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2006年12月06日

興屋川原遺跡第3次(11月27日~11月30日)


調査の実質最終日に調査した古墳時代の形の整わない落込みから、土師器片とともに須恵器坏身が出土しました。


調査の最終日、遺構を覆うシートの重しとして使っていた大量の土嚢を破り、土を調査区内に戻しました。この作業で、調査の全日程が終了しました。

2006年11月28日

興屋川原遺跡第3次(11月20日~11月24日)


今週も雨の中での調査が続きました。E区の柱穴の精査と記録作業の様子です。調査日程も大詰めを迎えています。


井戸になるのではと期待されていた大型土坑ですが、残念ながら井戸にはなりませんでした。

2006年11月22日

興屋川原遺跡第3次(11月13日~11月17日)


大型建物SB1001は掘り方の断ち割りに入りました。9月までの調査結果と同じく、30cm弱の柱痕跡が確認されています。ただし、底面までは浅く、この地が大きく削平されたことが窺えます。


今週は、ほとんどが雨の中での調査となりました。記録作成にはテントが威力を発揮します。風がなければの話ですが・・・

2006年11月14日

興屋川原遺跡第3次(11月6日~11月10日)


柱穴群は全体の掘り下げでアタリの有無を確認後、半截して底面まで下げ、断面図作成の撮影、ポイント測量を経て、完掘作業、平面図作成用の写真撮影と続きます。F区の柱穴は一部を残して完掘作業に入っています。


SB1001の新たに検出した掘り方の精査にはいりました。

2006年11月08日

興屋川原遺跡第3次(10月30日~11月2日)


2間×6間の大きな建物です。2間×4間のSB1002と軸線を同じくしており、計画的な配置が読み取れます。


この土坑からは平安時代の初め頃の須恵器と礎板が出土しました。

2006年11月02日

興屋川原遺跡第3次(10月23日~10月27日)


E区で大形の土坑が検出されました。平安時代の土器を含んでいます。井戸になる可能性もあります。


E区拡張部分の表土除去後、ジョレンを使って掘り下げ遺構の検出作業を行いました。この作業と並行し、検出した遺構の分布図を作る作業も行いました。

2006年10月25日

興屋川原遺跡第3次(10月16日~10月20日)


刈り取りの終わった遺跡周辺の水田に、今年も『冬の使者』白鳥がやってきました。
終日、落ち穂を啄んでいました。


F区の遺構検出が終わり、水路を挟んだ西側、E区の遺構検出作業に入りました。平安時代の柱穴と古墳時代の土器を含む
落ち込みが検出されています。

2006年10月17日

興屋川原遺跡第3次(10月10日~10月13日)


建物の規模が不明だったSB1001は桁行6間、梁行2間の大きな建物であることが分かりました。


F区の表土除去が終わり遺構検出のための面整理作業を行っています。地山との境界付近で平安時代の土器片が多く出土しました。

2006年10月11日

興屋川原遺跡第3次(10月2日~10月6日)


2期工事区内を対象として調査が再開されました。工事用道路となっていたため、重機を使い、路盤の撤去と表土除去を行っています。秋晴れのもと出羽富士と呼ばれる鳥海山もくっきりと望むことができました。


表土除去の終わったところから、遺構を検出するための面削り作業に入りました。今までのところ、柱穴が数基確認されています。

2006年09月28日

興屋川原遺跡第3次(9月19日~9月22日)


F区では古墳時代の遺物が出土するところが数カ所見つかっていましたが、最終的には遺構ではないと判断されました。


当初予定した調査の最終日を迎えました。今回の調査で見つかった大きな掘立柱建物跡です。

2006年09月25日

興屋川原遺跡第3次(9月11日~9月15日)


平安時代の調査が終了したE区で古墳時代の遺構の掘り下げを行いました。削平が著しいため竪穴住居跡は見つかりませんでしたが、復元可能な土師器を含む土坑が数基見つかりました。


最後の空撮を行いました。各調査区の平面図用の撮影と、調査区全体の俯瞰撮影を目的としました。

2006年09月14日

興屋川原遺跡第3次(9月4日~9月8日)


1001号建物の掘り方を断ち割りました。径30cmほどの柱痕跡(アタリ)が明確に認められました。しかし、確認面からの深さは浅く、この地域が建物のあった時代より数十cmも切り取られ、残念ながら多くの遺構はすでに削り取られたことが明らかとなりました。

2006年09月05日

興屋川原遺跡第3次(8月28日~9月1日)


2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。


2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。


来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。

2006年09月01日

興屋川原遺跡第3次(8月21日~8月25日)


F区では南北棟の1001号、1002号から離れた位置に、軸線を同じくする2棟の東西棟の建物が見つかっています。その掘り方を精査している様子です。


1001号の掘り方より少し小さくなりますが、梁行き2間、桁行き4間の掘立柱建物跡です。1001号建物跡の北に隣接する、おそらく同時期の建物と考えられます。


F区で見つかった梁行き2間、桁行き3間以上の大きな掘立柱建物跡です。建物の半分は調査区外となっています。

2006年08月22日

興屋川原遺跡第3次(8月7日~8月11日)


