらく建物の材に使ったと思われる加工痕のある木材が出土しました。


木材に混じって、土師器の坏が出土しました。

2006年09月14日

行司免遺跡第3次(9月4日~9月8日)


今年取り上げた木棺墓の周りを掘り下げていますが、どこも壊れていない土器が出土しました。


上の写真で紹介した土器をひっくり返したところです。裏面には「穴」「太」と考えられる文字が書かれていました。

檜原遺跡第1次(9月4日~9月8日)


南北に細長いE区の中央部から北側にかけて調査が進みました。突然の降雨で冠水することもありましたが、予定通り作業が進んでいます。


E区の中央部に検出した幅5mほどの溝跡を調べました。深さが1m50cmほどもありました。遺物は陶磁器が数点出土したのみでした。

岩崎遺跡(9月4日~9月8日)


木枠井戸の現在の状況です。木枠がしっかり組まれているのが見て取れます。


柱穴の完掘作業を行っています。700基程あった遺構があっと言う間に掘りあがっていきます。

中山城跡第2次(9月4日~9月8日)


今週から上大石家という新しい調査区の発掘を開始しました。どんなものが出るか楽しみです。


先週お伝えした遺構から伸びている溝を検出しました。どうやら配水用の溝のようです。


われらが頼もしい作業員さんたちです。秋も近づいていますが、まだまだ暑い日が続くので小まめに休憩をしています。

檜原遺跡第2次(9月4日~9月8日)


遺物が土坑から出土したようすです。須恵器の坏や壷、甕、土師器の坏などの種類が見られます。


遺跡の広がりが確認されたことから、B区の拡張がはじまりました。拡張した面積は、約1,000㎡です。

天王遺跡(9月4日~9月8日)


調査の終了した南側に工事用の仮設道路を作っています。


仮設道路の工事の間、遺構の測量を行ないました。


調査区の中央に流れている溝の断面を記録しました。最下層には水が流れていたことを示す砂が堆積していました。上層には砂と泥が交互に堆積しています。

矢馳A遺跡第3次(9月4日~9月8日)


RQ46出土状況 ST981から出土した石製の紡錘車です。


RP47出土状況 ST981から出土した須恵器の底です。裏に刻印があります。


A区ST981遺構精査 この竪穴住居跡は、残念ながら西半が道路の下に埋まっています。今週は、遺物を残しながら床面まで掘り下げました。石製の紡錘車や、須恵器の坏・甕が出土しています。

上野遺跡第2次(9月4日~9月8日)


今回の調査区は、ぶどう園だったところです。ぶどうの収穫を待って、第二期調査の開始です。


約6メートル幅の細長い調査区の表土を重機で除去していきます。


この区画からは、水道管敷設による撹乱が見られる以外、特別な遺構は検出されませんでした。

興屋川原遺跡第3次(9月4日~9月8日)


1001号建物の掘り方を断ち割りました。径30cmほどの柱痕跡(アタリ)が明確に認められました。しかし、確認面からの深さは浅く、この地域が建物のあった時代より数十cmも切り取られ、残念ながら多くの遺構はすでに削り取られたことが明らかとなりました。

下叶水遺跡(9月4日~9月8日)


埋設土器のあった河跡(SG2)の下から柱跡や貯蔵穴と思われる遺構が検出されました。写真右側の黒く広がっている遺構は河岸です。遺構は河跡から15m程の範囲に分布しており、河跡から遠ざかるにつれて遺構が希薄になっていきます。


北西側の調査状況です。写真右側の黒く帯状に伸びる遺構は河跡(SG1)です。西側には、シルト層と砂利の地盤が広がっています。河跡すぐそばの安定したシルトの地盤には、柱穴跡や土坑など遺構が分布しています。


写真は柱穴(SK327)の半截状況です。矢印で示した範囲は柱の跡(アタリ)になります。この柱穴跡は、周りに石を組んで、柱をしっかり固定していたことが窺えます。

加藤屋敷遺跡(9月4日~9月8日)


今週は調査区の真ん中にあたる、C区とD区の遺構を主に掘り下げました。


D区の東側角の地区から、土器の破片がまとまって出土しました。大形の破片も含まれおり、どういう場所だったのか、さらに調査を進めていきます。


C区では竪穴住居跡が確認されました。奈良時代~平安時代のものと考えられます。遺物のほかに、焼けた土の跡も見つかりました。今後が楽しみです。

上大作裏遺跡(9月4日~9月8日)


週の前半は好天に恵まれ、発掘調査も順調に進みました。


木曜日の雷雨により、金曜の朝はご覧のような状況に。排水を終えてて土が乾くまで、この箇所には入れそうもありません。


調査区の地盤は砂地の部分が多いので、水捌けは良好です。後方の低地が乾く間、ほかの遺構を掘り下げていきます。

2006年09月05日

矢馳A遺跡第3次(8月28日~9月1日)


A区南  調査区全体を約5センチ下げ、遺構を再検出し、遺構精査を行っています。


A区南  溝跡と土壙が検出されました。今後、土層断面から、遺構に堆積した土の様子や、遺構同士の切り合いを確認します。

檜原遺跡第1次(8月28日~9月1日)


調査区から県道をはさんで西に地蔵堂と板碑がたっています。加藤和徳氏は『中世奥羽と板碑の世界』(共著)の中で、板碑を紹介しています。これによると板碑の主尊は阿弥陀如来で、正面下に永仁2(1265)年の年紀があるようです。


調査区南側の柱穴の集中域を写したものです。北側に東西に溝が走っており、その遺構より南側に多数の柱穴が存在します。


区画している溝です。断面形がV字になっており、薬研堀のようになっています。幅が1間ほどで、検出面からの深さは1mを超えています。

岩崎遺跡(8月28日~9月1日)


8月27日に現地説明会を行いました。70名以上の方々が見学に来て下さいました。ありがとうございました。


木枠の井戸を掘り始めました。慎重に木枠の部材を外していきます。土が崩れないように気をつけて堀って行きます。

玉作遺跡第2次(8月28日~9月1日)


トレンチ掘作業
8/31をもって調査が終了しました。

行司免遺跡第3次(8月28日~9月1日)


近世まで使われていた溝跡が調査区にはあります。調査の進行に伴い掘り下げていったところ砂が出てきました。もしかすると、この溝の古い流れかもしれません。


1枚目の写真の奥の方を部分的に掘り下げました。すると杭もしくは柱根のようなものが出てきました。


須恵器の坏がほぼ完全な状態で出ました。内側は真っ黒になっています。

下叶水遺跡(8月28日~9月1日)


沢跡(SG1)から出土した遺物の取り上げ作業です。土器がつぶれて破片がまとまった状態なので、周りの土ごと取り上げを行っている状況です。


調査区西側に位置する柱穴・土坑群の半截(はんさい)作業に入りました。


写真は、今まで沢跡から出土した土偶(どぐう)です。土偶とは人の形につくった土の人形で信仰的な遺物ではないかとされるものです。出土した土偶は、目・鼻・口がはっきりと表現されており、なかには女性の特徴を誇張したものもあります。

加藤屋敷遺跡(8月28日~9月1日)


先週お伝えしたA区の井戸跡です。周りに少し石がありますが、素掘りの井戸のようです。


B区の溝跡も先週に引き続き、掘り下げました。深さは、80cmくらいあります。


C区の遺構検出作業の様子です。

中山城跡第2次(8月28日~9月1日)


縄文調査区の東端から出土しました。円状に石が積まれています。詳細は不明ですが、今後の調査で明らかにしていきます。


縄文調査区の東端まで調査を進めました。この地区の調査はあと少しで終了です。

上大作裏遺跡(8月28日~9月1日)


調査区縁の部分は元々の地形が低地であり、耕地整理の際に平坦化されたようです。掘り下げると、土器や石器の小さな破片が数多く出土しました。


土器は今から約2000年前の弥生時代中期のものと、平安時代のものが混在しています。弥生土器は昨年調査した百刈田遺跡のものと似ており、同年代と思われます。


遺跡から南陽市街地方面(東方)を望みました。雨上がりの後で虹がかかり、空気も秋の気配を感じます。

天王遺跡(8月28日~9月1日)


今週はほぼ掘りあがった調査区の空撮を行ないました。撮影前の掃除の様子です。雨が降ったりやんだりの天気の中での作業でした。


ラジコンヘリで撮影しました。


調査区の中央を流れる溝の跡です。溝の底や壁は、水の流れで複雑な形に削られています。

興屋川原遺跡第3次(8月28日~9月1日)


2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。


2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。


来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。

檜原遺跡第2次(8月28日~9月1日)


B区の南側の遺構精査に入りました。ここからは何が見つかるでしょうか。


先週に引き続き、真赤に焼けた床面を持つ遺構その2です。奥のほうに溝状に掘り込まれたところがあります。

2006年09月01日

天王遺跡(8月21日~8月25日)


B区の調査も大詰めです。幅1~2m程の溝を皆で掘り下げました。


幅30センチ程の溝が4~5本並んで見つかりました。このようなまとまりが数ヶ所見つかっています。畑の跡と考えられます。

中山城跡第2次(8月21日~8月25日)


引き続き縄文調査区を掘り進めています。今週から新しい区域を調査します。写真は、遺構を検出したところです。


縄文調査区で検出した細長い遺構を掘っているところですが、あまりの深さで、はいつくばって掘らないと手が届きません。


とても小さなピットから、縄文土器や多くの炭化したクリの種子が出土しました。何に使った穴でしょうか?

