全ての遺構の調査が終了しました。
最後にラジコンヘリで空中から写真撮影を行いました。
発掘に使った機材をトラックに積み込んで撤収します。
出土した板碑を囲んで記念写真です。
調査にご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。
来年度の2次調査をお楽しみに。
A2区の全景です。道路の左側が土塁です。
地山を削りだした平場や溝などが見つかりました。
21日に調査説明会を開催しました。
出土した遺物の説明に、地元の小学生(寒河江市立醍醐小学校5・6年生)も熱心に耳を傾けてくれました。
時折雨の降るあいにくの天気でしたが、約140人の方に参加していただきました。ありがとうございました。
斜面部のトレンチ調査の様子です。
これまで設定した6本のトレンチでもっとも長いトレンチになりました。
大型の遺構で見つかった焼土の断面です。
酸化して赤くなった部分と、還元で黒っぽくなった部分があります。
大型の遺構がほぼ掘り上がりました。
石や焼土などが多数出土したため、何度も記録を取りながらの調査でした。
谷部分の掘り下げを行いました。現在の地形の段々畑とは異なった段差が見つかりました。
大きな段差の中に階段状の小さな段も見られます。
谷部分の土の堆積した様子を調べました。徐々に谷が埋まって言った様子がわかります。
斜面部分のトレンチ調査の様子です。耕作土のような黒い土が厚く堆積し、整地の跡は見られませんでした。
寒河江中央地区農免農道整備事業の概要はこちらからどうぞ。
石がたくさん出土した遺構です。人の頭ほどの大きな石やこぶし大の小さな石など様々な大きさの石が出土しました。
上の遺構のアップです。石の下に焼けた土が見つかりました。焼けた土の下にも石があるようです。
斜面部分のトレンチ調査の様子です。ゆるい斜面に石が敷き詰められていました。
土塁脇の調査区の調査が終了しました。写真右上の部分が土塁です。
土塁に直交する溝が見つかりました(写真中央)。
溝は土塁にぶつかる部分で途切れていました。土塁と同時期、または土塁が作られた後に溝が掘られたと考えられます。
土層の観察から、新旧2時期の溝があることがわかりました。掘りなおされた新しいほうの溝から、石塔が出土しました。
板碑・宝篋印塔(ほうきょういんとう)・五輪塔(層塔?)が出土しました。
左の板碑は60センチ程の大きさです。
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午前中の雨が上がった午後、水はけの良い場所を選んで遺構の掘り下げを行いました。
狭い調査区、お互いにぶつからないよう気をつけながら作業します。
石や焼土が出土した大型の遺構です。大きな石がまとまっている所や、底面に石が敷き詰められたようなところ、土と石を一緒に投げ入れられたような所など、場所によって石の状況が異なっています。
上の遺構から出土した青磁のお碗です。外側に雷文(四角い渦巻き模様)が施されています。15世紀後半頃と考えられます。
先週のトレンチの横にさらにトレンチを入れ、溝が続いていることを確認しました。
溝は地山を含んだ土で人為的に埋められていました。
土塁脇の4本のトレンチいずれからも溝の跡が見つかりました。
溝は現在の地形の段差に沿って掘られているようです。
大きな不定形の遺構を掘り下げると、こぶし大の石がたくさん出てきました。
焼けた土や炭も見つかっています。
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上の寺遺跡は農道の建設にともなって発掘調査を行なっています。
事業の概要について は、寒河江中央地区農免農道整備事業のホームページをご覧ください。
それでは、今週の上の寺遺跡です。
B区の遺構を検出した様子です。柱穴や土坑、不定形の大きな落ち込み状の遺構などが見つかっています。
A区の土塁脇にトレンチを入れました。写真奥が土塁です。
土塁から2mほどの位置に、溝が掘られていることがわかりました。土塁に伴う堀なのでしょうか。
新しい調査区(A区)の調査を開始しました。
まずは表土を重機ではがします。
左側の土手は、上の寺遺跡の中心部と考えられる場所を囲む土塁です。今回は土塁の外側を調査します。
上の写真の地区から一段下がった地区(B区)です。先々週のトレンチ調査をしている斜面の上にあたります。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research