1区と2区の空撮を行うために、調査区内の清掃を行いました。
カメラを搭載したラジコンヘリを飛ばし、
調査区全体が写るように俯瞰(ふかん)撮影を行いました。
1区と2区の調査が終了し、遺構等の埋戻しを行いました。
3区と4区は、次年度に調査を行うため、
ブルーシートを敷いて養生を行いました。
来週の撤収に向けて、発掘機材や休憩で使ったテントの洗浄作業を行いました。
まもなく、羽黒神社西遺跡の今年度の調査が終了になります。
11月に入って天候が不安定になりつつあります。
雨が降った翌朝の作業は雨水の除去からはじまります。
発掘調査も佳境です。
貴重な好天候の日にできるだけ作業を進めます。
最後の調査区、O-3区の完掘状況です。
今後は下層の調査を行います。
5区の溝や柱穴を掘り下げました。
5区の西壁面の断面図を作成しました。
大きく浅い溝と思われる遺構に重なっています。
1区の明治、大正時代と思われる土坑から、
牛と思われる大型動物の骨が見つかりました。頭骨です。
市道南側の竪穴からも土器が出土しました。
撮影のためにきれいにしてあります。
今週は市町村の文化財担当者研修が行われました。
これは図面作成の研修中です。
市道南側の斜面からも新たに住居跡が見つかりました。
ベルトを残して掘り下げます。
3区の面整理を再度行いました。
3区は、1区や2区よりも遺構が残されている可能性が高いです。
本格的な調査は、来年度以降になります。
半裁したフラスコ状土壙の底面の測量を行いました。
半裁した部分の底面を測量した後、断面をよく観察するために、
半裁した側を四角く掘り下げました。
おかげで、土壙の中の堆積層の様子が、よくわかりました。
7日には、本遺跡の調査成果を一般に公開する現場説明会を行いました。
寒い中での説明会になりましたが、遺跡に興味がある多くの方々が来跡されました。
1区の遺構を検出し、精査をしました。
トータルステーションを使い、平面図を作成します。
2区を重機で掘削しました。
現地表面から約2mの深さまで掘り下げた所で地山面に当たりました。
南側に立ち上がりを確認できたことから、堀と判断しました。
予想より浅かったのですが、湧水が激しく崩落の危険性が高いので、
来年度以降に再調査をする予定です。
0-3区の土坑から、お金(洪武通宝)が出土しました。
このお金は、お隣、中国に明ができた年、すなわち、
明・初代皇帝・洪武帝の洪武元年(1368年)に発行されたもので、
永楽通宝とならび明銭の代表的なお金です。
洪武通宝の一部には裏面に鋳造地を示す文字があります。
「浙」「福」「桂」「北平」などの文字です。
この出土銭にも「福」の文字が刻まれています。
0-2区の全景写真です。
この調査区の調査も終わりに近づいています。
今週は市道の南側の掘り下げを進めています。
住居跡のような遺構が多く出ています。
住居跡と思われる遺構から砥石と考えられる大きな石が出土しました。
北側の遺構も現地説明会に向けて清掃を行います。
これは落とし穴と考えられる遺構です。
先週、重機で掘削した2区の調査区です。
2m以上の深さまで撹乱を受けていました。
以前、染物屋さんだったとのことで、
染物に使った大きな甕も出土しました。
狭くて深いので、危険防止のために、
甕の出土状況を含めた記録作業を終えると、埋め戻しました。
O-3区の遺構検出のようすです。
箸(はし)が立てられているところは遺物があるところです。
調査区南側は土が軟らかいうえに遺物が多く出土しているので、
両刃鎌(りょうばがま)という道具を使って、慎重に土を削っていきます。
O-3区の遺構検出が完了しました。
大小の土坑(どこう=穴)や河川跡と思われる遺構が確認できます。
南側(写真上)の河川跡と、北側(写真下)の土坑から、遺物が多く見つかっています。
北側の土坑の精査を始めました。
写真中央の遺物は須恵器(すえき)の杯(つき)の底部のようです。
糸を使って「ろくろ]から切り離した跡が確認できます。
山形城ができた時代よりずっと前の古い時代のもののようです。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research