「新庄城二の丸跡」カテゴリーアーカイブ

新庄城二の丸跡(6月12日~16日)


焼土層がはっきりと見えるように掘り下げを行いました。


焼土層からは炭化した米の塊が多く出土します。戊辰戦争で焼失した米蔵に由来するものと思われます。


ドローンで、第1面の写真撮影を行いました。かつてここにあった、新庄北高校の建物基礎があちこちに見られます。建物によって壊されていない所には焼土層の広がりが確認されます。


新庄城二の丸跡(6月5日~9日)


調査区の中に、測量や記録の基準となるグリッド杭の設定を行いました。


北側から見た調査区です。校舎のコンクリート基礎と、その内側には柱を据えた基礎が並んでいます。


根石を入れた柱を据えるための基礎です。この上に礎石を置き、学校校舎の柱を建てたと思われます。


新庄城二の丸跡(5月22日~26日)


先週に続き、重機による表土の掘削を進めました。学校のコンクリート基礎が残っています。


調査区壁面の整形を行いました。公園や学校に由来する盛土は固く、大変な作業です。


赤く焼けた面が見られました。恐らく、戊辰戦争で火災になった痕と思われます。