「興屋川原遺跡第3次」カテゴリーアーカイブ

興屋川原遺跡第3次(9月11日〜9月15日)


平安時代の調査が終了したE区で古墳時代の遺構の掘り下げを行いました。削平が著しいため竪穴住居跡は見つかりませんでしたが、復元可能な土師器を含む土坑が数基見つかりました。


最後の空撮を行いました。各調査区の平面図用の撮影と、調査区全体の俯瞰撮影を目的としました。


興屋川原遺跡第3次(9月4日〜9月8日)


1001号建物の掘り方を断ち割りました。径30cmほどの柱痕跡(アタリ)が明確に認められました。しかし、確認面からの深さは浅く、この地域が建物のあった時代より数十cmも切り取られ、残念ながら多くの遺構はすでに削り取られたことが明らかとなりました。


興屋川原遺跡第3次(8月28日〜9月1日)


2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。


2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。


来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。


興屋川原遺跡第3次(8月21日〜8月25日)


F区では南北棟の1001号、1002号から離れた位置に、軸線を同じくする2棟の東西棟の建物が見つかっています。その掘り方を精査している様子です。


1001号の掘り方より少し小さくなりますが、梁行き2間、桁行き4間の掘立柱建物跡です。1001号建物跡の北に隣接する、おそらく同時期の建物と考えられます。


F区で見つかった梁行き2間、桁行き3間以上の大きな掘立柱建物跡です。建物の半分は調査区外となっています。


興屋川原遺跡第3次(7月24日〜7月28日)


柱を埋めるために掘った穴に埋め戻された土の様子を記録しています。土色計という機械を使って、色を調べ、土質、含有物などを紙とデジタルデータで記録していきます。今週末までに150基ほどの記録が終わりました。


E区東部の柱穴密集地では直径20〜25cmの小さな柱穴が200基以上見つかりました。中には柱根が伴うものもあります。今までのところ、掘立柱建物として把握可能なものは見つかっていません。


興屋川原遺跡第3次(7月18日〜7月21日)


昨年からの継続調査となっていたE区西部の柱根を伴う掘立柱建物2棟(SB350、
351)の完掘状況です。


E区東部で検出した柱穴群の精査に入りました。アタリが明確なものと、柱根を伴うもの
もありますが、掘り方の大きさが径20〜25cmの小さなものが多く、組み合わせもわかっ
ていません。この範囲内で100基ほどの柱穴が確認されています。


興屋川原遺跡第3次(7月10日〜7月14日)


今週も雨天の日が多く、調査は足踏み状態となっています。図化作業の見通しが立ったこともあり、柱穴群の精査に着手しました。


SB350と名付けられた掘り方の柱根です。柱根は柱穴の一方に偏っていました。この建物では柱根が柱穴の真ん中にあるものと偏っているものが相半ばしています。


興屋川原遺跡第3次(7月3日〜7月7日)


雨天の日が多く、調査区周辺の雑草ものびました。梅雨の合間の晴れ間に調査区内外の除草を行いました。


先週に引き続きE区の溝跡の精査を行いました。陶磁器やガラス瓶も出土しました。ほ場整備の前までに使われていた用排水路のようです。