焼土層がはっきりと見えるように掘り下げを行いました。
焼土層からは炭化した米の塊が多く出土します。戊辰戦争で焼失した米蔵に由来するものと思われます。
ドローンで、第1面の写真撮影を行いました。かつてここにあった、新庄北高校の建物基礎があちこちに見られます。建物によって壊されていない所には焼土層の広がりが確認されます。
焼土層がはっきりと見えるように掘り下げを行いました。
焼土層からは炭化した米の塊が多く出土します。戊辰戦争で焼失した米蔵に由来するものと思われます。
ドローンで、第1面の写真撮影を行いました。かつてここにあった、新庄北高校の建物基礎があちこちに見られます。建物によって壊されていない所には焼土層の広がりが確認されます。
作業員さんに雇用通知書を渡した後、オリエンテーションを行いました。
調査区の表土を重機で掘削していきます。
掘削が終わった地面を人力で平らに削っていきます。
調査区の中に、測量や記録の基準となるグリッド杭の設定を行いました。
北側から見た調査区です。校舎のコンクリート基礎と、その内側には柱を据えた基礎が並んでいます。
根石を入れた柱を据えるための基礎です。この上に礎石を置き、学校校舎の柱を建てたと思われます。
今週も遺構の精査が続きます。柱穴や住居など、古代の人々の多くの生活のあとが見つかっています。
古代の住居あとです。だいぶ小ぶりな建物となりますが、火を焚いたカマドのあとなども見つかっています。
調査区南側の面整理を行いました。白い溝状の遺構は、公園造成時に入れられた暗渠(あんきょ)です。
第1面で確認された、旧新庄北高校の校舎の基礎と思われます。
同じく、校舎の基礎になります。円形に礫を入れた根石が並んでいました。
今週から遺構の調査がはじまりました。土色の変化する部分を掘り進めて行きます。この下からどのような発見があるのか楽しみです。
平安時代の住居跡と考えている遺構からは、早くも多くの遺物が出土してきました。当時のナベやおわんが見つかっています。
先週に続き、重機による表土の掘削を進めました。学校のコンクリート基礎が残っています。
調査区壁面の整形を行いました。公園や学校に由来する盛土は固く、大変な作業です。
赤く焼けた面が見られました。恐らく、戊辰戦争で火災になった痕と思われます。
遺構検出も終盤に入りました。土の色の違いが四角形になる場所は、住居の跡の可能性があります。
川跡のような場所からは流されてきたと考えられる土器が出土します。いまから1200年前の平安時代のものと思われます。
事務所に機材を運び込み、オリエンテーションを行いました。
調査場所の環境整備を行いました。休けいするためのテントを立て、道具置場を作っています。
重機による、表土の掘削を開始しました。
人力でていねいに土を削って行くと、土の質の変化で昔の人が掘った穴の位置がわかります。ただし、遺跡の場所は粘土質の土のため、乾くと固く、色味もわからなくなってしまうため、作業場所以外はシートで覆い保護しながら進めています。
明るい土に対して黒い土の範囲が丸くみえてきました。柱穴と推測されます。後で調査するとき、この場所がわからなくならないよう紐を使ってマーキングしています。