炎天下、テントを張って作業をしました。


テントの下は日陰になり、幾分作業がしやすくなりました。

2006年08月08日

興屋川原遺跡第3次(7月31日~8月4日)


梅雨も明けました。記録作成用の写真撮影では、テントを設営し、照明を当てての作業となりました。


平面の規模はそれ程ではありませんが、柱根の残るものは特に深いようです。

2006年08月01日

興屋川原遺跡第3次(7月24日~7月28日)


柱を埋めるために掘った穴に埋め戻された土の様子を記録しています。土色計という機械を使って、色を調べ、土質、含有物などを紙とデジタルデータで記録していきます。今週末までに150基ほどの記録が終わりました。


E区東部の柱穴密集地では直径20~25cmの小さな柱穴が200基以上見つかりました。中には柱根が伴うものもあります。今までのところ、掘立柱建物として把握可能なものは見つかっていません。

2006年07月25日

興屋川原遺跡第3次(7月18日~7月21日)


昨年からの継続調査となっていたE区西部の柱根を伴う掘立柱建物2棟(SB350、
351)の完掘状況です。


E区東部で検出した柱穴群の精査に入りました。アタリが明確なものと、柱根を伴うもの
もありますが、掘り方の大きさが径20~25cmの小さなものが多く、組み合わせもわかっ
ていません。この範囲内で100基ほどの柱穴が確認されています。

2006年07月19日

興屋川原遺跡第3次(7月10日~7月14日)


今週も雨天の日が多く、調査は足踏み状態となっています。図化作業の見通しが立ったこともあり、柱穴群の精査に着手しました。


SB350と名付けられた掘り方の柱根です。柱根は柱穴の一方に偏っていました。この建物では柱根が柱穴の真ん中にあるものと偏っているものが相半ばしています。

2006年07月11日

興屋川原遺跡第3次(7月3日~7月7日)


雨天の日が多く、調査区周辺の雑草ものびました。梅雨の合間の晴れ間に調査区内外の除草を行いました。


先週に引き続きE区の溝跡の精査を行いました。陶磁器やガラス瓶も出土しました。ほ場整備の前までに使われていた用排水路のようです。

2006年07月06日

興屋川原遺跡第3次(6月26日~6月30日)


遺構検出作業が終わり、今週から精査に入りました。新しい遺構から順次掘り下げていく予定です。


完掘作業を始める前に、掘り方の半截を行なった建物跡の全景写真をとりました。

2006年06月28日

興屋川原遺跡第3次(6月19日~6月23日)


今週はE区に戻り、遺構のプランが不明確な部分についてさらに掘り下げながらの検出作業を行いました。


乾燥による地割れと降雨による荒れを防ぐため、遺構の分布する範囲に、シートを掛け、遺構検出面を保護する作業です。

2006年06月21日

興屋川原遺跡第3次(6月12日~6月16日)


梁行き2間、桁行き4間の南北に長い掘立柱建物跡です。F区東端部では全部で4棟の掘立柱建物が見つかりました。
北東部の2棟が東西棟で南西にあるこの建物を含む2棟が南北棟です。


掘立柱建物跡が見つかったF区から出土した土器は多くはありません。
台の付いた須恵器の坏は建物の時代のものとなるようです。平安時代の初め頃ではないかと考えられます。

2006年06月15日

興屋川原遺跡第3次(6月5日~6月9日)


F区の東端部で平安時代の建物を構成する柱穴などが見つかりました。今週末までに4棟の建物があることがわかりました。


梁行2間×桁行3間の南北に長い建物跡で、柱穴の大きさが1辺70cmほどの隅丸方形
です。


梁行2間×桁行3間の東西に長い建物跡です。この建物跡の東に隣接して、もう1棟の建物があります。

2006年06月08日

興屋川原遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週後半からE区の掘り下げと面整理に入りました。1980年代に行なわれたほ場整備で、重機が遺構面に深いキャタピラー痕を残しています。遺構の保存状態はよくありません。


E区の東半部の遺構が分布する範囲について100分の一の縮尺で遺構配置図を作成しました。

2006年06月01日

興屋川原遺跡第3次(5月22日~5月26日)


古墳時代の土器とともに、小刀とみられる鉄製品が出土しました。周囲より黒っぽい炭の含まれる土層に含まれていました。


E区の面整理も東端に近くなり、ようやく古墳時代の遺構が分布する地区に入ってきました。土器が含まれる穴や柱穴などが見つかっています。

2006年05月25日

興屋川原遺跡第3次(5月15日~5月19日)


昨年度の排土除去が終わり、調査区の西側から遺構検出のための面削り作業を始めました。


昨年、積雪のため調査を中断せざるを得なかった建物跡を再検出しました。2間×3間の掘立柱建物跡が2棟です。柱根も残っており、乾燥防止にポリ袋で覆っています。

2006年05月17日

興屋川原遺跡第3次(5月8日~5月12日)


調査区の西部は水没していたため、最初の作業は自然流下を狙った排水路の掘削となりました。


昨年12月下旬の積雪の中での調査で置かれたままとなっていた排土を除去し、昨年度の調査面を再検出する作業中です。今週一杯でほぼ終了しました。

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