興屋川原遺跡第3次(8月21日~8月25日)


F区では南北棟の1001号、1002号から離れた位置に、軸線を同じくする2棟の東西棟の建物が見つかっています。その掘り方を精査している様子です。


1001号の掘り方より少し小さくなりますが、梁行き2間、桁行き4間の掘立柱建物跡です。1001号建物跡の北に隣接する、おそらく同時期の建物と考えられます。


F区で見つかった梁行き2間、桁行き3間以上の大きな掘立柱建物跡です。建物の半分は調査区外となっています。

行司免遺跡第3次(8月21日~8月25日)


性格不明の遺構が検出されました。板材を使用しています。


発掘調査は次の段階に入ろうとしています。今までよりも更に古い時期にさしかかりました。地面を削ったところ大量の遺物が出土しました。箸の立っている箇所が遺物の出た箇所です。

岩崎遺跡(8月21日~8月25日)


木組み井戸を半截しました。一辺が約40センチ程しかない小さな井戸です。深さも30センチ位なのですがきちんと水が湧いてきます。


岩崎遺跡の全景です。夏の日差しも段々弱まり、少しずつですが秋の風景に変わりつつあります。

矢馳A遺跡第3次(8月21日~8月25日)


C区井戸跡調査状況 木枠の内部を掘り下げました。縦型の木枠内に、横木が渡されて固定されていることが分かりました。遺物は土師器の破片数点が出土しています。

檜原遺跡第2次(8月21日~8月25日)


床面が真赤に焼き締まっている遺構です。同じような遺構がもう2箇所で見つかっています。何に使われたのでしょうか。


古い川跡の一部を掘りました。川底から平安時代の土器が見つかりました。

檜原遺跡第1次(8月21日~8月25日)


8月21日いよいよ調査が開始されました。これは鍬入式の模様です。炎天下の中行われました。


調査区は1,275㎡で南北に長く、途中用水路があるため、便宜上北側をD区、南側をE区としています。これは、面整理の模様です。地山は粘土混じりの砂でとてもかたく、作業も大変です。


面整理の後、遺構検出を調査員が行い、その線にそって白線がひかれます。これは、調査区全景を北側から写したものです。区画溝が南北に走っているのがわかります。

加藤屋敷遺跡(8月21日~8月25日)


A区の井戸跡と思われる遺構です。今後、さらに掘り下げていきます。


B区の溝跡と思われる遺構を掘り下げました。水が出てくるため、作業員さんも掘るのが大変だったようです。


B区の溝跡と思われる遺構から、勾玉が出土しました。

玉作遺跡第2次(8月21日~8月25日)


現場も終盤戦に入りました。来週からは測量や写真撮影などの記録を中心とする作業を行います。




上大作裏遺跡(8月21日~8月25日)


遺跡は奈良・平安時代の集落跡で、周辺より一段高い台地上に位置します。現表土からは深いところで約80㎝下まで掘り下げると当時の生活の痕跡が見つかります。


調査区内には、さくらんぼなど切株が残されたままです。重機で抜き取ると、遺構が壊れるので注意深く人力で抜根します。


調査区の東域を見たところです。地面には黒い土が円形や溝状に現れてきます。これらが何かしらの遺構で、これから掘り下げていきます。なお、工事用の盛土の先が「天王遺跡」です。

下叶水遺跡(8月21日~8月25日)


沢跡(SG1)の東側から石棒が出土しました。棒の先をこぶ状にふくらませた部分がよく残っています。


今週の土曜日に、ダム湖となる旧街道を歩く「湖底ウォーク」が催され、約150名の皆さんが遺跡の見学に訪れました。


今週は沢跡(SG1)の右岸に位置する遺構群の半截作業を行ないました。

2006年08月22日

加藤屋敷遺跡(8月14日~8月18日)


お盆明けの最初の作業は、すっかりのびてしまった調査区内の草刈りでした。


蒸し暑い中、A区にもどって遺構の掘り下げ作業を進めました。この日(18日)は、午後になって突然の雷雨に見舞われ大変でした。

檜原遺跡第2次(8月7日~8月11日)


B区北側部分の遺構検出状況です。大きな川跡と焼土がたくさん入った遺構が見つかりました。


B区の遺構精査をはじめました。連日30℃を越える暑さの中での調査に少々バテ気味です。


来週、発掘調査はお盆のため休みになります。あちこちに穴が開いていて危険ですので、中には入らないようお願いいたします。

天王遺跡(8月7日~8月11日)


小さいほうの調査区(B区)の遺構精査に入りました。


最上徳内記念館に博物館実習に来ていた学生さんが発掘調査の実習に来ました。遺構の掘り方や測量、土器の洗浄について勉強していきました。


来週一週間は夏休みです。シートを敷いて遺構を保護します。

加藤屋敷遺跡(8月7日~8月11日)


今週も暑い中での作業が続きました。とくに鋤簾で土を削る作業は、体力が必要です。


E区から検出された、川跡と思われるところに白線を引きました。今後、さらに調査を進めていきます。


D区の掘る範囲を広げたところ、今週も土師器や須恵器の破片が出土しました。

下叶水遺跡(8月7日~8月11日)


火曜日に下叶水小中学校の皆さんが発掘調査の体験学習に来てくれました。とても暑い中でしたが、皆さん一生懸命調査に取り組んでくれました。


埋設土器の取り上げ状況です。作業員さんが上手に掘り上げてくれた土器の表面を保護し、外側を大きく掘り込んで土ごと取り上げます。


沢跡(SG1)の2層目から出土した遺物分布状況の空中撮影です。当日は快晴に恵まれ、ラジコンヘリを用いて沢跡の全景と、低空でグリッドごと撮影する2つの撮影を実施しました。

行司免遺跡第3次(8月7日~8月11日)


今週は好天に恵まれ、調査区全体の空中撮影を行いました。


空中撮影のため調査区をきれいに掃除した様子です。この写真からもわかるとおり行司免遺跡は多くの溝が走っていることがうかがえます。

玉作遺跡第2次(8月7日~8月11日)


面整理作業も順調に進み、現在は攪乱層の掘り下げ作業をおこなっています。攪乱層を掘り下げると重機のキャタピラの跡がでてきました。その土の中から多量の遺物(土師器の高坏や甕、須恵器の坏、中世陶磁器、磁器)が出土しています。来週はお盆休みに入り、調査は8月21日から再開します。



矢馳A遺跡第3次(8月7日~8月11日)


RW40出土状況 A区の河川跡から曲げ物が出土しました。


RP41出土状況 A区河川跡の床面から須恵器の坏が出土しました。


RP43出土状況 A区の河川跡から土師器の坏が出土しました。

興屋川原遺跡第3次(8月7日~8月11日)


炎天下、テントを張って作業をしました。


テントの下は日陰になり、幾分作業がしやすくなりました。

岩崎遺跡(8月7日~8月11日)


今週から木組みの井戸を半截し始めました。これからどんな遺物が出てくるのか楽しみです。


丸太をくり抜いて井戸枠とした井戸が検出されました。大きさはあまり大きくありませんが今でも水が湧いて来ています。

中山城跡第2次(8月7日~8月11日)


今週は猛暑の中での発掘となりました。日陰が全くないので、テントを建てて休憩所を作りました。みなさんすごい汗です。


炉跡の断面を検出している様子です。赤い部分が焼けた土で、境目がはっきり分かります。


炉のすぐ近くから二つ重なった状態で、完形の須恵器が出土しました。炉と何か関係があるのでしょうか?

石畑遺跡(8月7日~8月11日)


調査区南側の遺構です。底面から完形の土器が出土しました。その脇にある石を取り上げたら石皿でした。


調査区南(B区)の全景写真です。調査区の全てを掘りきり、業者による遺構測量を行っています。


調査区から北側を見た時に入道雲が広がってきました。今年も残暑厳しくなりそうです。今週にて発掘調査は終了となります。

2006年08月08日

檜原遺跡第2次(7月31日~8月4日)


B区と呼んでいる調査区です。A区を終了し、いよいよ本格的にB区の調査に入ります。


B区の遺構検出作業です。梅雨も明け、暑さが厳しくなってきました。午前中でも汗びっしょりです。

玉作遺跡第2次(7月31日~8月4日)


今週は梅雨が明け本格的な調査ができました。


岩崎遺跡(7月31日~8月4日)


先週お伝えした古墳時代の遺構から新たに土師器が出土しました。右に見える小さな土師器をRP5、左に見える大きな土師器をRP6としました。


RP5の取り上げを行っています。土器を傷つけないように慎重に周りの土を取っていきます。


取り上げたRP5(右)とRP6(左)です。古墳時代前期の土師器だと考えられます。詳しくはこれから調べていきます。

下叶水遺跡(7月31日~8月4日)


今週は、出土した遺物の記録作業を行ないながら、沢跡の中央域から北西域まで調査範囲を広げて作業を行いました。


SG1(沢跡)中央域の作業状況です。この地点でもつぶれた状態の土器や石器が多く出土します。


SG1(沢跡)南東域では、掌に収まるほど小さい土器が出土しました。一般にミニチュア土器と呼ばれるもので、その小ささから当然、日常使う道具でなく、祭祀の時のお供え用として使われたものと考えられています。

興屋川原遺跡第3次(7月31日~8月4日)


梅雨も明けました。記録作成用の写真撮影では、テントを設営し、照明を当てての作業となりました。


平面の規模はそれ程ではありませんが、柱根の残るものは特に深いようです。

中山城跡第2次(7月31日~8月4日)


今週は完形に近い縄文土器が出土しました。この土器の発掘を担当した作業員さんもうれしそうです。


中山町と寒河江市の小学生40名が、中山城跡にサマースクールの一環で見学に来ました。古代の魅力に触れて、楽しそうに見学しています。

山ノ下遺跡(7月31日~8月4日)


8月2日に山ノ下遺跡と稲荷山館跡合同で現地説明会を行いました。


現地説明会が終了した後に土器の取上げを行いました。大変もろい状態であるため、丁寧に取上げています。

加藤屋敷遺跡(7月31日~8月4日)


E区はすっかり冠水し、連日排水作業をして水が引くのを待っています。


今週は、D区を掘り下げました。須恵器の破片などが出土し、範囲を広げながら掘っています。


梅雨明けし、これからは毎日暑い中での作業が続きます。

稲荷山館跡第2次(7月31日~8月4日)


写真手前の溝を掘り始めました。また先週から引き続き、土塁の盛られた土を取り除いています。


館方向から撮った写真です。柱穴が10基ほど見つかりました。土塁や溝をすべて掘り終わり、8月4日に調査を終了しました。

石畑遺跡(7月31日~8月4日)


現在調査中の南端畝状遺構です。近世以降のものと思われます。


調査区北側の完掘の状況です。地山が砂地なので、雨が降ると遺構上端が崩れてきそうです。今週から地形測量の委託業務が始まります。


調査説明会が8月4日(金)14:00~行われました。60名の参加を得て、会場いっぱいに人があふれました。地元の方々の参加も多く、周囲に支えられ、ここまで調査が進められたことを実感しました。

