財団法人山形県埋蔵文化財センター
上敷免(じょうしきめん)遺跡

10月第1週

 今週で調査は終了になります。調査では、平安時代前期と末期の遺構が検出されています。平安時代前期では竪穴住居跡・掘立柱建物跡・土抗・溝跡・畝状遺構などが検出されました。
 平安時代前期の遺構では、自然堤防の微高地上には竪穴住居跡、後背湿地にかかる傾斜面には畑跡が検出されています。このことから、当時の人たちが自然の地形をうまく利用して生活していたことがわかりました。平安時代末期の遺構では、掘立柱建物跡・土抗・焼土遺構などが検出されまています。掘立柱建物跡は、庇をもつ大きな建物で、このような建物に住み、輸入陶磁器や珠洲焼などを使うことができる、有力者が居たことがうかがえます。当時、この地域には成生、大山、大曾祢、山辺の各荘園があり、平泉の奥州藤原氏が繁栄して
いた時代でもあり、本遺跡もそれらと何らかの関連があったのかもしれません。平安時代前期の遺構完掘状況です。写真はすべて北からの撮影です。
 調査も追い込みです。精査作業、記録作業をおこなっています。

 調査区中央部分です。竪穴住居跡は25棟検出されています。住居跡は自然堤防の微高地に集中して検出されています。建て替えた跡や重複がみられることから、ここが当時住みやすい場所であったことがうかがえます。

 写真は遺跡の東側の範囲です。畑の畝跡と溝跡が検出されています。後背湿地にかかる傾斜面に畑を耕作していたようです。溝跡は南から北に低く、水路と考えられます。畑が使われなくなってから、溝が掘られたようです。

前の週へ 調査速報一覧 次の週へ