財団法人山形県埋蔵文化財センター
調査説明会のお知らせ
行司免遺跡興屋川原遺跡木の下館跡発掘調査説明会

日時 平成17年11月23日(水) 終了しました。
      午前11時〜 行司免遺跡
      午後1時〜 興屋川原遺跡
      午後2時〜 木の下館遺跡
場所 山形県鶴岡市水沢 日本海沿岸自動車道関係遺跡発掘調査事務所  地図

成果
 行司免遺跡では平安時代の木棺墓、溝跡、旧河川が見つかり、9世紀から10世紀にかけての土器や木製品、銭貨が出土しました。土器は915年頃に降下した十和田a火山灰をはさんで上下から出土し、火山灰の下からは我国古代の皇朝十二銭の一つである「富寿神宝」も出土しました。平安時代の遺跡からの「富寿神宝」の出土は県内で最初となります。また、木棺は庄内地方で最初になります。
 興屋川原遺跡からは古墳時代の溝跡、平安時代の掘立柱建物跡、溝跡が見つかり、特に平安時代の溝跡からは土器とともに、容器をはじめとする多数の木製品や木簡が出土しました。木製品は県内ではこれまでに出土したことのなかったものも多数あります。また、木簡をはじめとする文字資料も多く、当時の出羽群の郷名である「太田」と墨書された土器も見つかっています。
 木の下館跡は主郭の北東部の尾根に作られた曲輪が調査対象となりました。掘立柱建物跡や土坑、溝跡などが見つかりました。このほか、縄文時代の土器と石器も出土しました。
中落合遺跡発掘調査説明会

日時 平成17年11月19日(土) 午後1時30分から 終了しました。

場所 山形県南陽市中落合 中落合遺跡発掘調査地内 地図

成果
 遺跡は上無川の自然堤防上の微高地に立地する奈良・平安時代を中心とする遺跡です。現在まで掘立柱建物跡7棟のほか、井戸跡、溝跡、土坑、河川跡などが見つかっています。また、区画施設と推測される柱列や古墳時代の方形周溝墓も検出され、河川跡から、墨書土器など多くの土器が出土しています。
中山城跡上ノ山館跡発掘調査説明会

日時 平成17年11月11日(金) 午後2時から 終了しました。

場所 山形県上山市中山字上郭弐 中山城跡発掘調査事務所(旧中山小学校跡地) 地図

成果
 戦国時代に築城されたとされる中山城は、村山地方と置賜地方の境界にあり、江戸時代は上杉氏の北の防衛拠点であった山城です。天守山と前森山の間の急傾斜な狭い場所に、上杉氏家臣の武家屋敷跡(家中屋敷)と段差のある曲輪跡があります。
 この度の発掘調査は、一般国道13号上山バイパス改築事業によるもので、5月から半年にわたる調査を行っています。その結果、それぞれの屋敷跡から、井戸跡、便所跡と考えられる埋設された桶、建物の柱穴跡、すり鉢や茶碗などの近世陶磁器、銭、石臼、砥石、瓦、鉄砲玉などが出土しています。
 特に注目するものは、陶器に付着した「漆」と思われる朱色の物質です。家中屋敷では漆塗りが内職として行われていたと伝えられていますが、それを裏付けることになるのではないでしょうか。
 なお、当日は説明会の後に、日本の戦国時代に、敵の城の上に飛ばして宣伝ビラをまいたとされる凧「風弾(ふうたん)」の飛行(風がある場合です)を行います。調査報告とあわせてお楽しみ下さい。
 
 多数のご参加を、お待ちしております。
庚壇遺跡発掘調査説明会

日時 平成17年10月21日(金)午後2時から 終了しました。

場所 山形県南陽市大字長瀞 庚壇遺跡発掘調査地内 地図

成果
 今次の調査では、縄文時代中期から近代に至る遺構・遺物が確認されました。特に県内で2例目となる弥生時代後期の竪穴住居跡が検出され、該期の遺物が多数出土しました。また、古墳時代前期の倉庫跡が2棟検出され、遺物包含層から多数の土器、土製品が出土しました。他に平安時代の区画溝や土坑、近世・近代の墓も検出されました。
北向遺跡発掘調査説明会

日時 平成17年10月14日(金)午後2時から 終了しました。

場所 山形県山形市大字風間字北向地内(楯山小学校隣) 北向遺跡(第2次)発掘調査地内 地図
成果
 奈良・平安時代から中世にかけての、竪穴住居跡や掘立柱建物跡、溝跡が検出されました。また合せ口の甕棺なども出土しています。平成15年度の一次調査に続いて見つかった数多くの遺構から、長期にわたり営まれた大集落の一端を知ることができます。村山地方の古代の歴史を検証する上で、貴重な資料となります。
大在家遺跡発掘調査説明会

日時 平成17年10月9日(日) 午後2時から 終了しました。

場所 山形県東置賜郡高畠町大字高畠大在家(旧高畠高等学校正面西側) 
      大在家遺跡発掘調査地内 地図

成果
 大在家遺跡は、奈良・平安時代、中世から近世に関わる遺跡です。調査の結果、掘立柱建物跡を構成すると思われる柱穴、石積みの井戸跡、近世の上水に用いた木樋(もくひ:木の樋)、陶磁器、漆器、金箔が施されたキセルなどが見つかりました。また、江戸時代の『元禄の頃羽州高畠之図』(絵図)に描かれた堰の辺りから、凝灰岩(高畠石)で組まれた護岸跡と堰跡も発見されました。護岸用の石には板碑(いたび)も転用されていました。
 この一帯が古代から現在まで連綿と続く、高畠町の中心的な場所だったことが推測されます。今回は大在家遺跡の発掘調査内容を出土した遺物や作成した遺構図、空中から撮影した遺跡の全体写真、元禄期の絵図などをもとに現地で説明します。
百刈田(ひゃくがりだ)遺跡発掘調査説明会