矢馳A遺跡第3次(7月31日~8月4日)


RP37出土状況 A区の河川跡から須恵器の小壺が出土しました。頸が破損しています。


C区遺構精査  溝跡やピットが集中している場所の遺構精査をしています。


C区溝跡遺物出土状況  土師器の破片が溝跡から集中して出土しました。

天王遺跡(7月31日~8月4日)


雨続きで手がつけられなかった溝の測量を行ないました。残しておいたベルトで土の堆積の様子を記録しました。


測量が終わると、あっという間にベルトがなくなっていきます。


うきたむ風土記の丘考古資料館に博物館実習に来ていた学生さんたちが、発掘の実習に来ました。

行司免遺跡第3次(7月31日~8月4日)


先週に引き続き帯金具が出土しました。鉸具(かこ)という部品でベルトのバックルの部分にあたります。


昨年見つかったSD4と呼んでいる溝の残りの部分を掘り下げたところ火山灰(正面の真っ白い弧状の層)の上から、祭祀に使った木製品やどこも壊れていない須恵器の坏が出てきました。


2枚目の写真のアップです。すぐ脇に祭祀に使われた木製品である斉串がありますが曲がってしまっています。

2006年08月01日

檜原遺跡第2次(7月24日~7月28日)


A区の調査が終了しました。器材を撤収し、B区へと移動します。


B区の調査を本格的に開始しました。遺構検出と同時に調査区内にある果樹の根を除去しています。遺跡をなるべく傷つけないよう細心の注意を払います。


遺跡に珍客。畜産所から脱走した牛が現場へやってきました。この後、飼育員による大捕物がありましたが、幸い無事に済みました。ただ現場には必死な牛くんの深い足跡が残りました。

玉作遺跡第2次(7月24日~7月28日)


晴れ間をみての作業の様子。今週も天候がよくなく、晴れ間をみながら調査をする一週間でした。雨で調査区が水浸しになってしまうため、改めて排水溝を掘るなどの作業ばかりで調査が進展しませんでした。早く梅雨が明けて本格的に調査をしたいです。


天王遺跡(7月24日~7月28日)


以前お伝えしたときには半分だけ見えていた円形の板です。割れた部分は桜の皮でつながれていました。


木が風で倒れたときにできる痕跡が見つかりました。地山の黄色い土の下に黒い土が斜めに入り込んでいるの特徴です。昔から風の強い場所だったことがわかります。

興屋川原遺跡第3次(7月24日~7月28日)


柱を埋めるために掘った穴に埋め戻された土の様子を記録しています。土色計という機械を使って、色を調べ、土質、含有物などを紙とデジタルデータで記録していきます。今週末までに150基ほどの記録が終わりました。


E区東部の柱穴密集地では直径20~25cmの小さな柱穴が200基以上見つかりました。中には柱根が伴うものもあります。今までのところ、掘立柱建物として把握可能なものは見つかっていません。

山ノ下遺跡(7月24日~7月28日)


今週も雨が降ったために、遺構内には水が多く溜まりました。汲んでも汲んでも、土の中から湧き上がってくる状態でした。早く梅雨が明けてほしいです。


今週は調査区内の標高を測ったり、遺構の図面を書いたりという記録作業を中心に行いました。

石畑遺跡(7月24日~7月28日)


A区北側の柱穴群です。いくつか列をなしているものもあり、建物跡の可能性があります。


調査区北側A区の北半分の調査が終了しました。これは完掘した遺構の全景写真です。大小の穴が多数あります。


調査区中央の土坑から発見された縄文土器です。深鉢と思われます。

稲荷山館跡第2次(7月24日~7月28日)


今週から土塁の調査を行いました。斜面での発掘作業は無理な姿勢で行うため、とても大変です。


調査区の全景です。写真の中央部にある盛り上がった部分が土塁になります。土塁を半分だけ掘り、土がどのように盛られたのかを調べます。


ふ化した蝉を見つけました。キラキラと光っていてとてもきれいでした。7月は雨が多いですが、少しずつ夏に近づいているようです。早く梅雨が明けて、晴れた空の下で元気な蝉の鳴き声が聞きたいです。

中山城跡第2次(7月24日~7月28日)


縄文調査区からは、これまでで一番大きな土器が出土しました。取り上げるのが楽しみです。


小中丸家の北側からは階段のような遺構が出てきました。残念ながら入り口付近は最近のコンクリート塀によって壊されていました。

加藤屋敷遺跡(7月24日~7月28日)


C区の遺構状況です。溝状の遺構などが確認されました。


E区から川跡が検出されました。重機で掘り下げたところ、表土の約2m下の深い地点から須恵器が出土しました。


雨が降った日に、これまで出土した土器の一部を洗浄しました。

岩崎遺跡(7月24日~7月28日)


古墳時代の土師器が出土しました。どうやら、この遺構は古墳時代のものの様です。


今週は晴れ間を見ることが出来ました。暑い日だったので休憩はテントで休みました。

下叶水遺跡(7月24日~7月28日)


今週から東西に伸びる沢跡(SG1)の中央域での作業に入りました。どんな遺物が出土するか楽しみです。


沢跡の東域の作業状況です。沢に堆積する土の二層目まで掘り下げをおこなっています。この層からも遺物がたくさん出土しており、注意しながら掘り下げていきます。


この球状の遺物は、土錘(どすい)という漁網のおもりに使われたものです。しばりつけるための溝が十字に入り、真ん中に貫通した孔があります。

矢馳A遺跡第3次(7月24日~7月28日)


井戸跡から曲物が出土しました。細工の様子なども見て取れるものです。


本遺跡としては珍しい波の文様のある須恵器の甕が出土しました。


C区に検出された井戸跡をほぼ完掘しました。並び方に規則性が見られます。

行司免遺跡第3次(7月24日~7月28日)


調査区南端の東側を削っていくと大量の土器片などが出てきました。遺物が出た箇所は記録が終わるまではそのままの高さで残しておくので、あたりは山だらけになります。


1枚目の写真の一部分です。須恵器(写真左)のそばから帯の金具(写真右)が出土しました。帯に付けるものの種類や大きさは位によって定められていました。これにより行司免遺跡のそばには有力者がいたと考えることが出来ます。

2006年07月28日

石畑遺跡調査説明会

石畑遺跡の調査説明会を開催します。
ぜひご参加下さい。

日時 平成18年8月4日 午後2時~

場所 石畑遺跡発掘現場(南陽市金山川西字石畑3519番地ほか) 地図

成果
 縄文時代中期から後期・晩期に関わる土器や石器が各種の遺構から出土しているほか、奈良・平安時代の住居跡の一部を検出しています。

問い合わせ
現場携帯 090-1939-4341
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301

2006年07月25日

檜原遺跡第2次(7月18日~7月21日)


A区の調査も最終段階です。調査区からは数棟の掘立柱建物跡が見つかりました。建物によっては、2~3回建て替えられた痕跡も見られました。


ラジコンヘリコプターによる上空からの遺跡写真撮影です。小雨の中を決行しました。

天王遺跡(7月18日~7月21日)


柱の穴と考えられる小さな遺構の調査に入りました。柱の跡を探すために少しだけ掘り下げます。


黒い部分が柱の跡です。その周りに、柱を据えたときに埋め立てた土が確認できました。


雨が降ると水と一緒に砂がたくさん流れてきます。特製のろ過装置が大活躍です。

中山城跡第2次(7月18日~7月21日)


中山城の南側に位置する帯曲輪を検出しました。急な勾配で、登るだけで大変です。


東北芸術工科大学の宮本長二郎先生と学生さんが来跡して、中山城跡を見学していかれました。


今週も雨の日が多く、発掘作業があまり進みませんでしたが、小中丸家からは火消壺の蓋のような土器が出土しました。

行司免遺跡第3次(7月18日~7月21日)


調査区の北端部の調査状況です。写真の上部に昨年の調査で明らかになっていた溝跡があります。今年度の調査で続きが出ており調査しました。およそ2m間隔で溝が南北に走っています。ただし、写真の左側の溝は、やや向きが異なっており、斜めに走る溝も見られます。


上記の溝の続きを調査しています。1枚目の写真の上部にかかっていたシートは、この写真の上部にあたります。

玉作遺跡第2次(7月18日~7月21日)


今週は水汲み作業と面整理作業の繰り返しでした。早く梅雨があけてほしいものです。

岩崎遺跡(7月18日~7月21日)


先週に引き続き今週も遺構の半截作業や記録作業を行っています。


柱穴を半截し、断面を検出した状態です。この柱穴には柱が残っていました。これから写真や図面をとりその後に完掘していきます。

稲荷山館跡第2次(7月18日~7月21日)


今週から稲荷山館跡発掘調査が始まりました。調査区が低い位置にあるため、水が溜まりやすい場所です。


調査区内の杉の切り株を除去しています。作業員さんが手際よく根を切り落としていくので、あっという間に取り除かれました。


これは中世の土の鍋で、内耳土鍋というものです。米沢では出土する遺跡が多いです。

山ノ下遺跡(7月18日~7月21日)


拡張した部分も完掘がほぼ終わりました。後は記録作業が中心となります。


ラジコンヘリを飛ばし、上空から調査区を撮影するところです。撮影日の木曜日は天候に恵まれ、ホッとしました。


モニターを見ながら、撮影場所を指示します。

矢馳A遺跡第3次(7月18日~7月21日)


A区RP31  須恵器の底裏に文字が刻まれていました。


B区  竪穴住居跡と思われる遺構の出土状況です。


C区縦組み木枠井戸  井戸の出土状況です。くり抜いた木を使っている部分(手前)と、細かい板を組み合わせている部分(奥)で構成されています。細かい板を組み合わせている部分には横木が渡されています。


C区横組み木枠井戸  井戸を約30センチ掘り下げると、中から木組みが検出されました。

石畑遺跡(7月18日~7月21日)


連日の雨で、東側を流れる吉野川の水位も上昇してきました。


調査区北側の土坑の半分を掘ったところです。縄文土器とともに石製品も出土しました。


調査区北側の土坑から縄文時代の注口土器が出土しました。赤く塗られているようです。

加藤屋敷遺跡(7月18日~7月21日)


