
館跡の北側の調査を開始しました。斜面の中で地形に変化がみられるところにトレンチを設定し、掘り下げていきます。

江戸時代に焼かれた磁器の碗が出土しました。現在までに飯田館跡で出土している遺物は18世紀代に焼かれたものが多い印象があります。

館跡の北側の調査を開始しました。斜面の中で地形に変化がみられるところにトレンチを設定し、掘り下げていきます。

江戸時代に焼かれた磁器の碗が出土しました。現在までに飯田館跡で出土している遺物は18世紀代に焼かれたものが多い印象があります。

遺跡は、庄内藩庁である鶴ヶ岡城跡の二の丸堀の北東角、いまの鶴岡公園東駐車場内にあります。古地図では、鶴ヶ岡城三の丸にあたり、「松平武衛門家」や「酒井吉之亟家」といった上級家老の屋敷地であったことがわかっています。また遺跡の北側には、大正2年から平成14年まで建っていた荘内病院の跡が見つかりました。

近世整地層上面に残された遺構が徐々に明らかになってきました。調査区中央付近では、黒っぽい粘土質の細長い遺構が東西に規則的に数条並んでいる様子が確認されました。

黒色の土が並んで確認されました。畑のうね跡の可能性が考えられます。

今週も竪穴建物の調査を進めました。この時代の建物には、食事をつくるカマドが作り付けられていることが多く、その付近には遺物がたくさん出土する傾向にあります。

この建物では、カマドからの煙を外に出すための施設(煙道)が外側に伸びている様子が検出されました。

こちらの小ぶりな建物からは、カマドの煙道の先端に割れた土器片をすえていました。

今回の調査区は斜面地と、平坦地の縁がほとんどになります。平坦地の縁も狭いため安全に注意して作業を行う必要があります。

各所にあけたトレンチも徐々に掘りあがってきました。掘りあげたトレンチは写真撮影や土の堆積を記録していきます。

暑い日が続きますが、今週も遺跡の面整理を行っていきます。シートをかけていたこともあり、土が湿って重くなっています。

こちらは西原遺跡北側の空撮写真です。柱跡があり、東端では遺物を多く含む溝も見つかっています。

少し天気が不安定な週でした。この日は午前中に雨が降っていたため、取り上げて保管していた遺物の洗浄作業をしました。遺物についていた土を水とブラシで取り除いていきます。

金曜日の調査区北側の様子です。土の色の違いがよく見えるようになりました。残った南側も来週以降きれいにしていきます。

今週は竪穴建物の調査を中心に進めました。土の堆積を確認しながら、みんなで協力して慎重に調査しています。

こちらの建物はやや小ぶりですが、状態の良い遺物が出土しています。

柱穴とみられる小さな穴を断ち割ったところ、土器片がぎっしり詰められている様子がみられました。

埋まりかけた竪穴建物(白線)の一部を壊して複数の土坑が掘り込まれています。土坑の底面は焼けて炭・焼土を多く含んでいました。東原遺跡では、このような遺構の状況が多く見られます。

6月22日~26日の調査速報で取り上げた焼土範囲で鉄の矢じりが出土しました。先がふたつに分かれた「雁又(かりまた)」で、合戦の合図や祭祀など特別な用途に用いられたものです。

砂田遺跡北区の空撮のため面整理作業を行いました。広い現場のため複数回空撮を行い、パソコン上で写真を合成します。

重機による掘削等の作業が終わり、返却のための移動を行いました。大型の重機なので調査区内を横断する形で移動させていきます。遺構面をなるべく傷つけないようにゴムマットを敷いています。

昨年の調査で一部が見つかっていた遺構の精査を進めたところ、全体の様子がはっきりしてきました。いびつな形ですが底面の広い範囲に焼土が厚くたまっており、何度も火を焚いていた場所だったことがわかります。

覆っている土を取り除き、カマドを掘り出しています。向かって右側のソデは壊れてしまっていますが、左側は芯材である石の列とそれを覆い固めた粘土がしっかりと残っていました。

調査区の南側では竪穴建物がいくつも見つかっています。その中で最も大きな建物を精査したところ、3つの建物が重なっている状況が確認されました。