「山形城三の丸跡第14次」カテゴリーアーカイブ

山形城三の丸跡14次(9月8日~12日)

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今週は、B-4・N-1・2・O-1区と新たに4つの調査区の遺構検出を始めました。
このN-1区は、国道112号線北側の最も東にある面積の小さな調査区ですが・・・

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調査区の中央やや北より(画面左より)に、ほぼ完全な丸い形の遺物が確認できます。
大きな土坑(どこう=穴)の中にあるようです。

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17世紀前半頃のものと推定される唐津焼の皿です。
縁の一部が欠けていますが、かなり良い状態で残っていました。

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同じN-1区(唐津の陶器が出土したすぐ近く)から見つかった軒丸瓦の破片です。
一部(画像左下のあたり)がキラキラ光っています。

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よく観察すると、瓦の表面に金が付着しているのが確認できます。
どうやら「金箔瓦(きんぱくかわら)」のようです。


山形城三の丸跡14次(9月1日~5日)

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今週から国道112号の南側と北側にある新たな調査区での発掘調査を行います。
この調査区ではどんな発見があるのか、緊張の表土除去です。

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112号の北側の調査区N-2区から、軒平瓦が出土しました。
中心飾りの三葉文とその周囲の上方三珠点、先端が渦を巻く唐草文を確認できます。


山形城三の丸跡14次(8月18日~22日)


K-2区の石組み遺構は、3段目・4段目と精査を進めています。
中には直径50cmを超える大きな石もあるので、たいへんな作業です。


石組み遺構4段目の状況です。
石組みの内側に一辺約120cmの正方形の木組みがあったようです。
四隅の柱の跡がはっきりと確認できます。


木組みに使われていた木材の一部が、腐らずに残っているのが見つかりました。
この遺構の年代や性格を知る手がかりになるでしょうか?


山形城三の丸跡第14次(8月4日~8日)


新たに調査開始したL-2区です。
検出した遺構には白く線を引きわかりやすくしています。
遺構精査の前には測量を行い、遺跡の位置の基準となる杭を設置します。


K-2区で検出された、井戸と思われる石組みの1段目の図面を作成しています。
この後、見えている石を外して2段目の調査に取り掛かります。


石組の2段目の図面を作成しています。
石組の中央にはロの字型の溝のような部分がありますが、
これは組まれていた木材が腐り、周辺の土や石だけが残って空洞になったものです。


山形城三の丸跡14次(7月28日~8月1日)


前回紹介しました、大量の瓦が出土したL-1区の石組み遺構の5段目です。
最終的に、6段目まで瓦が出土し、総数390点の瓦が検出されました。


J-4区の調査が終了したので、埋め戻して、その上に砕石を敷いて、平らにならしています。


これから調査を行う、L-2区を重機で掘り下げています。
調査事務所のすぐそばです。


山形城三の丸跡14次(7月22日~25日)


K-2区の東側は遺構精査が進み、並行して断面図・平面図作成などの記録作業を行っています。
連日の猛暑の中、熱中症に注意しながら調査を進めます。


L-1区の石組み遺構から出土した瓦は2段目の取り上げが終わり、1段目と合わせて総数237点に達しました。
その下(3段目)にもまだ大量の瓦があり、さらに精査を進めます。。


その3段目の瓦の中に「軒平瓦(のきひらがわら)」が見つかりました。
中心飾りの「宝珠文(ほうじゅもん)」と2本の唐草の文様がはっきりと確認できます。
この瓦が造られた年代を知る手がかりになります。


山形城三の丸跡14次(7月14日~18日)


L-1区の瓦の実測を行っています。
ちいさな破片もひとつひとつ正確に記録していきますので、とても根気のいる作業です。


記録が終わった瓦から取り上げます。
画像のような軒丸瓦も数点出土しています。


一段目の記録と取り上げが終わりました。
下にはまだまだ大量の瓦がありました。


山形城三の丸跡14次(7月7日~11日)


山形県立霞城学園高等学校の生徒と引率の先生が、遺跡の見学にいらっしゃいました。


須恵器と土師器の違いや、「せともの」について等、三の丸跡の出土品を使って職員が説明をしています。


山形県立霞城学園高等学校の生徒が見学していた瓦の写真です。
L-1区から出土しました。