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2006年11月08日

檜原遺跡第2次(10月30日~11月2日)


調査区全体や遺跡の周辺が分かるように、ラジコンヘリを用いて上空から写真を撮りました。


B区の全景です。B区からは焼土遺構や河川跡・竪穴状遺構・土壙などが検出されました。また、重機が動いている盛土の部分は7月まで調査していたA区です。11月2日(木)をもって半年間にわたる調査が終了しました。

2006年11月02日

檜原遺跡第2次(10月23日~10月27日)


25日(水)に調査説明会を行いました。天候が危ぶまれましたが、朝には雨も上がり、約50名の方が参加してくれました。

2006年10月25日

檜原遺跡第2次(10月16日~10月20日)


先週に引き続き河川跡の掘り下げを行いました。断面観察を終え、完掘に向けて掘り進めています。

2006年10月17日

檜原遺跡第2次(10月10日~10月13日)


調査も終盤を迎えました。来週25日(水)には調査説明会を行います。現在は、河川跡の掘り下げ作業などを行っています。箸のたっているところから土師器や須恵器が出土しています。


赤く焼けた遺構の断ち割り作業の様子です。焼けたところがどこまで広がっているかを調べています。

2006年10月11日

檜原遺跡第2次(10月2日~10月6日)


柱穴が4本ある竪穴住居跡の完掘状況です。カマドは検出されませんでした。


B区の拡張した部分の遺構検出状況です。床面が赤く焼けた遺構が、写真の左の調査区の続きとしてでてきました。来週から調査を始めていきます。

2006年10月03日

檜原遺跡第2次(9月25日~9月29日)


B区拡張部分の遺構です。床面が真っ赤に焼けています。いまのところ遺物は出土していません。このような遺構がほかにいくつもあります。


河川跡のトレンチ掘りの状況です。トレンチ内からは須恵器や土師器などの遺物が出土しています。

2006年09月28日

檜原遺跡第2次(9月19日~9月22日)


床面が真赤に焼けている遺構を掘りました。この地区からは4ヶ所見つかりました。別の地区からも見つかっています。


秋晴れの日が続きました。絶好の調査日和です。

2006年09月25日

檜原遺跡第2次(9月11日~9月15日)


B区拡張部分の遺構検出作業です。削っている土は、粘土あり、砂ありで変化に富んでいます。


今週は天候が不順で雨の日が続きました。気温も急に下がり、遺構を掘る手が冷たくなってきます。

2006年09月14日

檜原遺跡第2次(9月4日~9月8日)


遺物が土坑から出土したようすです。須恵器の坏や壷、甕、土師器の坏などの種類が見られます。


遺跡の広がりが確認されたことから、B区の拡張がはじまりました。拡張した面積は、約1,000㎡です。

2006年09月05日

檜原遺跡第2次(8月28日~9月1日)


B区の南側の遺構精査に入りました。ここからは何が見つかるでしょうか。


先週に引き続き、真赤に焼けた床面を持つ遺構その2です。奥のほうに溝状に掘り込まれたところがあります。

2006年09月01日

檜原遺跡第2次(8月21日~8月25日)


床面が真赤に焼き締まっている遺構です。同じような遺構がもう2箇所で見つかっています。何に使われたのでしょうか。


古い川跡の一部を掘りました。川底から平安時代の土器が見つかりました。

2006年08月22日

檜原遺跡第2次(8月7日~8月11日)


B区北側部分の遺構検出状況です。大きな川跡と焼土がたくさん入った遺構が見つかりました。


B区の遺構精査をはじめました。連日30℃を越える暑さの中での調査に少々バテ気味です。


来週、発掘調査はお盆のため休みになります。あちこちに穴が開いていて危険ですので、中には入らないようお願いいたします。

2006年08月08日

檜原遺跡第2次(7月31日~8月4日)