今週も雨を気にしながらの作業でした。これは、B区の黒い土の部分を掘り下げている様子です。


C区から須恵器の壺が、ほぼ完全な形で出土しました。さらに全体を掘り下げて、調査していきます。

興屋川原遺跡第3次(7月18日~7月21日)


昨年からの継続調査となっていたE区西部の柱根を伴う掘立柱建物2棟(SB350、
351)の完掘状況です。


E区東部で検出した柱穴群の精査に入りました。アタリが明確なものと、柱根を伴うもの
もありますが、掘り方の大きさが径20~25cmの小さなものが多く、組み合わせもわかっ
ていません。この範囲内で100基ほどの柱穴が確認されています。

下叶水遺跡(7月18日~7月21日)


先週に引き続き、沢跡の掘り下げ作業を行いました。今週前半は悪天候の日が続いたため、排水作業をしながら、晴れ間をうかがいつつの作業でした。


埋設土器(EU111)の内側の土を掘り上げた状態です。土器の周りには赤く焼けた土が広がっています。

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現場に集合した途端、激しい雨が降ることも。そんな時は、屋内で遺物の洗浄作業です。溶けてしまいそうな軟らかい土器もあるので、神経を使う作業です。

2006年07月19日

天王遺跡(7月10日~7月14日)


今週は雨のため1日しか作業ができませんでした。来週に期待します。

山ノ下遺跡(7月10日~7月14日)


先週、拡張した範囲より、3つ目の埋設土器が出土しました。土器が大変壊れやすい状態です。慎重に周りの土を取り除いています。


文様は縄文のみで、底部はない状態で埋められています。

行司免遺跡第3次(7月10日~7月14日)


小さな穴の断面です。表面は炭が混じるために黒くなっており、土器が散らばっています。


杭が並んで検出されました。写真、左側は3本、右は1本でています。

玉作遺跡第2次(7月10日~7月14日)


今週も先週に引き続き重機械による表土掘削を行いました。あと少しで終わるのでこれからは人力による調査に入っていきます。


調査区の水没:木曜日の大雨により調査区が水没しました。まだ重機械による表土掘削中だったので助かりました。

岩崎遺跡(7月10日~7月14日)


先週お伝えした様に遺構の半分を掘り下げる作業を始めました。土の色を見ながら慎重に掘り下げていきます。


先週お伝えした井戸跡と思われる遺構を完掘しました。底から水がこんこんと湧いて来ます。この井戸が使われていた当時を偲ばせるような姿です。

檜原遺跡第2次(7月10日~7月14日)


雨の合間をぬっての調査がつづきます。あと少しのところなので梅雨空をうらめしく見上げています。

中山城跡第2次(7月10日~7月14日)


今週は雨にやられた一週間でした。1日の作業の開始は、水汲みと流れた泥の除去からです。


縄文調査区の表土を重機で剥いでいきました。黒いところが、縄文時代の遺物包含層です。

下叶水遺跡(7月10日~7月14日)


先週の沢跡の精査状況です。沢跡の上面に堆積する土層から石器や土器がたくさん出土しました。


今週は二つの沢跡の重なり合いを把握するため、上面の土を外して、面精査を行いました。

木の下館跡第3次(7月10日~7月14日)


炭窯の完掘状況:これにより木の下館跡の調査は終了になります。

石畑遺跡(7月10日~7月14日)


調査区の南端の遺構検出をしました。最近作られた畑の畝が多数あります。ほとんど近年の攪乱のようです。


調査区の北(A区北側)の遺構の状況です。しばらく調査区の南(B区)の作業をしていましたが、ほぼ精査が終わり、検出のみ行っていたA区北側の作業に移っていきます。

加藤屋敷遺跡(7月10日~7月14日)


雨の影響の少ない調査区の作業を進めました。これはA区を掘り下げている作業の様子です。


掘る作業と並行して、遺構を記録する作業も行いました。


A区の遺構の状況です。

矢馳A遺跡第3次(7月10日~7月14日)


RW26出土状況 河川跡SG772の調査区南端から木製の皿が出土しました。


RP25出土状況 河川跡SG772から土師器が出土しました。


B区調査状況 溝跡と河川跡を遺構精査しています。

興屋川原遺跡第3次(7月10日~7月14日)


今週も雨天の日が多く、調査は足踏み状態となっています。図化作業の見通しが立ったこともあり、柱穴群の精査に着手しました。


SB350と名付けられた掘り方の柱根です。柱根は柱穴の一方に偏っていました。この建物では柱根が柱穴の真ん中にあるものと偏っているものが相半ばしています。

2006年07月11日

矢馳A遺跡第3次(7月3日~7月7日)


RW21出土状況  河川跡SG772から木製の皿が出土しました。


B区SD589  中世の区画溝を掘り下げています。


鶺鴒の雛がすくすくと成長しています。

山ノ下遺跡(7月3日~7月7日)


先週まで掘っていた範囲を完掘しました。今週の水曜日からは更に北側へと調査区を拡張します。


今週拡張した調査区には大きな桑の木が二つもありました。作業員さん達が手際よく、あっという間に枝を切り落としました。


新たに北側に拡張した部分です。黒い色をした土の部分が遺構となるところです。

檜原遺跡第2次(7月3日~7月7日)


素掘りの井戸跡です。周りに見える石は柱の土台に据えたものです。柱穴は井戸が埋められた後に掘られていました。


区画する溝の中から見つかった不思議な形です。板塀のような垣が設けられていたかもしれません。

岩崎遺跡(7月3日~7月7日)


6月の4週目にお伝えしました遺構の半分を完掘に向けて掘り始めました。遺物としては木製品や土師器などが出土しています。どうやらこの遺構は井戸跡のようです。


今週から本格的に遺構の掘り下げを始めました。まずは遺構を半分に掘り土の堆積具合を見ていきます。

行司免遺跡第3次(7月3日~7月7日)


7月に入ると途端に雨天が続きました。早く梅雨があけて欲しいものです。


調査区の東側の面整理に入りました。うっすらと周りと違う色をした砂が出てきました。溝が縦横無尽に入っているようです。


曲がる溝跡のようなものが四角い遺構に切られているようです。この他にも曲がる溝のようなものは幾つかあります。

加藤屋敷遺跡(7月3日~7月7日)


今週は3つの土器が完全な形で出土しました。これは、D区から出土したもので、須恵器の壺のフタです。


これもD区から出土した弥生土器の壺です。口の部分が少し欠けていましたが、小型のかわいらしい土器です。


これは、E区から出土した土師器の甕です。古墳時代のものと考えられます。トレンチを50cmほど掘り下げた所から出土しました。

中山城跡第2次(7月3日~7月7日)


帯曲輪の斜面で検出した土坑から、獣骨と副葬品(永楽銭・陶磁器など)が出土しました。丁重に葬られた様子が良くわかります。


小中丸家の遺構を掘ってみると、陶磁器や漆製品などが多数出土しました。


新たに小中丸家という屋敷跡の調査に取り掛かりました。表土を剥いで遺構を検出しています。

木の下館跡第3次(7月3日~7月7日)


土層断面図作成状況   


炭窯調査完了。 最終段階の実測状況です。炭窯の実測が終わると木の下館跡の調査は終わります。

玉作遺跡第2次(7月3日~7月7日)


草刈風景:今週から玉作遺跡の調査が始まりました。まず草刈作業からです。


小トレンチ掘り:重機械導入のための準備です。


重機械の導入:重機械を導入して調査区全体をひろげていきます。

興屋川原遺跡第3次(7月3日~7月7日)


雨天の日が多く、調査区周辺の雑草ものびました。梅雨の合間の晴れ間に調査区内外の除草を行いました。


先週に引き続きE区の溝跡の精査を行いました。陶磁器やガラス瓶も出土しました。ほ場整備の前までに使われていた用排水路のようです。

天王遺跡(7月3日~7月7日)


日曜日の雨で溝にはたっぷり水が溜まっていました。排水にほぼ一日かかりました。


土坑から円形の板が出土しました。土の堆積の様子から、この土坑は一気に埋められたようです。


前にお伝えした大きな板碑と2基並んだ板碑の近くの水路に、板碑が石組みに転用されていました。

中川原C遺跡第4次(7月3日~7月7日)


全ての遺構を掘り終わりました。
最後に全体の写真を撮るために、全員できれいに仕上げをしています。


全景撮影の後、ラジコンヘリを用いて上空からの写真を撮りました。
調査区や遺跡全体の地形・環境も判るように、撮影方向を決めます。


雨模様の中、最後の記録作業と平行して、杭や釘の撤去・深い遺構の
埋め戻しを行っています。
7月7日金曜日をもって、現地調査を終了いたしました。

石畑遺跡(7月3日~7月7日)


調査区の南端まで調査が進んでいます。これは平板にて遺構の配置図を作成しているところです。


調査区南側の基本の土層を観察しているところです。砂利層が所々にみられます。

下叶水遺跡(7月3日~7月7日)


調査区北東部の精査状況です。先週に続き、埋設土器の半截と記録作業を行ないました。


埋設土器の断面図を作成している様子です。土器の埋まり方や土の堆積状況を1/10スケールで記録します。


沢跡から磨製石斧と穴を開けたと思われる石製品(RQ270)が出土しました。

2006年07月06日

天王遺跡(6月26日~6月30日)


2条の溝が交わる部分の断面を観察しました。砂や粘土が複雑に堆積しています。


土坑の底から茶臼が出土しました。茶臼はお茶の葉を挽いて抹茶を作るための石臼です。お茶をたしなむ人が生活していたのでしょうか。

岩崎遺跡(6月26日~6月30日)


今週は岩崎遺跡の全景を撮影しました。写真はその準備としてタワーを建てているところです。


タワーの上から撮影した遺構集中部の写真です。これから本格的に遺構を掘り下げていきます。どんな遺物が出てくるかとても楽しみです。

山ノ下遺跡(6月26日~6月30日)


先週のブログでお伝えした円形の遺構です。残した十字の部分を観察し、土の色や状態を記録し、この遺構の性格を考えていきます。


先週お伝えした埋設土器を半分だけ掘りました。文様は縄文でした。


ひとつの遺構からまとまって出土しました。土器を落とさないように周りの土を残しながら掘り進めました。

檜原遺跡第2次(6月26日~6月30日)


