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2006年11月22日

天王遺跡(11月13日~11月17日)


調査が終わったそばから調査区が埋められていきます。


調査に使った器材を積み込んで調査終了です。


テンノウさまをバックに記念写真です。今までご覧いただきありがとうございました。来年の2次調査をお楽しみに。

2006年11月14日

天王遺跡(11月6日~11月10日)


農道部分の遺構を掘り下げました。


農道部分の遺構が掘り上がりました。地元の方の話では熊野大社のある宮内地区に抜ける昔からの道ということでしたが、古い道の遺構は見つかりませんでした。

2006年11月08日

天王遺跡(10月30日~11月2日)


調査区の中を通っていた農道の付け替え工事を行ないました。


これから農道が通っていた部分の調査を行ないます。多くの遺構が見つかりました。

2006年11月02日

天王遺跡(10月23日~10月27日)


空撮準備のため調査区の掃除をしました。雨が降ったりやんだりの中での作業でした。


空撮の日には何とか雨が上がりました。


秋晴れの中、調査説明会を行ないました。25名の方に参加していただきました。

2006年10月25日

天王遺跡(10月16日~10月20日)


太陽がだいぶ低くなってきました。遺構の掘り下げはほぼ終了し、来週の空撮と説明会に向けて調査区の清掃をしました。

2006年10月17日

天王遺跡(10月10日~10月13日)


この季節、置賜地方は霧に包まれる朝が増えてきます。10時過ぎまで霧が晴れないこともあります。


以前見つかっていた溝の続きが拡張部分でも見つかりました。中世前期の遺物が出土します。


溝が掘りあがりました。何度も流れを変えていたようです。

2006年10月11日

天王遺跡(10月2日~10月6日)


堀の壁に沿って、円形の痕跡が密集して見つかりました。土留めのための杭の跡でしょうか。


堀と考えられる遺構が掘りあがりました。幅は約8mあります。2列目の人が並んでいる部分は幅が半分ほどに狭まっており、出入り口に当たると考えられます。


写真奥の田んぼが狭くなっている部分が、堀の延長のように見えます。

2006年10月03日

天王遺跡(9月25日~9月29日)


川跡を掘り下げたところ、直線的な壁が現れました。自然の川ではないようです。


反対側から見た様子です。溜め池のような施設か、屋敷を区画する堀の可能性があります。

2006年09月28日

天王遺跡(9月19日~9月22日)


A区拡張部分の遺構を検出しました。溝や柱穴が見つかりました。


B区の拡張部分です。右下の水溜りからつながる蛇行した川跡と、左側の直線的な溝跡が見つかりました。


川跡の掘り下げを始めました。鎌倉時代頃の陶器や、石臼の破片、平安時代の須恵器などが出土しています。


川跡の最上層から出土した板碑です。2基並んで彫られていたものと考えられます。

2006年09月25日

天王遺跡(9月11日~9月15日)


調査区の南側に新しい工事用道路が完成しました。


今まで工事用道路のあった北側の調査に入ります。テープを張って調査区の範囲を決めました。


雨の続いた一週間でしたが何とか表土除去が終わりました。来週から拡張部分約1,500平方メートルの本格的な調査に入ります。

2006年09月14日

天王遺跡(9月4日~9月8日)


調査の終了した南側に工事用の仮設道路を作っています。


仮設道路の工事の間、遺構の測量を行ないました。


調査区の中央に流れている溝の断面を記録しました。最下層には水が流れていたことを示す砂が堆積していました。上層には砂と泥が交互に堆積しています。

2006年09月05日

天王遺跡(8月28日~9月1日)


今週はほぼ掘りあがった調査区の空撮を行ないました。撮影前の掃除の様子です。雨が降ったりやんだりの天気の中での作業でした。


ラジコンヘリで撮影しました。


調査区の中央を流れる溝の跡です。溝の底や壁は、水の流れで複雑な形に削られています。

2006年09月01日

天王遺跡(8月21日~8月25日)


B区の調査も大詰めです。幅1~2m程の溝を皆で掘り下げました。


幅30センチ程の溝が4~5本並んで見つかりました。このようなまとまりが数ヶ所見つかっています。畑の跡と考えられます。

2006年08月22日

天王遺跡(8月7日~8月11日)


小さいほうの調査区(B区)の遺構精査に入りました。


最上徳内記念館に博物館実習に来ていた学生さんが発掘調査の実習に来ました。遺構の掘り方や測量、土器の洗浄について勉強していきました。


来週一週間は夏休みです。シートを敷いて遺構を保護します。

2006年08月08日

天王遺跡(7月31日~8月4日)


