0-3区の土坑から、お金(洪武通宝)が出土しました。
このお金は、お隣、中国に明ができた年、すなわち、
明・初代皇帝・洪武帝の洪武元年(1368年)に発行されたもので、
永楽通宝とならび明銭の代表的なお金です。
洪武通宝の一部には裏面に鋳造地を示す文字があります。
「浙」「福」「桂」「北平」などの文字です。
この出土銭にも「福」の文字が刻まれています。
0-2区の全景写真です。
この調査区の調査も終わりに近づいています。
O-3区の遺構検出のようすです。
箸(はし)が立てられているところは遺物があるところです。
調査区南側は土が軟らかいうえに遺物が多く出土しているので、
両刃鎌(りょうばがま)という道具を使って、慎重に土を削っていきます。
O-3区の遺構検出が完了しました。
大小の土坑(どこう=穴)や河川跡と思われる遺構が確認できます。
南側(写真上)の河川跡と、北側(写真下)の土坑から、遺物が多く見つかっています。
北側の土坑の精査を始めました。
写真中央の遺物は須恵器(すえき)の杯(つき)の底部のようです。
糸を使って「ろくろ]から切り離した跡が確認できます。
山形城ができた時代よりずっと前の古い時代のもののようです。
2区の西側拡張部分の面整理を行いました。
2区の北西側、「クロボク」という村山地方に広く分布する特徴的な土壌が厚く堆積しています。
クロボクは、真っ黒な土で、歩くと「ボクボク」音がすることから名付けられた土です。
縄文時代に形成したと考えられ、本遺跡でもクロボク層の下部から、縄文早期の遺物が出土しました。
1区で検出した遺構を半分掘り、遺構に堆積した土を記録しています。
フラスコ状土壙の中の堆積層についても、記録を行いました。
詳細に観察すると、下部は人為的に埋立てられたようですが、
上部は自然に土が入り込んで堆積したことがわかりました。
フラスコ状土壙は、下部を埋め立てたあと、穴が空いていた期間があったことが考えられます。
1区の南側には、落とし穴と考えられる遺構が見つかりました。
底部には、逆茂木(さかもぎ)を立てたと考えられる小さな穴があります。
残念ながら出土遺物がないため、いまのところいつつくられたかはわかりません。