A区で見つかった大きな溝です。遺跡を囲むように曲がっています。


A区の拡張した部分の遺構です。区画する溝がつながりました。

興屋川原遺跡第3次(6月26日~6月30日)


遺構検出作業が終わり、今週から精査に入りました。新しい遺構から順次掘り下げていく予定です。


完掘作業を始める前に、掘り方の半截を行なった建物跡の全景写真をとりました。

木の下館跡第3次(6月26日~6月30日)


鶴岡市立上郷小学校の児童40名が遺跡を見学に来ました。


炭窯の断面です。焼け土や炭化した層が見えます。このあと土層断面実測を行います。    

石畑遺跡(6月26日~6月30日)


南側の調査区北側の遺構の底面から土器が出土しました。1個の土器が土圧でつぶれたようです。


南側の調査区の南側の遺構です。大小の柱穴のほか溝跡も検出されました。

下叶水遺跡(6月26日~6月30日)


今週からSG1a(沢跡)の上面に残る、遺物包含層の掘り下げ作業に入りました。移植ベラに持ち替え、作業員さん総出で取りかかりました。


細かい模様が施された注口土器が出土しました。(RP172)


埋設土器を半分だけ掘り下げた状況です。土器の周りを広めに堀り下げ、土器の埋め方などを調べます。

行司免遺跡第3次(6月26日~6月30日)


石が集まっている遺構を掘り下げました。土器が出土した面は、石を集めたときには地面の中に埋まっていたようです。


鶴岡市立上郷小学校の子供達が現場を見学に来ました。


いわゆる赤焼土器が出土しました。この土器の周囲には多くの土器片が散らばっています。

加藤屋敷遺跡(6月26日~6月30日)


今週は、D区内のトレンチの掘り下げ作業を進めました。これが、現在のD区全体の
状況です。


D区のトレンチ内から、完全な形で須恵器の蓋が出土しました。


同じくD区のトレンチ内から、須恵器の甕と考えられる大形の破片が密集して出土しました。

中川原C遺跡第4次(6月26日~6月30日)


28日水曜日、現地にて調査説明会を行いました。ウイークディにもかかわらず、地元の方々をはじめ70名以上の参加を頂きました。どうもありがとうございました。


学区の北辰小学校の6年生も、授業の一環として来てくれました。こんな身近に遺跡があった事を知り驚き、遺物を見たり復元された縄文土器に触れて、郷土の歴史をじかに感じたようです。

矢馳A遺跡第3次(6月26日~6月30日)


SE592半截  井戸跡の半截をしました。木枠が縦に立った状態で残存しています。断面を見て、土の堆積を確認します。


C区調査状況  遺構精査、写真記録、測量を行っています。

中山城跡第2次(6月26日~6月30日)


深さ・大きさ共に1m以上ある土坑の底から曲物が出土しました。どのようにして使われたのでしょうか。


石垣が、どのようにして積まれたかを見るために、石積みを外して断面を検出しました。


下大石家を掘り下げたところ、長方形の遺構が検出されました。四方には木枠の跡があり、底からも遺物が出土しています。

2006年06月28日

加藤屋敷遺跡(6月19日~6月23日)


暑い日が続く中、遺構検出作業を進めています。この写真はB区のものです。


調査区の全景写真です。


D区にトレンチを設定し5センチほど掘り下げたところ、たくさんの土師器・須恵器片が出土しました。出土した場所には、箸を立てています。

石畑遺跡(6月19日~6月23日)


石組の井戸を完掘したことろです。2m以上掘り下げました。掘方に係わった方々、暑い中ご苦労様でした。


下層の遺構(溝跡)です。現在の検出面から90cm下から縄文時代の遺構が検出されました。土器も数点出土しています。


珍しい来跡者です。日本カモシカが里から山に戻る途中、調査区周辺に現れたようです。しばらく調査の様子をそっとのぞいていました。

檜原遺跡第2次(6月19日~6月23日)


A区の遺構が南側へ広がることから、調査区の拡張を行いました。区画溝がきれいに見つかりました。


新たに調査を開始する区域(B区)の範囲を設定しました。表土の下には硬い粘土層があり、四苦八苦です。

天王遺跡(6月19日~6月23日)


調査区の壁際で溝の断面を確認しました。溝の壁際に溜まった砂と地山がよく似ているため、断面で確認しながら掘り下げていきます。


溝の底から青磁が出土しました(写真右下)。


溝から出土した遺物です。左から珠洲焼の甕、中国産の青磁、珠洲焼の擂鉢です。青磁の内面にはヘラで唐草の模様が彫られています。溝は13世紀ごろに埋まったと考えられます。

下叶水遺跡(6月19日~6月23日)


6月の第1週目にラジコンヘリで真上から撮影した遺跡の全景写真です。


今週の月曜日に、小国町立北部小学校の6年生の皆さんが職場体験にきてくれました。暑い中でしたが、熱心に発掘作業に取り組んでくれました。


SK140の遺物検出状況です。底面から土器や石器が出土しました。写真左上の土器は、急須などのように筒状の注ぎ口がある注口土器です。

山ノ下遺跡(6月19日~6月23日)


拡張した調査区の遺構面です。今週は検出した遺構を掘っていきました。


円状の遺構が検出されました。十字の部分は残して掘り、この遺構の性格を調査して
いきます。


2つ目の埋設土器が出土しました。土器を傷つけないように丁寧に検出しています。どのような土器が埋まっているのでしょうか。この後、半分だけ堀り、土器の状態を調査していきます。

中山城跡第2次(6月19日~6月23日)


縄文調査区のトレンチから、いくつか遺構が確認されています。黒っぽく見えているところが、その範囲のようです。


南側の帯曲輪を掘り下げている様子です。盛り土が多く、作業員さんと愛車のキャリアがフル稼働です。


木製品が大量に出土した地点から、こぶし大の木製獅子頭が出土しました。赤く染められていて、きれいでとてもかわいらしいです。

中川原C遺跡第4次(6月19日~6月23日)


縄文時代の土坑の壁際から、管状の土製品が3点並んで出土しました。一緒に石鏃も見つかっています。


直径約2㎝、中空部分は1㎝程です。それぞれ途中で折れているので、元はもっと長かった様です。左端の遺物の側面に、作った時の爪痕とみられる凹みが見えます。

興屋川原遺跡第3次(6月19日~6月23日)


今週はE区に戻り、遺構のプランが不明確な部分についてさらに掘り下げながらの検出作業を行いました。


乾燥による地割れと降雨による荒れを防ぐため、遺構の分布する範囲に、シートを掛け、遺構検出面を保護する作業です。

行司免遺跡第3次(6月19日~6月23日)


行司免遺跡の東側は写真のような細い溝が南北に何条か走っているようで、このうち確認できた4条を調査しました。


これもまた溝跡と思われます。このように行司免遺跡は、溝が何条も掘られていたことがうかがえます。

木の下館跡第3次(6月19日~6月23日)


窯跡の調査の様子:斜面にある10基の窯跡の調査を始めました。傾斜がきつい為安全に気をつけながら調査をしています。


炭窯の様子: 炭窯を半截した状況です。焼け土や炭が沢山でています。

矢馳A遺跡第3次(6月19日~6月23日)


C区の溝跡、ピット、土壙の遺構精査をしています。


RP8出土状況 溝跡の底から、土製の玉が1点出土しました。玉には穴が開いています。


D区完掘後の状態を空撮しました。


RP10出土状況  土師器の壺が潰れた状態で出土しました。

岩崎遺跡(6月19日~6月23日)


遺構の半分を掘り下げました。これから断面の写真や図面を取っていきます。


同じ遺構から出土した土器です。完全な形です。これから詳しく時代等を検討していきます。

2006年06月21日

中川原C遺跡調査説明会

中川原C遺跡の調査説明会を開催します。
ぜひご参加下さい。

日時 平成18年6月28日 午前11時~午前12時

場所 新庄市大字十日町字中川原 中川原C遺跡発掘調査地内 地図

成果
 本遺跡は泉田川の河岸段丘に立地する縄文時代から中世の遺跡で、土壙、溝跡、河川跡などが検出されています。今回の調査で、平成12年に調査した地点からの遺構や遺物の分布の広がりがわかりました。また縄文時代の漁撈を示唆する石錘や各種の石器・土器類が出土しました。中でも縄文人のアクセサリ-だったのか、水晶が出土し注目されます。

その他
 説明会当日は新庄市立北辰小学校の児童の遺跡学習会も兼ねて行なう予定です。

問い合わせ
現場携帯 080-1687-3377
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301

続きを読む "中川原C遺跡調査説明会" »

中川原C遺跡第4次(6月12日~6月16日)


南端の河川跡の遺構精査を始めました。層ごとに掘っています。
1層目の茶色い土を掘り、その下の黒い土と遺物を現しているところです。
縄文時代中期の土器・磨製石斧・石錘などが出土しています。


北端の河川跡や岸部からも石錘が出土しています。
石錘は出土割合が高く、この調査区からこれまで23点見つかりました。
川に近いこの辺りは、集落でなく漁労域だったのでしょう。

山ノ下遺跡(6月12日~6月16日)


今週は調査区の北側を拡張しました。
重機で掘り下げた部分をジョレンを使ってきれいにしています。


拡張した範囲に杭を打つ作業です。
座標を機械で座標を測り、杭の位置を決めていきます。この杭の地点を使って、遺物の出土地点や遺構の位置などを記録していきます。


拡張した範囲から縄文土器などが出土しました。
拡張部分の調査は来週から本格的に始まります。どのような遺構や遺物が出てくるのか、みんな楽しみにしています。

岩崎遺跡(6月12日~6月16日)


先週紹介した溝跡を掘り下げている状況です。
土留めを行ったと考えられる杭や板が検出されています。


井戸跡と思われる遺構の断面を確認しました。

木の下館跡第3次(6月12日~6月16日)


