「鶴ヶ岡城跡第3次」カテゴリーアーカイブ

鶴ヶ岡城跡第3次(8月29日~31日)


東調査区も埋戻しが完了しました。学校の引っ越しも完了し、校舎の改修工事を待つばかりです。


グラウンドに置いていた残土はきれいになくなりました。写真奥は夏休みが明けて授業が始まった仮設校舎です。


グラウンドに敷いていた鉄板を撤去しています。撤去後グラウンドを整備し、現地調査終了です。


鶴ヶ岡城跡第3次(8月22日~23日)


東調査区の調査も終了し、最後に屋上から全景を撮影しました。調査区右上の深い部分が七ツ蔵の堀跡です。


安全のため、写真を撮った直後には埋戻しが始まりました。埋まるのはあっという間です。


発掘器材を運び出して調査終了です。調査にご協力いただいた関係機関の皆様、作業員の方々にお礼申し上げます。


鶴ヶ岡城跡第3次(8月8日~11日)


東調査区で見つかった堀の土層断面です。近代の溝の壁面で堀の立ち上がりを確認しています。


調査区の南側では、堀の立ち上がりが近代の溝に壊されずに数十センチの幅で残っていました。


8月11日に一般の方を対象に発掘調査説明会を開催しました。
50名の方に参加していただきました。


鶴ヶ岡城跡第3次(8月1日〜5日)


西調査区の堀を完掘しました。堀底は現地表から約3.5mの深さです。


東調査区の精査を再開しました。雨で流れた土をきれいにして遺構を探します。


見つかった遺構を完掘しました。
中央の一段下がったところは堀が埋まった後に掘られた近代以降の溝です。溝の両側にかろうじて近世の遺構が残っていました。


鶴ヶ岡城跡第3次(7月25日~29日)


堀西側の遺構を完掘しました。井戸や溝、土坑等が見つかっています。


先週お伝えした遺構はやはり井戸跡でした。深さ2m以上で、今でも水が湧いています。


溝の底面付近から中世の遺物が出土しました。これまで鶴ヶ岡城跡の南側の地区では中世の遺物が多く見つかっていますが、北側で見つかるのは初めてです。


溝から出土した古瀬戸瓶子(へいし)と青磁碗です。15世紀頃のものです。


鶴ヶ岡城跡第3次(7月19日~22日)


週末の大雨で、堀の部分にたっぷり水が溜まってしまいました。


堀西側の遺構の調査を進めました。堀の外側にある武家屋敷にあたる場所と考えられます。


直径1mほどの円形の遺構です。上半部の断面を記録して、ここからさらに掘り下げます。井戸跡でしょうか。


鶴ヶ岡城跡第3次(7月11日~15日)


西調査区で見つかった堀の上層部分を重機で掘り下げました。ここから約1mほど人力で掘り下げる予定です。


東調査区でも、先週お伝えした新しい大溝を重機で掘り下げました。現地表から4~5mの深さで、本来の堀の堆積土が現れました。堀底はここからさらに数十cm下になると思われます。掘り出した土は、手渡し、ベルトコンベア、一輪車等を駆使して運び出していきます。


堀の堆積土から岩牡蠣の殻が見つかりました。


鶴ヶ岡城跡第3次(7月4日~7月8日)


堀の範囲を確かめるためにトレンチ調査を実施しました。その結果、調査区の大半を、堀が埋まった後に掘られた大きな溝が縦断していることが分かりました(写真赤色部分)。江戸時代の七ツ蔵の堀は、調査区の西半部にわずかに残されているようです(写真青色部分)。


新しい段階の大溝は幅4m、深さ1.5mほどです。堆積の状況から、一気に埋め戻されているようです。


新しい大溝の壁面に、江戸時代の堀の立ち上がりが確認できました。他の場所のトレンチ調査の結果、大溝よりも堀の方が深いことが分かりました。堀の下層部分は大溝に壊されずに残っている可能性があります。


鶴ヶ岡城跡第3次(6月27日~7月1日)


礎石の根石を全て掘り上げました。いよいよ堀跡の調査に入ることができます。根石を埋めるために掘りこんだ穴の壁面や底面の土の状況から、堀の範囲が推定できます。


調査区を地中側から見てみました。土の柱のように見えるのが掘りこんだ穴です。土が黒っぽい範囲が堀跡と考えられます。堀にあたる部分は地盤が悪かったためか、より深く掘りこんで根石を入れていたようです。


西側の調査区でも堀の範囲や深さを確認するためのトレンチを設定しました。人が集まっているあたりで堀の西側の立ち上がりが見つかりました。写真手前側の調査区端まで堀が広がっているようです。


堀西側立ち上がり付近の最下層から白磁の皿が出土しました。この他、17世紀前半頃を上限とする陶磁器が出土しています。