日時 平成17年9月23日(金)秋分の日 午後1時から 終了しました。

場所 山形県南陽市大字島貫 百刈田遺跡発掘調査地内 地図

成果
 百刈田遺跡は、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代、中世にわたる複合遺跡です。
 今年度は、調査の結果、弥生時代中期後半のお墓の跡(再葬墓)と考えられる遺構が10数箇所検出され、多くの弥生土器が出土しています。山形県内でこのような多くの再葬墓が発掘された例はなく、極めて貴重な発見といえます。
 これらの土器は説明会の後、間もなく取り上げてしまいますので、発掘現場で検出された状態でご覧いただける機会は今回が最後となります。このほか、古墳時代の土器、奈良、平安時代の土坑や溝跡が検出されています。
亀ヶ崎(かめがさき)城跡発掘調査説明会
日時 平成17年9月10日(土)  11時00分〜 終了しました。

場所 山形県酒田市亀ヶ崎1-3-60  亀ヶ崎城跡発掘調査地内(県立酒田東高敷地) 地図 

成果  
 亀ヶ崎城跡は、鶴ヶ岡城を本城とする庄内藩の支城です。城跡に建つ県立酒田東高等学校の校舎新築に伴い、城の本丸、二の丸部分の調査を行なっています。  調査では、主に16世紀から17世紀初頭の遺構・遺物が多く出土し、亀ヶ崎城の前身である東禅寺城期の様相が明らかになりました。  昨年度の調査では、慶長五年に鉄砲玉を運んだことを示す木簡が出土し、庄内地方の緊迫した情勢が明らかになりました。今年度はその周辺の調査を行うことにより、当時の城内の生活の様子がより明らかになってきています。
万治ヶ沢(まんじがさわ)遺跡発掘調査説明会
日時 平成17年8月6日(土)  13時30分〜 終了しました

場所 山形県鶴岡市大字矢引字万治ヶ沢  万治ヶ沢遺跡発掘調査地内 地図 

成果  
 調査は、A地点とB地点の2ヵ所を行い、A地点は縄文時代中期の狩猟や採集などに係わる遺跡で、石器や縄文土器が見つかりました。B地点は平安時代の赤焼土器を焼成した生産遺跡で、土器を焼成した窯跡をはじめ、掘立柱建物跡が見つかっています。  特に注目される遺構として、土器焼成遺構が多数見つかっており、平安時代後半の土器生産を探る上で貴重と思われます。
蛇崩(じゃくずれ)窯跡発掘調査説明会
日時 平成17年8月5日(金)  14時00分〜 終了しました
場所 山形県長井市河井  蛇崩窯跡発掘調査地内 地図 会場案内 341KB

成果  
 蛇崩窯跡は、平安時代の窯跡です。調査の結果見つかった窯跡は、当時使用された須恵器という土器を焼いた登り窯で、地面を掘り窪め、天井を架けた半地下式と呼ばれる構造のものです。窯の中から出土した土器の特徴から、9世紀後半頃に操業されていたと考えられます。
 当地区は良質な土、豊富な水、燃料に恵まれていることもあり、隣接する加賀塚窯跡の他にも周囲にはまだ数多くの窯跡が存在すると言われています。平安時代、八ヶ森一帯が土器生産の拠点的役割を担っていたことが推測されます。この窯跡群の一つである蛇崩窯跡の調査により、窯跡群の時期的な変遷、周辺遺跡との供給関係、平安時代の長井の生活など、多くの課題に対する資料が提供されます。
上敷免(じょうしきめん)遺跡発掘調査説明会
日時 平成17年7月30日(土)  14時00分〜  終了しました

場所 山形県山形市大字成安字上敷免  上敷免遺跡発掘調査地内
                                   地図 駐車場案内 304KB

成果   
 本遺跡は山形市の須川下流に立地する平安時代前期と末期の複合遺跡で、 当時の人々が生活した竪穴住居跡や掘立柱建物跡などが検出されています。
 平安時代前期では自然堤防上に20棟を超える竪穴住居跡が検出され、そ の中から火舎香炉などの仏具や糸をつむぐ紡錘車などが出土しました。 
 平安時代末期では二面廂を持つ2棟の2間×5間の掘立柱建物跡と、それに 付属する建物跡が検出されました。また、人骨と思われる遺物と刀子が出土 した墓坑も検出されました。高温で焼かれた壺状の炉と思われる土坑では、鉄 を精錬していた可能性があります。
 特に平安時代末期の建物周辺から12世紀頃の特徴が見られる珠洲焼の甕 や、岩手県平泉のものと似たロクロづくりのかわらけも出土しており、現在 テレビで放送されている大河ドラマ「義経」と同時代の貴重な遺跡として注目されます。
上野(わの)遺跡発掘調査説明会
日時 平成17年7月23日(土)  11時〜   終了しました

場所 山形県南陽市大字上野字上野  上野遺跡発掘調査地内   地図

成果 
 遺跡は、縄文時代、奈良・平安時代、中近世にわたる複合遺跡です。調査の結果、奈良・平安時代では、土師器が出土する土坑、中近世では、掘立柱建物跡を中心とした集落が確認されました。建物の柱穴には、底面に板材による礎板を据えたものが確認され、柱の沈下防止の工夫と考えられます。
 遺物では、縄文時代の土器や石器、奈良・平安時代では、土師器の甕、中近世では陶磁器など、当時の生活が窺われるものが出土しています。