竪穴住居跡を掘り上げた様子
出土遺物が全く無く、いつの時代なのか分かりません。どのように使われたのかも分かりません。


炭を焼いた窯跡
登り窯のような形をしています。写真中央の窯跡上面から須恵器の破片が出土しました。
窯跡との関係はまだ分かりません。


斜面の面整理作業
だんだん斜面がきつくなっていくので作業に苦労しています。

矢馳A遺跡第3次(6月12日~6月16日)


D区SD1遺構精査
溝跡から、杭や板が組まれた状態で検出されました。
今週でD区の遺構精査は終了です。


C区SE515遺構精査
井戸跡が検出されました。四角い木枠が残存しています。


C区SP309遺構精査
ピットの中央から内黒の土師器(坏)と、端から土師器の破片が出土しました。


C区SX244遺構精査
焼土の中に、土師器の破片が固まって出土しました。

行司免遺跡第3次(6月12日~6月16日)


地面を柱状に残していた箇所を掘り下げて地層の重なり具合を調べました。


溝跡(SD5)の調査を行っています。
人が中に入っているこの溝は調査区を東西に流れる溝です。


SD5の断面を撮影しました。

興屋川原遺跡第3次(6月12日~6月16日)


梁行き2間、桁行き4間の南北に長い掘立柱建物跡です。F区東端部では全部で4棟の掘立柱建物が見つかりました。
北東部の2棟が東西棟で南西にあるこの建物を含む2棟が南北棟です。


掘立柱建物跡が見つかったF区から出土した土器は多くはありません。
台の付いた須恵器の坏は建物の時代のものとなるようです。平安時代の初め頃ではないかと考えられます。

下叶水遺跡(6月12日~6月16日)


今週の作業で、埋設された土器がまとまった状態で検出されました。
現在のところ、北東に位置する沢跡(SG1b)から9基ほど確認されています。


遺構の精査作業に入りました。遺構の半分を掘り下げ(半截作業)、残った半分の土の色や質の違いから埋まった状況や遺構の新旧関係を把握します。


土坑跡(SK10)の半截状況です。遺構内からは、土器の底部や凹石が出土しました。

加藤屋敷遺跡(6月12日~6月16日)


調査区の周囲に掘っている溝から、大きな須恵器のかけらがまとまって出土しました。


今週で重機による表土除去が終わりました。


遺構検出の作業風景です。石灰でマーキングしているところです。

中山城跡第2次(6月12日~6月16日)


昔の道路面から、近世陶磁器が出土しました。馬の絵が描かれており、道路の年代を知る貴重な資料です。


南側の帯曲輪から縄文調査区まで、断面観察のため長いトレンチを入れました。帯曲輪の上から眺めると壮大な景色です。

天王遺跡(6月12日~6月16日)


小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。


遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2~3mの溝跡から掘りはじめました。


溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています。

檜原遺跡第2次(6月12日~6月16日)


A区の西側がほぼ掘りあがりました。溝に区画された中には、建物や井戸があったようです。


庇付きの大きな掘立柱建物跡です。右側には井戸跡があります。


いよいよ梅雨入りです。これからは、こんな風景が続くのでしょか。

上野遺跡第2次(6月12日~6月16日)


遺跡の完掘状況を写真におさめる際に、調査区全体の土色がきれいに出るよう、面整理を行いました。


調査の結果、遺構・遺物の検出数が希薄であったため、事業関係者を対象にした説明会を実施しました。


ラジコンヘリを使用して、空中から遺跡の全景を撮影してもらいました。

石畑遺跡(6月12日~6月16日)


近世・近代の?石組み井戸跡です。


調査区を西に少し上っていくと稲荷神社があります。幕末にたてられた献燈がひっそりと置かれています。頂上には2棟のお堂があります。

2006年06月15日

石畑遺跡(6月5日~6月9日)

ishibatake-_0605_1.jpg
調査区の南側(B区)の面整理が終了し、全景写真を写しました。まずまずの天気で、遠くの景色までのぞむことができました。

ishibatake-_0605_2.jpg
いよいよB区の遺構精査の開始です。B区は後世の攪乱(かくらん)も多いのですが、遺物も少なからず出土します。今後の成果が期待できます。

ishibatake-_0605_3.jpg
水曜日(6月7日)、大雨直後の調査区の様子です。午後には小降りになりましたが、大雨によって一部冠水してしまいました。そのため、排水作業を行いました。

中川原C遺跡第4次(6月5日~6月9日)


今週は、調査区北側の遺構検出と、写真撮影をおこないました。
旧地形は、ここから先やや高くなっています。奥の黒色土は昔の河川跡のようです。

上の写真でブ゙ルーシートがかけてある部分です。ここは旧河川の自然堤防上で、
縄文時代の土坑や住居跡と思われる遺構が見つかりました。

加藤屋敷遺跡(6月5日~6月9日)


調査区の中央付近にトレンチを設定し、移植ベラで掘り下げました。土の表面が乾燥して固くなり、掘るのにも一苦労です。


掘り下げたトレンチからも、奈良・平安時代のものを中心に土器のかけら等、遺物が出土しました。

中山城跡第2次(6月5日~6月9日)


調査区内には、縄文時代の遺物が出る区域があります。今週からトレンチを掘りはじめました。


10~20cm掘り下げると、縄文土器が出土しました。文様が描いている土器も出ています。


近世屋敷跡からは、赤い漆製品が出土しています。漆製品を製作していたことを示す重要な資料です。

天王遺跡(6月5日~6月9日)


大きいほうの調査区の遺構検出が終わりました。写真右奥の杉の木の下に、地元の方が「てんのうさま」と呼ぶほこらがあります。


帯状に砂が堆積した部分があります。他の場所よりやや高く、遺構がたくさん見つかりました。


前に掲載した大きな板碑の近くに、2基の板碑があります。周囲には小型の板碑も何基か並んでいました。

檜原遺跡第2次(6月5日~6月9日)


たくさんの柱穴の中から、建物跡を構成するものを探しています。もう少しです。


この穴にはたくさんの石が入っていました。他の遺構には見られない特徴です。どんな意味があるのでしょうか。

木の下館跡第3次(6月5日~6月9日)


遺構検出状況:館跡の下方から炭窯と思われる窯跡が4基見つかりました。焼け土や炭くずが残っています。


炭を焼いた窯跡:左に映っている窯跡は焼け土が沢山残っています。登り窯のような形をしています。


炭を焼いた窯跡:丸や楕円形をした炭窯もあります。

下叶水遺跡(6月5日~6月9日)


写真撮影のため調査区のブルーシートを剥がし、面整理を行いました。以前お伝えした沢跡は、北西に向って二手に分かれて伸びています。


北側から見た沢跡の検出状況です。黒く帯状に伸びる沢跡の両側からは、柱穴や土坑が集中して検出されています。


調査区から検出された遺構の状況と、遺跡全景の写真をラジコンヘリを使って上空から撮影しました。

山ノ下遺跡(6月5日~6月9日)


写真の右端に写っている機械を使って、遺構の標高を測っているところです。


杉の木の根の間から、甕の底部が出土しました。根がとても太く、切断するのが大変です。遺物が出土するため、慎重に根を除去しています。


根の間からは須恵器や高台坏なども出土しました。

矢馳A遺跡第3次(6月5日~6月9日)


遺構登録: 遺構に番号を振ります。番号タグを遺構の横に挿し、図面に番号を記録している様子です。


遺構精査: D区の遺構精査をします。移植ベラを使用して、検出した遺構を掘り下げます。


溝跡にトレンチを設定し、遺構精査します。

上野遺跡第2次(6月5日~6月9日)


暑い中、作業員の皆さん総動員でやや大きめの溝跡の掘り下げを行いました。


調査区の土層の様子を確認するため、基本層序を記録していきます。


作業員の皆さんによって、溝跡の掘り下げがきれいに仕上がりました。断面図を記録した後、完掘作業に入ります。

興屋川原遺跡第3次(6月5日~6月9日)


F区の東端部で平安時代の建物を構成する柱穴などが見つかりました。今週末までに4棟の建物があることがわかりました。


梁行2間×桁行3間の南北に長い建物跡で、柱穴の大きさが1辺70cmほどの隅丸方形
です。


梁行2間×桁行3間の東西に長い建物跡です。この建物跡の東に隣接して、もう1棟の建物があります。

岩崎遺跡(6月5日~6月9日)


溝跡の掘り下げをしています。遺物から近代まで使われていた溝跡と考えられます。


酒田工業高等学校の生徒さん達が見学にいらっしゃいました。皆さん真剣に説明を聞いています。

行司免遺跡第3次(6月5日~6月9日)


両刃鎌を使って丁寧に地面を削っていきます。きれいになった地面のわずかな土の違いを見つけて溝跡などを見つけていきます。


石が集まっている箇所の調査に取りかかりました。まだ、この遺構の性格はわかりませんが石は熱をうけているようです。


須恵器が出土しました。奈良時代のものです。

2006年06月08日

行司免遺跡第3次(5月29日~6月2日)


東北芸術工科大学の方々に御協力いただいて木棺墓を取り上げる準備をしています。ウレタンを木棺墓の周りなどに流して周囲を固定します。


ウレタンで木棺墓を覆ったところです。


地面から切り離した木棺墓をトラックに積み込む様子です。センターにて保存処理を行っていきます。

木の下館跡第3次(5月29日~6月2日)


2~5段目完掘状況


住居跡の柱穴の様子。規則正しく柱穴が並んでおります。


中世陶器の出土。木の下館跡の時代を示す遺物か?注目しています。

岩崎遺跡(5月29日~6月2日)


検出された柱穴です。画面上に白く見えるのが火山灰と考えられます。詳しくは今後検討して行きます。


柱穴を掘り下げました。丸く残っている箇所が柱があった場所です。

天王遺跡(5月29日~6月2日)


大きな2条の溝が見つかりました。2条が並行していることから道路跡かと考えましたが、調査区の南端で2条の溝は合流していました。時期差をもって付け替えられた溝のようです。


溝跡の西側には柱の跡と考えられる小さな穴が密集していました。


柱の跡とともに、約1~2m大の長方形の遺構が数基並んで見つかりました。

檜原遺跡第2次(5月29日~6月2日)


遺構の掘下げもだいぶ進みました。写真や図面などの記録も大忙しです。


穴の底から四角に組まれた木枠が見つかりました。幅の広い板も出土したことから、縦板と横桟の構造を持つ井戸だったようです。

下叶水遺跡(5月29日~6月2日)


