小さな穴の断面です。表面は炭が混じるために黒くなっており、土器が散らばっています。
杭が並んで検出されました。写真、左側は3本、右は1本でています。
小さな穴の断面です。表面は炭が混じるために黒くなっており、土器が散らばっています。
杭が並んで検出されました。写真、左側は3本、右は1本でています。
7月に入ると途端に雨天が続きました。早く梅雨があけて欲しいものです。
調査区の東側の面整理に入りました。うっすらと周りと違う色をした砂が出てきました。溝が縦横無尽に入っているようです。
曲がる溝跡のようなものが四角い遺構に切られているようです。この他にも曲がる溝のようなものは幾つかあります。
行司免遺跡の東側は写真のような細い溝が南北に何条か走っているようで、このうち確認できた4条を調査しました。
これもまた溝跡と思われます。このように行司免遺跡は、溝が何条も掘られていたことがうかがえます。
地面を柱状に残していた箇所を掘り下げて地層の重なり具合を調べました。
溝跡(SD5)の調査を行っています。
人が中に入っているこの溝は調査区を東西に流れる溝です。
SD5の断面を撮影しました。
両刃鎌を使って丁寧に地面を削っていきます。きれいになった地面のわずかな土の違いを見つけて溝跡などを見つけていきます。
石が集まっている箇所の調査に取りかかりました。まだ、この遺構の性格はわかりませんが石は熱をうけているようです。
須恵器が出土しました。奈良時代のものです。
東北芸術工科大学の方々に御協力いただいて木棺墓を取り上げる準備をしています。ウレタンを木棺墓の周りなどに流して周囲を固定します。
ウレタンで木棺墓を覆ったところです。
地面から切り離した木棺墓をトラックに積み込む様子です。センターにて保存処理を行っていきます。
新たに木棺墓が検出されました。昨年の調査で2基出ており、これで3基目になります。なお、すぐ隣から土器も出ています(写真左側)。
木棺墓は取り上げて埋蔵文化財センターで詳しく調査することにしました。土ごと切り取って運ぶ作業を行ないました。
先週紹介した炭や木材が見えていた場所を調査しています。何の骨かはまだわかりませんが、炭の上に骨粉のまとまりも検出されました。おびただしい炭の下には木材があります。木材は、一部焼けていますが、炭化したところと生の部分が入り混じっていること、焼土は見られないこと、地面も火を被った痕跡が認められないことなどから、これらの木材や炭はどこからか持ち込まれたものと考えられます。調査が進めばいろんなことが解ると思います。
土の質感が周囲と少し違っていたところを掘り下げた直後の写真です。大量の遺物が出土しています。行司免遺跡は溝が東西南北に走り、遺物を大量に伴う特徴が昨年度の調査で明らかになっています。また、自然の窪地から大量の遺物が出ることもあります。ここも溝の可能性が出てきました。更に掘る範囲を広げ溝かどうかを検証していきます。
昨年、炭が見えていてぼんやりと黒かった箇所を削ってみたところ木材も発見されました。
近日中に精査を行い、これが何であるかを調べます。
ピット(穴)を断ち割ってみたところ、中に土器が埋まっていました。出土状況は、平安時代の地鎮祭の跡とよく似ています。
鉄製品も出土しました。昨年度の調査では平安時代の鉄製品は出ておらず、この遺跡では初の出土となります。
土捨て場として旧河川を利用しようと思い、掘り下げたところ木が出てきました。
一本の木なのか何本か密集しているのかはまだわかりませんが大木であったであろうことは想像ができます。
また、この付近からは大きい角ばった礫(写真後方)や柱のようなもの(写真右側)が検出されました。
先ほど紹介した柱のようなものや角ばった礫のアップです。
この周りからは平安時代の赤焼土器が流れ込んでいます。大木を含めこれらが何を意味するかを考えていかねばなりません。