N-1区の、金箔瓦が出土したのと同じ土坑から、
面白い模様の陶磁器が出土しました。
N-2区からも、貴重な遺物が多数出土しているので、
出土状況の記録写真を撮っています。
今週は、B-4・N-1・2・O-1区と新たに4つの調査区の遺構検出を始めました。
このN-1区は、国道112号線北側の最も東にある面積の小さな調査区ですが・・・
調査区の中央やや北より(画面左より)に、ほぼ完全な丸い形の遺物が確認できます。
大きな土坑(どこう=穴)の中にあるようです。
17世紀前半頃のものと推定される唐津焼の皿です。
縁の一部が欠けていますが、かなり良い状態で残っていました。
同じN-1区(唐津の陶器が出土したすぐ近く)から見つかった軒丸瓦の破片です。
一部(画像左下のあたり)がキラキラ光っています。
よく観察すると、瓦の表面に金が付着しているのが確認できます。
どうやら「金箔瓦(きんぱくかわら)」のようです。
L-2区の全景写真です。ここもまもなく調査が終了します。
次は、新しい調査区(N区とB区)の調査が始まります。
先週も紹介しました、K-2区の石組み遺構の完掘状況です。
いよいよK-2区の調査も終了です。
9月から調査を行うB区の様子です。
K-2区の石組み遺構は、3段目・4段目と精査を進めています。
中には直径50cmを超える大きな石もあるので、たいへんな作業です。
石組み遺構4段目の状況です。
石組みの内側に一辺約120cmの正方形の木組みがあったようです。
四隅の柱の跡がはっきりと確認できます。
木組みに使われていた木材の一部が、腐らずに残っているのが見つかりました。
この遺構の年代や性格を知る手がかりになるでしょうか?
新たに調査開始したL-2区です。
検出した遺構には白く線を引きわかりやすくしています。
遺構精査の前には測量を行い、遺跡の位置の基準となる杭を設置します。
K-2区で検出された、井戸と思われる石組みの1段目の図面を作成しています。
この後、見えている石を外して2段目の調査に取り掛かります。
石組の2段目の図面を作成しています。
石組の中央にはロの字型の溝のような部分がありますが、
これは組まれていた木材が腐り、周辺の土や石だけが残って空洞になったものです。
前回紹介しました、大量の瓦が出土したL-1区の石組み遺構の5段目です。
最終的に、6段目まで瓦が出土し、総数390点の瓦が検出されました。
J-4区の調査が終了したので、埋め戻して、その上に砕石を敷いて、平らにならしています。
これから調査を行う、L-2区を重機で掘り下げています。
調査事務所のすぐそばです。
K-2区の東側は遺構精査が進み、並行して断面図・平面図作成などの記録作業を行っています。
連日の猛暑の中、熱中症に注意しながら調査を進めます。
L-1区の石組み遺構から出土した瓦は2段目の取り上げが終わり、1段目と合わせて総数237点に達しました。
その下(3段目)にもまだ大量の瓦があり、さらに精査を進めます。。
その3段目の瓦の中に「軒平瓦(のきひらがわら)」が見つかりました。
中心飾りの「宝珠文(ほうじゅもん)」と2本の唐草の文様がはっきりと確認できます。
この瓦が造られた年代を知る手がかりになります。
L-1区の瓦の実測を行っています。
ちいさな破片もひとつひとつ正確に記録していきますので、とても根気のいる作業です。
記録が終わった瓦から取り上げます。
画像のような軒丸瓦も数点出土しています。
一段目の記録と取り上げが終わりました。
下にはまだまだ大量の瓦がありました。
山形県立霞城学園高等学校の生徒と引率の先生が、遺跡の見学にいらっしゃいました。
須恵器と土師器の違いや、「せともの」について等、三の丸跡の出土品を使って職員が説明をしています。
山形県立霞城学園高等学校の生徒が見学していた瓦の写真です。
L-1区から出土しました。