今週の作業状況です。調査区内の表土除去がようやく終わりました。


おぐに保育園の皆さんが遺跡の見学に来てくれました。出土した土器や石器を使った植松主任の説明を聞いて、大昔の人々のくらしに想像をふくらませています。


実際に調査区内で発掘を体験してもらいました。移植ベラを持って慎重に探りながら掘り下げていきます。

山ノ下遺跡(5月29日~6月2日)


縄文時代の埋設土器です。土器の埋設方法を調べるために、土器の周りを少し大きめに掘りました。調査中ですが、担当者・作業員さんともに楽しみにしています。


調査区内の遺構をきれいに掘りました。そして撮影を行い、図面を書いて記録していきます。


タワーを組んで、撮影をします。これは2段ですが、3段の時もあります。作業員さんが総出で組み立てました。

中山城跡第2次(5月29日~6月2日)


土坑を掘り下げたところ、木製の桶が出土しました。もろく壊れやすいので慎重に掘っていきます。


先週お伝えした下大石家の石積みを外して、断面を検出しています。一つ一つが重く、大変な作業です。

加藤屋敷遺跡(5月29日~6月2日)


面整理と遺構検出作業を継続して行っています。


壁際から水がしみ出し、足元の悪くなった状況での作業は大変です。


調査区の壁際に掘った溝を掘り下げたところ、土器のかけらなどが出土しました。

上野遺跡第2次(5月29日~6月2日)


杭材が検出されました。樹種及び年代について、これから理化学的分析を施す予定です。


検出面における遺構の輪郭が不鮮明なために、間隔を狭めてトレンチ掘りを行いました。土がコンクリートのように固く、作業員さんたちは悪戦苦闘しています。


何日間かかけて、やっと断面を確認できるところまでたどり着きました。固いねずみ色の盤の下に、黒い粘土質層が堆積しています。所々、縦にねずみ色の筋が入っている部分が確認できます。

中川原C遺跡第4次(5月29日~6月2日)


遺構検出作業中、溝跡のようです。画面手前左側に、中指ほどの太さの水晶が
出土しました。


紫水晶と思われます。透明度は低いですが、六角柱状で芯部がほのかに紫がかっています。縄文時代のパワーストーンでしょうか?

矢馳A遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週は空撮を行いました。


空撮の結果、調査区全体の写真を撮ることができました。これはその1枚です。


調査区を部分的に俯瞰で撮影し、全体をつなげると、こんな写真になります。河跡や土質の違い等々がはっきりと分かります。

石畑遺跡(5月29日~6月2日)


調査区の南半分(B区)の面整理状況です。じょれん(便利鍬)を使って、重機で掘削した地面を削って遺構を検出します。作業員の皆様暑い中ご苦労さまです。


調査区の北側(A区)のSX115という不整形の遺構を掘っている写真です。土器などの遺物が出土するため竹べらなどを使って慎重に掘り進めていきます。


SX115から出土した縄文土器です。この遺構だけで2箱以上の遺物が出土しました。

興屋川原遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週後半からE区の掘り下げと面整理に入りました。1980年代に行なわれたほ場整備で、重機が遺構面に深いキャタピラー痕を残しています。遺構の保存状態はよくありません。


E区の東半部の遺構が分布する範囲について100分の一の縮尺で遺構配置図を作成しました。

2006年06月01日

木の下館跡第3次(5月22日~5月26日)


館跡上部の様子。館を作った当時の地形がきれいにわかります。


斜面を掘り下げ、段がわかるように掘っていきます。山城の調査は斜面での作業が多く大変です。

岩崎遺跡(5月22日~5月26日)


勾玉が出土しました。とても小さな勾玉です。これから詳しく調べていきます。


柱穴を掘り下げ、柱の確認をしている所です。岩崎遺跡では建物の柱穴が多く検出されています。

山ノ下遺跡(5月22日~5月26日)


今週は円状の穴を掘りました。それぞれ半分だけ掘って性格を詳しく調べていきます。


土の層の図面を書いて調査の記録をとっていきます。

檜原遺跡第2次(5月22日~5月26日)


遺跡を覆う土です。約1.5mの深さで遺構が見つかりました。


遺構を掘り始めました。砂混じりの硬い土です。


埋まり方などを観察するため半分だけ掘りました。下からは水がこんこんと湧いてきます。井戸だったのでしょうか。

矢馳A遺跡第3次(5月22日~5月26日)


C区南西側に大きな溝跡のようなものを検出しました。面をきれいにして観察した結果、大きな河跡の可能性が高くなりました。


C区北側から、土坑のような楕円形の遺構と、柱穴跡が多く見つかりました。大きな楕円形は井戸を掘った跡で、柱穴跡は建物を建てた跡と思われます。


L字に曲がった溝跡が何本か見つかりました。恐らく中世の館を囲っていた溝跡と思われます。

行司免遺跡第3次(5月22日~5月26日)


新たに木棺墓が検出されました。昨年の調査で2基出ており、これで3基目になります。なお、すぐ隣から土器も出ています(写真左側)。


木棺墓は取り上げて埋蔵文化財センターで詳しく調査することにしました。土ごと切り取って運ぶ作業を行ないました。

興屋川原遺跡第3次(5月22日~5月26日)


古墳時代の土器とともに、小刀とみられる鉄製品が出土しました。周囲より黒っぽい炭の含まれる土層に含まれていました。


E区の面整理も東端に近くなり、ようやく古墳時代の遺構が分布する地区に入ってきました。土器が含まれる穴や柱穴などが見つかっています。

天王遺跡(5月22日~5月26日)


土をていねいに削って遺構を探す作業が続きます。


鎌倉時代~室町時代と考えられる壺の破片が出土しました。

下叶水遺跡(5月22日~5月26日)


先週お伝えした河川跡は、二つに分かれる沢跡のようです。調査区西側の横川に向かって伸びています。


面整理の作業中、形の良く残った土器が確認されました。埋葬に用いられた甕の可能性があります。


白沼中学校の皆さんが遺跡の見学に来てくれました。出土した石器や土器を手に取りながら、熱心に植松主任の説明を聞いています。

石畑遺跡(5月22日~5月26日)


調査記録をとる測量作業風景です。


遺物が出土しました。狩りで使った石鏃(やじり)です。

中川原C遺跡第4次(5月22日~5月26日)


遺構検出を行っています。これは溝跡です。他に柱穴や集石が見つかりました。しかし、遺構はあまり多くないようです。


検出された遺構の一部です。上は削られて、下のほうだけ残った状況です。


調査区の中央部分です。ほ場整備の際の重機キャタピラー跡と思われます。だいぶ削平されているようです。土が固く、削るのが大変です。

上野遺跡第2次(5月22日~5月26日)


今週から遺構の精査を始めました。撹乱が多く、明確に遺構と判断できるものは少ないようです。


掘り方が見つからない柱穴を半裁すると、断面から杭材と思われる木材が検出されました。


井戸跡かと思われた遺構の断面です。予想したよりも浅く、埋め土の断面からも今のところ遺構の性格をさぐる決定的な手がかりは得られていません。

加藤屋敷遺跡(5月22日~5月26日)


表土除去と遺構の検出作業に入りました。土の層の違いがよくわかるように、鎌で削っているところです。


面整理作業中に出土した遺物の状況です。土師器や須恵器のかけらが出土しています。

中山城跡第2次(5月22日~5月26日)


中山城跡の調査では、遺構の図面作成を写真実測で行っています。


下大石家の完掘状況です。石垣もきれいに検出でき、ようやく全体像を把握できました。


昔の道路に沿った溝跡から、多くの陶磁器などが出土しました。

2006年05月25日

天王遺跡(5月15日~5月19日)

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重機で表土をはいだ後、人力で土を削って遺構を探します。

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土の色の違う部分が遺構です。柱の跡や、長辺が1m程度の長方形の遺構が多く見つかっています。

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ここでは柱の跡や、畑の痕跡のような溝が見つかりました。

岩崎遺跡(5月15日~5月19日)


柱穴列を検出しました。建物でしょうか、柵でしょうか?


柱穴です。柱が残っていました。

興屋川原遺跡第3次(5月15日~5月19日)


昨年度の排土除去が終わり、調査区の西側から遺構検出のための面削り作業を始めました。


昨年、積雪のため調査を中断せざるを得なかった建物跡を再検出しました。2間×3間の掘立柱建物跡が2棟です。柱根も残っており、乾燥防止にポリ袋で覆っています。

矢馳A遺跡第3次(5月15日~5月19日)


調査区に10メートル間隔の杭を打ち、グリットを設定します。


面整理によって出土した遺物です。左上、鉄製品。左下、管玉。右上下、古銭。


D区の遺構検出後の写真です(東から)。溝跡、ピット跡などが検出されました。

中山城跡第2次(5月15日~5月19日)


下大石家にある井戸跡を発掘中です。狭くて深いため、3人がかりでの作業になります。まだまだ深く掘れるようです。


上山南中学校の生徒が、職業体験として発掘に参加してくれました。やさしい作業員さんの指導のもと、とても熱心に掘ってくれました。未来の考古学者になって欲しいものです。


下大石家の中央にあった池跡の完掘状況です。中央の木で囲って深くなっている部分は、魚の寝床でしょうか?

