
調査は徐々に南側の遺構の精査に移っています。

北側の廃棄土坑の精査も続いています。その廃棄土坑の底面付近からは、小さな魚形の金属製品が出土しました。

調査区の中央部付近では大きな穴が2つ重なって検出されました。ただし、これらの穴の性格はいまのところ不明です。

調査区中央部の土坑から、3枚の同じ形をした漆器の板が出土しました。漆器は木の部分が腐食していてほとんど失われていますが、漆を塗った部分だけが残っています。出土直後の漆は、色がとても鮮やかに見えますが、時間がたつと徐々に色がくすんていきます。

調査区中央部も、調査区と同様に江戸時代の土坑が数基発見されました。

土坑の底面における、遺物の出土状況です。江戸時代の肥前地方で焼かれた徳利や鉢、甕などの陶磁器が出土しました。また、京焼と考えられる茶碗も出土しました。

先週、釣りをしている太公望の絵が描かれた茶碗が出土した土坑の掘り下げを引き続き行いました。色絵や染付などの磁器や陶器のほか、漆器などが大量に出土しました。

雨天時は、これまで出土した遺物について室内で洗浄作業を行いました。土で汚れた遺物をきれいにしていくと、庄内藩上級家老の屋敷で使われていた道具があらわになっていきます。肥前や京焼などの高級品の陶磁器がとても多いことがわかってきました。

調査区の北側では、江戸時代の遺物が出土する土坑が発見されました。

その土坑からは、肥前地方で焼かれた「太公望が釣りをしている様子」が染付で描かれた茶碗が出土しました。釣りといえば、庄内藩ではかつて藩士の足腰の鍛錬とたしなみとして、釣りが奨励されていたことで有名です。まさに、庄内藩ならではの遺物でしょう。

同じ土坑からは、刃物も出土しました。漆器の椀と思われるものやほうろく、こんろなど、調理に関わる遺物が大量に出土しました。

調査区の中央部の遺構精査も始まりました。中央部でも江戸時代の土坑が複数発見されました。

今週は、35℃前後の気温の中で作業を行いました。調査では、暑さ対策のために扇風機を回しながら作業を進めました。

江戸時代に掘られたと考えられる土坑から、当時の陶磁器や土師質こんろのほか、瓦質ほうろくが発見されました。いまのフライパンと同じ用途として使われたものです。

調査区の南東角で、荘内病院跡の下から、江戸時代の陶磁器やこんろ、ほうろくのほか、越前焼の大型の甕(かめ)が出土する廃棄土坑が発見されました。

今週は雨の合間をぬっての作業でした。

調査区の北側にあった、かつての荘内病院跡の下にある整地層のさらに下に、黒い土の遺構が大きく拡がっていることがわかりました。

病院跡の下に、江戸時代のはじめころの陶磁器を含む遺構が見つかりました。遺構の半分を掘って、遺構がどのように埋まっていたのか土の堆積状況を調べます。

遺跡は、庄内藩庁である鶴ヶ岡城跡の二の丸堀の北東角、いまの鶴岡公園東駐車場内にあります。古地図では、鶴ヶ岡城三の丸にあたり、「松平武衛門家」や「酒井吉之亟家」といった上級家老の屋敷地であったことがわかっています。また遺跡の北側には、大正2年から平成14年まで建っていた荘内病院の跡が見つかりました。

近世整地層上面に残された遺構が徐々に明らかになってきました。調査区中央付近では、黒っぽい粘土質の細長い遺構が東西に規則的に数条並んでいる様子が確認されました。

黒色の土が並んで確認されました。畑のうね跡の可能性が考えられます。

少し天気が不安定な週でした。この日は午前中に雨が降っていたため、取り上げて保管していた遺物の洗浄作業をしました。遺物についていた土を水とブラシで取り除いていきます。

金曜日の調査区北側の様子です。土の色の違いがよく見えるようになりました。残った南側も来週以降きれいにしていきます。

今週も暑い中での作業となりました。調査区内にも扇風機を設置したり日陰で休憩をとったりしながら固い地面をスコップやつるはしで掘り下げていきます。

遺物が混ざっていないか確認しながらカクランや近代整地層を重機で大きく削っていきます。来週はこの削ったあとの面を調査します。

石などが混ざる固い土を三角鎌やスコップを使って削っていきます。

地面を掘り下げていきます。黒い土の層はまだまだ続いているようです。

土日に雨が降ったので、ひしゃくやスポンジなどで排水するところから作業が始まりました。

また調査区の北側から地面を薄く削っていきます。この後で調査区全体の写真を撮りました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research