調査区から県道をはさんで西に地蔵堂と板碑がたっています。加藤和徳氏は『中世奥羽と板碑の世界』(共著)の中で、板碑を紹介しています。これによると板碑の主尊は阿弥陀如来で、正面下に永仁2(1265)年の年紀があるようです。
調査区南側の柱穴の集中域を写したものです。北側に東西に溝が走っており、その遺構より南側に多数の柱穴が存在します。
区画している溝です。断面形がV字になっており、薬研堀のようになっています。幅が1間ほどで、検出面からの深さは1mを超えています。
調査区から県道をはさんで西に地蔵堂と板碑がたっています。加藤和徳氏は『中世奥羽と板碑の世界』(共著)の中で、板碑を紹介しています。これによると板碑の主尊は阿弥陀如来で、正面下に永仁2(1265)年の年紀があるようです。
調査区南側の柱穴の集中域を写したものです。北側に東西に溝が走っており、その遺構より南側に多数の柱穴が存在します。
区画している溝です。断面形がV字になっており、薬研堀のようになっています。幅が1間ほどで、検出面からの深さは1mを超えています。