B区と呼んでいる調査区です。A区を終了し、いよいよ本格的にB区の調査に入ります。


B区の遺構検出作業です。梅雨も明け、暑さが厳しくなってきました。午前中でも汗びっしょりです。

2006年08月01日

檜原遺跡第2次(7月24日~7月28日)


A区の調査が終了しました。器材を撤収し、B区へと移動します。


B区の調査を本格的に開始しました。遺構検出と同時に調査区内にある果樹の根を除去しています。遺跡をなるべく傷つけないよう細心の注意を払います。


遺跡に珍客。畜産所から脱走した牛が現場へやってきました。この後、飼育員による大捕物がありましたが、幸い無事に済みました。ただ現場には必死な牛くんの深い足跡が残りました。

2006年07月25日

檜原遺跡第2次(7月18日~7月21日)


A区の調査も最終段階です。調査区からは数棟の掘立柱建物跡が見つかりました。建物によっては、2~3回建て替えられた痕跡も見られました。


ラジコンヘリコプターによる上空からの遺跡写真撮影です。小雨の中を決行しました。

2006年07月19日

檜原遺跡第2次(7月10日~7月14日)


雨の合間をぬっての調査がつづきます。あと少しのところなので梅雨空をうらめしく見上げています。

2006年07月11日

檜原遺跡第2次(7月3日~7月7日)


素掘りの井戸跡です。周りに見える石は柱の土台に据えたものです。柱穴は井戸が埋められた後に掘られていました。


区画する溝の中から見つかった不思議な形です。板塀のような垣が設けられていたかもしれません。

2006年07月06日

檜原遺跡第2次(6月26日~6月30日)


A区で見つかった大きな溝です。遺跡を囲むように曲がっています。


A区の拡張した部分の遺構です。区画する溝がつながりました。

2006年06月28日

檜原遺跡第2次(6月19日~6月23日)


A区の遺構が南側へ広がることから、調査区の拡張を行いました。区画溝がきれいに見つかりました。


新たに調査を開始する区域(B区)の範囲を設定しました。表土の下には硬い粘土層があり、四苦八苦です。

2006年06月21日

檜原遺跡第2次(6月12日~6月16日)


A区の西側がほぼ掘りあがりました。溝に区画された中には、建物や井戸があったようです。


庇付きの大きな掘立柱建物跡です。右側には井戸跡があります。


いよいよ梅雨入りです。これからは、こんな風景が続くのでしょか。

2006年06月15日

檜原遺跡第2次(6月5日~6月9日)


たくさんの柱穴の中から、建物跡を構成するものを探しています。もう少しです。


この穴にはたくさんの石が入っていました。他の遺構には見られない特徴です。どんな意味があるのでしょうか。

2006年06月08日

檜原遺跡第2次(5月29日~6月2日)


遺構の掘下げもだいぶ進みました。写真や図面などの記録も大忙しです。


穴の底から四角に組まれた木枠が見つかりました。幅の広い板も出土したことから、縦板と横桟の構造を持つ井戸だったようです。

2006年06月01日

檜原遺跡第2次(5月22日~5月26日)


遺跡を覆う土です。約1.5mの深さで遺構が見つかりました。


遺構を掘り始めました。砂混じりの硬い土です。


埋まり方などを観察するため半分だけ掘りました。下からは水がこんこんと湧いてきます。井戸だったのでしょうか。

2006年05月25日

檜原遺跡第2次(5月15日~5月19日)


A区と呼んでいる調査区の西側の遺構検出状況です。溝跡や柱穴などが230ほど見つかりました。


同じくA区の東側の遺構検出状況です。中央部分は窪地になっています。

2006年05月17日

檜原遺跡第2次(5月9日~5月12日)


調査区の範囲を掘りました。遺構が見つかるところまでの土の深さなどを観察して、表土を除去する時の目安にします。


重機械を使って表土を除去しています。遺跡までは約1mの深さがあります。


遺構の検出作業を始めました。黒く見えるのが遺構です。

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