雨続きで手がつけられなかった溝の測量を行ないました。残しておいたベルトで土の堆積の様子を記録しました。


測量が終わると、あっという間にベルトがなくなっていきます。


うきたむ風土記の丘考古資料館に博物館実習に来ていた学生さんたちが、発掘の実習に来ました。

2006年08月01日

天王遺跡(7月24日~7月28日)


以前お伝えしたときには半分だけ見えていた円形の板です。割れた部分は桜の皮でつながれていました。


木が風で倒れたときにできる痕跡が見つかりました。地山の黄色い土の下に黒い土が斜めに入り込んでいるの特徴です。昔から風の強い場所だったことがわかります。

2006年07月25日

天王遺跡(7月18日~7月21日)


柱の穴と考えられる小さな遺構の調査に入りました。柱の跡を探すために少しだけ掘り下げます。


黒い部分が柱の跡です。その周りに、柱を据えたときに埋め立てた土が確認できました。


雨が降ると水と一緒に砂がたくさん流れてきます。特製のろ過装置が大活躍です。

2006年07月19日

天王遺跡(7月10日~7月14日)


今週は雨のため1日しか作業ができませんでした。来週に期待します。

2006年07月11日

天王遺跡(7月3日~7月7日)


日曜日の雨で溝にはたっぷり水が溜まっていました。排水にほぼ一日かかりました。


土坑から円形の板が出土しました。土の堆積の様子から、この土坑は一気に埋められたようです。


前にお伝えした大きな板碑と2基並んだ板碑の近くの水路に、板碑が石組みに転用されていました。

2006年07月06日

天王遺跡(6月26日~6月30日)


2条の溝が交わる部分の断面を観察しました。砂や粘土が複雑に堆積しています。


土坑の底から茶臼が出土しました。茶臼はお茶の葉を挽いて抹茶を作るための石臼です。お茶をたしなむ人が生活していたのでしょうか。

2006年06月28日

天王遺跡(6月19日~6月23日)


調査区の壁際で溝の断面を確認しました。溝の壁際に溜まった砂と地山がよく似ているため、断面で確認しながら掘り下げていきます。


溝の底から青磁が出土しました(写真右下)。


溝から出土した遺物です。左から珠洲焼の甕、中国産の青磁、珠洲焼の擂鉢です。青磁の内面にはヘラで唐草の模様が彫られています。溝は13世紀ごろに埋まったと考えられます。

2006年06月21日

天王遺跡(6月12日~6月16日)


小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。


遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2~3mの溝跡から掘りはじめました。


溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています。

2006年06月15日

天王遺跡(6月5日~6月9日)


大きいほうの調査区の遺構検出が終わりました。写真右奥の杉の木の下に、地元の方が「てんのうさま」と呼ぶほこらがあります。


帯状に砂が堆積した部分があります。他の場所よりやや高く、遺構がたくさん見つかりました。


前に掲載した大きな板碑の近くに、2基の板碑があります。周囲には小型の板碑も何基か並んでいました。

2006年06月08日

天王遺跡(5月29日~6月2日)


大きな2条の溝が見つかりました。2条が並行していることから道路跡かと考えましたが、調査区の南端で2条の溝は合流していました。時期差をもって付け替えられた溝のようです。


溝跡の西側には柱の跡と考えられる小さな穴が密集していました。


柱の跡とともに、約1~2m大の長方形の遺構が数基並んで見つかりました。

2006年06月01日

天王遺跡(5月22日~5月26日)


土をていねいに削って遺構を探す作業が続きます。


鎌倉時代~室町時代と考えられる壺の破片が出土しました。

2006年05月25日

天王遺跡(5月15日~5月19日)

tennou_0515_1.jpg
重機で表土をはいだ後、人力で土を削って遺構を探します。

tennou_0510_2.jpg
土の色の違う部分が遺構です。柱の跡や、長辺が1m程度の長方形の遺構が多く見つかっています。

tennou_0510_3.jpg
ここでは柱の跡や、畑の痕跡のような溝が見つかりました。

2006年05月17日

天王遺跡(5月10日~5月12日)


天王(てんのう)遺跡の調査が始まりました。当センター流の鍬入れ式で作業の安全を祈ります。


調査区の周囲に溝を掘り、遺構の見つかる深さを確認しています。


調査区から約300m離れたところに大きな板碑がありました。高さ4.12m、県内2番目の大きさです。文和三年(1354)に立てられたものです。
周囲の集落は、この板碑にちなんで大仏(おぼとけ)と呼ばれています。

2006年11月

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