農道部分の遺構を掘り下げました。
農道部分の遺構が掘り上がりました。地元の方の話では熊野大社のある宮内地区に抜ける昔からの道ということでしたが、古い道の遺構は見つかりませんでした。
農道部分の遺構を掘り下げました。
農道部分の遺構が掘り上がりました。地元の方の話では熊野大社のある宮内地区に抜ける昔からの道ということでしたが、古い道の遺構は見つかりませんでした。
調査区のいちばん西側から溝跡が検出されました。細い溝は南東を向いており、およそ2m間隔で掘られています。
炭が集中している場所から木製品が出てきました。
柱穴群は全体の掘り下げでアタリの有無を確認後、半截して底面まで下げ、断面図作成の撮影、ポイント測量を経て、完掘作業、平面図作成用の写真撮影と続きます。F区の柱穴は一部を残して完掘作業に入っています。
SB1001の新たに検出した掘り方の精査にはいりました。
調査区完掘の空中写真
今週は、ヘリコプターを使って上空からの遺跡の写真撮影を行いました。
上空からの写真では、調査区中央を斜めに走る川跡や、その両側に柱穴や土坑などの大小の穴が密集しているのが分かります。
県内では少ない縄文時代後・晩期の集落構成が分かる点で、重要な資料となります。
これは河跡(SG1)付近の集落域を真上から撮影したものです。河跡の右側では硬い礫の地盤にもかかわらず、遺構が多く存在します。一方で左側では河跡から離れていくにつれて、遺構が少なくなっていくことが見受けられます。
調査を始めた頃は緑だった山々が、秋の色に変わっています。長かった調査も今週で終了です。ありがとうございました。
今週は現場の引き上げ作業中心です。発掘よりも大変な仕事です・・・。
河跡(SG1)東側の遺構の完掘作業に入りました。ここは石組みの柱穴や土坑が密集しているので、慎重に作業を進めているところです。
土壌の分析のため土を採取している様子です。土の中に含まれる花粉などを調べます。これらは当時の自然環境などを知る手がかりとなります。
今週の水曜日に基督教独立学園の皆さんが遺跡の見学にみえました。出土した遺物の説明に熱心にメモを取ったり、見聞きした遺構や遺物について質問が飛び交いました。
2間×6間の大きな建物です。2間×4間のSB1002と軸線を同じくしており、計画的な配置が読み取れます。
この土坑からは平安時代の初め頃の須恵器と礎板が出土しました。
先週もお伝えした炭の集中する箇所を更に深く掘り下げると、おびただしい量の土器や焼けた礫がでてきました。
写真の左側に1箇所、右側に2箇所、炭の集中する範囲が見られます。遺物も大量に出土しています。白いラベルの立っているところが遺物の出た場所です
調査も終盤を向かえ、土層記録用に残したベルトの除去をし、土器がまとまって出土した区域は再度拡張をおこないました。
拡張した範囲での土器出土状況の一部です。破片が折り重なるように 密集しています。
掘りあげた遺構の形や深さを計測する遺構測量を、外部に委託して実施しました。
最後に残った調査区の斉藤家跡の完掘写真です。写真中央が先週お伝えした建物跡のあった場所です。
今週で発掘調査が終了するので、半年間頑張ってくれた作業員さんと一枚撮りました。本当にお疲れ様でした。