加藤屋敷遺跡(5月17日~5月19日)


5月18日に鍬入式を行い、作業の安全を祈願しました。


調査区の周縁部に溝を掘り、遺構検出面までの深さを確認しています。

木の下館跡第3次(5月15日~5月19日)


郭土層断面:上から7段の曲輪を確認することができました。この写真は、2段目から撮影しています。  


斜面の調査状況:木の根っこをはずしながらの調査なので、手間がかかっています。

檜原遺跡第2次(5月15日~5月19日)


A区と呼んでいる調査区の西側の遺構検出状況です。溝跡や柱穴などが230ほど見つかりました。


同じくA区の東側の遺構検出状況です。中央部分は窪地になっています。

山ノ下遺跡(5月15日~5月19日)


いよいよ、遺構を掘り始めました。これは溝を掘っているところです。溝の中からは土器や石器が出土しました。


溝の底の方からは石箆という切削具が出土しました。


平板測量で、遺構の配置図を作っています。

石畑遺跡(5月15日~5月19日)


石畑遺跡は河川の段丘上に立地しており、北側は竹藪が生い茂っています。竹藪を刈り取りながら調査区の設定を行いました。


調査区北側A区の作業風景です。便利鍬(じょれん)で慎重に遺構を検出する面をきれいにしていきます(面整理)。宅地造成による攪乱などもありましたが、いくつかの遺構が検出されました。


面整理中に出土した縄文土器の破片です。周囲からも細かい土器片や剥片が見つかっています。

下叶水遺跡(5月15日~5月19日)


表土除去後、遺構の検出作業(面整理)を行いました。ジョレンという道具を使って表面を薄く、丁寧に剥いでいきます。


調査区南半部の遺構検出状況です。 面整理で遺構面を綺麗にした後、遺構の周りを水で溶いた石灰でマーキングしました。


調査区東側(写真右)で黒い土が帯状に広がる面を検出しました。おそらく河川跡と思われます。また土坑やピット状の遺構群が検出されました。

行司免遺跡第3次(5月15日~5月19日)


先週紹介した炭や木材が見えていた場所を調査しています。何の骨かはまだわかりませんが、炭の上に骨粉のまとまりも検出されました。おびただしい炭の下には木材があります。木材は、一部焼けていますが、炭化したところと生の部分が入り混じっていること、焼土は見られないこと、地面も火を被った痕跡が認められないことなどから、これらの木材や炭はどこからか持ち込まれたものと考えられます。調査が進めばいろんなことが解ると思います。


土の質感が周囲と少し違っていたところを掘り下げた直後の写真です。大量の遺物が出土しています。行司免遺跡は溝が東西南北に走り、遺物を大量に伴う特徴が昨年度の調査で明らかになっています。また、自然の窪地から大量の遺物が出ることもあります。ここも溝の可能性が出てきました。更に掘る範囲を広げ溝かどうかを検証していきます。

上野遺跡第2次(5月15日~5月19日)


川跡らしい黒土の遺構が検出されています。検出された柱穴の数はあまり多くありません。


こちらでも川跡らしい黒土の遺構が検出されています。隅丸方形の遺構は井戸跡でしょうか。これからしっかり精査していきます。

平板測量により、遺構配置図を作成していきます。

中川原C遺跡(5月15日~19日)


泉田川に近い南の方から表土を剥きました。水が湧いてきている黒土の部分は、
前回の調査で検出された埋れ谷の続きのようです。
縄文時代後期の土器や石器が見つかりました。


これは、縄文時代の石錘(せきすい)で、魚をとる網のおもりです。
しばりつけやすいように、石にくぼみが切ってあります。

2006年05月17日

檜原遺跡第2次(5月9日~5月12日)


調査区の範囲を掘りました。遺構が見つかるところまでの土の深さなどを観察して、表土を除去する時の目安にします。


重機械を使って表土を除去しています。遺跡までは約1mの深さがあります。


遺構の検出作業を始めました。黒く見えるのが遺構です。

中山城跡第2次(5月8日~5月12日)


下大石家遺構検出状況
昨年度調査した下大石家の、下層面の遺構を検出しているところです。
地面を丁寧に削って、土の色や性質の違いから、掘り込んだ跡を見つけています。


下大石家遺構調査状況
建物跡の調査中です。昨年度調査した礎石の下にはこぶし大の栗石(ぐりいし)が見つかりました。江戸末から明治時代にかけての家の基礎と思われます。

中川原C遺跡第4次(5月11日~5月12日)


新庄市の中川原C遺跡の調査が始まりました。
この遺跡は平成11年と12年度にも調査を行い、縄文時代中期の大集落があったことが分かっています。現在は大規模な田んぼになっており、田植えの準備が進められていました。
遠くには、出羽富士とも呼ばれる鳥海山が見えます。


今年度は4次調査で、幅12mほどの農道部分を細長く調査します。
調査区をテープで囲み目印としました。手前では鍬入式の準備をしています。
この下には一体何が埋もれているのでしょうか?楽しみです。

下叶水遺跡(5月8日~5月12日)


鍬入れ式(5/8)
本日より、下叶水遺跡の発掘調査が開始されました。発掘調査の安全と成果を願って、鍬入れ式が執り行われました。


調査区遠景 (5/9)
遺跡は小国町の叶水地区に位置し、横川によってつくられた河岸段丘という階段状の地形面に立地しています。


調査区作業風景(5/9) 
調査範囲の設定と遺構検出面までの深さを確認するため、各所で試掘を行いました。 

行司免遺跡第3次(5月8日~5月12日)


昨年、炭が見えていてぼんやりと黒かった箇所を削ってみたところ木材も発見されました。
近日中に精査を行い、これが何であるかを調べます。


ピット(穴)を断ち割ってみたところ、中に土器が埋まっていました。出土状況は、平安時代の地鎮祭の跡とよく似ています。


鉄製品も出土しました。昨年度の調査では平安時代の鉄製品は出ておらず、この遺跡では初の出土となります。

矢馳A遺跡第3次(5月8日~5月12日)


B区面整理  
ジョレンがけをして、遺構検出面を綺麗にします。


矢馳A遺跡遠景(西から)  
高館山から見た庄内平野です。


B区排水作業  
前日の雨で調査区に雨水が溜まりました。柄杓とバケツで排水します。

上野遺跡第2次(5月8日~5月12日)


5月9日に鍬入れ式を開催しました。


表土を除去する前に、試掘トレンチ部分を掘り下げ、地盤の深さを確認しました。


バックホーで表土を除去していきます。遺構や遺物が確認されないかを慎重に確かめながら作業を進めます。

木の下館跡第3次(5月8日~5月12日)


発掘調査の様子です。曲輪(くるわ)と思われる段を検出しました。


遺構が確認されたため、白線を引きました。住居跡と考えていますが、これから掘り下げていき確認したいと思っています。


木の根元から出土した茶碗の破片です。

興屋川原遺跡第3次(5月8日~5月12日)


調査区の西部は水没していたため、最初の作業は自然流下を狙った排水路の掘削となりました。


昨年12月下旬の積雪の中での調査で置かれたままとなっていた排土を除去し、昨年度の調査面を再検出する作業中です。今週一杯でほぼ終了しました。

天王遺跡(5月10日~5月12日)


天王(てんのう)遺跡の調査が始まりました。当センター流の鍬入れ式で作業の安全を祈ります。


調査区の周囲に溝を掘り、遺構の見つかる深さを確認しています。


調査区から約300m離れたところに大きな板碑がありました。高さ4.12m、県内2番目の大きさです。文和三年(1354)に立てられたものです。
周囲の集落は、この板碑にちなんで大仏(おぼとけ)と呼ばれています。

岩崎遺跡(5月8日~5月12日)


岩崎遺跡調査開始です。皆で遺構を検出します。土は粘土質のため、とても大変です。


平安時代の柱穴が、たくさん見えてきました。大きいものは直径が1mを超えます。大型の掘立柱建物があったと考えられます。

2006年05月09日

中山城跡第2次(5月1日~5月2日)


中山城跡御役屋の帯曲輪清掃作業状況
連休谷間の5月1・2日も発掘作業を行いました。中山城跡の桜がちょうど満開です。

行司免遺跡(4月24日~4月28日)


土捨て場として旧河川を利用しようと思い、掘り下げたところ木が出てきました。
一本の木なのか何本か密集しているのかはまだわかりませんが大木であったであろうことは想像ができます。
また、この付近からは大きい角ばった礫(写真後方)や柱のようなもの(写真右側)が検出されました。


先ほど紹介した柱のようなものや角ばった礫のアップです。
この周りからは平安時代の赤焼土器が流れ込んでいます。大木を含めこれらが何を意味するかを考えていかねばなりません。

矢馳A遺跡第3次(4月24日~4月28日)


A区遺構検出  A区北側で河川跡を検出しました。土が茶色く濁っている部分が河川跡です。


B区面整理  表土掘削後にジョレンがけをします。

木の下館跡第3次(4月24日~4月28日)


トレンチの面整理及び周辺の清掃をしました。このあとトレンチと最上段の写真撮影をしました。


土捨てのためのシューターが完成しました。毎日使っているため、すでに数回の補修をしています。


130段の階段が完成しました。雨の日でも滑らないように、いろいろと工夫を重ね約1週間かかりました。

中山城跡第2次(4月24日~4月28日)


鍬入れ式
本日より、長期にわたる発掘調査が開始されました。調査期間中の安全を祈願して、関係者の臨席のもと、鍬入れ式が執り行われました。


草刈家排水作業

調査開始二日目。昨年調査した草刈家の下層を掘り下げるため、調査区内に溜まっていた水を排水しました。


橋爪家SD1629遺物出土状況
昨年調査した橋爪家北端のSD1629を精査した結果、多数の近世陶磁器が出土しました。

2006年04月25日

矢馳A遺跡第3次(4月17日~4月21日)

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鍬入れ式
矢馳A遺跡・行司面遺跡・木の下館跡の三遺跡合同で、発掘調査の安全と成果を願って鍬入れ式を行いました。

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遺構検出面確認
表土から遺構検出面までの深さを確認するため、調査区の外周を線掘りをします。

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表土掘削
遺構検出面まで、重機を使って表土を剥ぎ取ります。

木の下館跡第3次(4月17日~4月21日)

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調査区遠景
伐採が終わり、来週から調査をはじめていきます。

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調査区の環境整備(階段作り)
傾斜が急なため、階段を作り安全の確保をおこなっています。

行司免遺跡第3次(4月17日~4月21日)

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行司免遺跡は昨年に引き続いての調査です。調査の開始にあたり、無事に発掘を終えられるよう鍬入れ式を矢馳遺跡、木の下館跡の調査メンバーとともに行いました。

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鶴岡市の今冬は、大雪にみまわれました。現場は雪解け水のために、このままでは調査が出来ません。写真は排水用の溝を掘っているところです。本格的な調査を行う前に環境整備が重要となってきます。

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私達の休憩所であり器材庫でもあるプレハブの整備をおこないました。庇をつけて器材を置ける場所を作ったりと、作業員さん達の協力によって、プレハブは使い勝手が良くなっていきます。

2007年02月

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