小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。
遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2〜3mの溝跡から掘りはじめました。
溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています
小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。
遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2〜3mの溝跡から掘りはじめました。
溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています
大きいほうの調査区の遺構検出が終わりました。写真右奥の杉の木の下に、地元の方が「てんのうさま」と呼ぶほこらがあります。
帯状に砂が堆積した部分があります。他の場所よりやや高く、遺構がたくさん見つかりました。
前に掲載した大きな板碑の近くに、2基の板碑があります。周囲には小型の板碑も何基か並んでいました。
大きな2条の溝が見つかりました。2条が並行していることから道路跡かと考えましたが、調査区の南端で2条の溝は合流していました。時期差をもって付け替えられた溝のようです。
溝跡の西側には柱の跡と考えられる小さな穴が密集していました。
柱の跡とともに、約1〜2m大の長方形の遺構が数基並んで見つかりました。
土をていねいに削って遺構を探す作業が続きます。
鎌倉時代〜室町時代と考えられる壺の破片が出土しました。
重機で表土をはいだ後、人力で土を削って遺構を探します。
土の色の違う部分が遺構です。柱の跡や、長辺が1m程度の長方形の遺構が多く見つかっています。
ここでは柱の跡や、畑の痕跡のような溝が見つかりました。
天王(てんのう)遺跡の調査が始まりました。当センター流の鍬入れ式で作業の安全を祈ります。
調査区の周囲に溝を掘り、遺構の見つかる深さを確認しています。
調査区から約300m離れたところに大きな板碑がありました。高さ4.12m、県内2番目の大きさです。文和三年(1354)に立てられたものです。
周囲の集落は、この板碑にちなんで大仏(おぼとけ)と呼ばれています。