高擶南遺跡(5月第3週)

調査区より東方の奥羽山脈を望む

高擶南遺跡は、奥羽山脈の面白山付近に源を発し最上川に注ぐ立谷川と、立谷川の南を流れる村山高瀬川によって作られた複合扇状地の前縁帯に立地します。扇状地では地形的制約により、水を得られる地域が限られており、水が伏流してしまう扇央部などよりは自然湧水地が多い扇端部付近に遺跡が集中して立地する傾向があります。特に弥生時代以降になると、水田の適地として灌漑・排水の便利な扇状地前縁帯に人々が集落を作るようになったと考えられます。本遺跡の周辺には、縄文時代の砂子田遺跡、弥生時代の塚野目A遺跡、古墳時代の火矢塚古墳、古代の礼井戸条理遺構、中世〜近世の高擶城跡など、縄文時代から近世までの遺跡が数多く分布しており、古くから人々の生活に適した地域であることがうかがわれます。高擶南遺跡は平成13年度に1次調査が実施されました。重なり合った20棟の竪穴住居、土器捨て場として使用された土抗、畝状遺構やピット等が検出され古墳時代前期のムラの跡であることがわかりました。本年度は第2次調査となります。
つぼ堀り
調査する区域に2m×2mの方形の堀り込みをいれます。掘り込んだ内壁を観察すると土の層が何層にも重なっていることが観察できます。つぼ掘りは16カ所入れました。数多く掘ることで土層のつながりや構成がみえてきます。この作業は、次の機械で行う表土除去をスムーズに行うために不可欠のものです。
重機導入
機械を使って、地表から土をはぎとっていくと、過去の生活面につきあたります。つぼ掘りで土層のイメージはつかんでいても、緊張する作業です。
機械がわずかに削り残した土を、移植べらで取り除いています。包含層があらわれました。過去の生活の跡(遺構)もこの層のなかにあるかもしれません。
土器が出土しました。古墳時代の、土師器という素焼きの土器です。出土状況を観察して記録をしていきます。
風の強い日は、見る間に土が乾いてしまいます。乾燥防止に水を撒き、乾かないように、ビニールシートで覆っておきます。
遺跡の地区設定
公共座標により、遺跡の絶対位置を確定します。木杭を地面に方眼に打ち込んでいきます。遺構の検出や、遺物の出土地点を正確に記録するための基準杭になります。
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