亀ヶ崎城跡(10月第3週) |
橋脚の据え方の調査を行ないました。周りに砂利を詰めて橋脚を固定している様子がわかります。 | |
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橋脚の脇に竹の棒が刺し込んでありました。これより下は砂層になり、崩落と湧水が激しいため掘り下げることができませんでした。 | |
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13日に現地説明会を前に記者発表を行ないました。 | |
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16日には一般の方を対象に現地説明会を 開催しました。 |
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記者発表と現地説明会で発表した木簡の 赤外線写真です。 表に「慶五 七月三日 志駄修理亮□」、 裏に「なまり玉弐千入 百部」と書いてありま した。 関ヶ原合戦のあった慶長五年(1600)、上 杉方の城であった東禅寺城(亀ヶ崎城)に、 最上義光との戦に備えて鉄砲玉を運んだ荷 札木簡です。 「志駄修理亮」は上杉方の武将で、当時の 東禅寺城代です。 文字の解読は鶴岡市立図書館の秋保良 氏によるものです。 |
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