最後の追い込みで平面図を作成しました。どうにか金曜夕方までには出来上がりました。これで今年度の調査は終了です。あとは調査区の埋め戻しを行います。
8区南側の完掘状況です。竪穴建物2棟と道路跡の可能性も高い並行する同時期の溝跡などがありました。
8区北側です。右上の丸い石組みは、昨年度調査した井戸跡です。その手前側には、昨年度調査した大溝の続きがありました。予想に反して行き止まりとなり、突き当りは石組みで護岸されていました。さらに手前方向に屈曲する可能性もありますが、近代以降の撹乱により確認はできませんでした。
調査も追い込みです。8区の遺構精査も仕上げ段階です。
8区の東西で、細長い竪穴建物跡が見つかりました。炉跡と見られる焼土が2箇所あります。壁面に柱穴も有り、7区で見つけた竪穴建物跡とよく似ています。8区からはもう1件同時期と思われる竪穴建物跡が見つかっています。
昨年度の調査区で検出された大溝の続きから五輪塔の一部(先端の空輪と風輪か)とみられる石造物が出土しました。
2区の三の丸堀跡を掘り下げました。現地表面からほぼ2.5mほどで堀底になります。他の地区の調査などを見ても、三の丸の堀は深い場所と浅い場所があるようです。
8区の遺構精査作業です。
住宅の上下水道とガス管の部分を残して調査しています。
2区の堀跡を調査しています。底面の砂礫層からは、江戸時代後期の磁器や瓦の破片がたくさん出土しています。
2区の堀跡から、将棋の駒が出土しました。「王将」です。漆で文字を書いているようです。現在の一般的な王将の駒よりは一回り小さいです。
8区の遺構精査も同時に進めています。昨年度検出された南北方向の大溝の続きを確認しました。8区に入るとすぐに東方角に屈曲しているか、ここで終わっているようです。残念ながら、東半分は近現代に深い撹乱を受けて確認できません。
8区の調査区にグリッド杭を設置しました。
また、引き続き新しい遺構から精査作業を進めています。
2区の表土除去を行いました。建物の基礎が残っていたので昨年度調査できなかった箇所です。今年度はブレーカーで破砕しました。騒音と振動で、ご近所にはご迷惑をお掛けしました。
10/6、打毬の奉納で有名な豊烈神社の大祭がありました。
調査区の前もお神輿が通りました。
8区の面整理作業を行いました。北側は去年の調査区の続きです。昨年度調査した大溝の続きが出てくるでしょうか。
8区の南側の遺構検出作業です。
比較的大きな遺構が重なり合ってるようです。
8区南側の遺構検出作業が完了した状況です。近現代の新しい遺構と重なっていますが、東西方向に平行する2本の溝が検出されました。道路跡の可能性も考えられます。引き続いて8区の中央部と南側の遺構検出作業も進めています。
少し古そうな遺構から、かわらけが出土しました。手捏(てづく)ねで作られ、口縁部を撫でて整形しています。
7区のST71竪穴住居跡の完掘状況です。
南北に棟持柱状の立派な柱と、中央にも柱が有ります。四隅と東西壁にもやや細めの柱が有ります。
8区の表土掘削を開始しました。
引き続いて、8区の面整理も開始しました。
今週も悪天候の合間にST71竪穴住居の調査を進めました。
北壁と南壁に棟持柱状の立派な柱が立っていたことが分かりました。
南東隅です。右端は南東隅柱、残り2本は壁柱穴の跡です。
床面には、昔の人が掘り下げた時の鋤の跡が残っていました。
7区の作業も追い込みです。トータルステーションで遺構を計測して完掘状況の平面図を作成します。
7区の竪穴住居跡の掘り下げ作業です。調査区内は先週完掘しましたが、調査区の壁面を掘り進め残土山ギリギリまで拡張しました。
竪穴住居の完掘状況です。一辺約3m、深さは65cmです。北半分(写真左側)の床面に大量の焼土と炭化物が広がっているので、北壁にカマド跡があるのではと予想しましたが確認できませんでした。几帳面でキレイ好きな人が住んでいたのか、カマドを壊して綺麗に掃除した後に埋め戻したようです。
7区の全景です。
7区の調査も終盤となり、遺構の掘り下げもかなり進みました。
7区ST71竪穴住居跡です。平安時代のものと見られます。床面まで掘り下げました。一辺は3mほどと小型ですが残存状況も良く、壁面は高さ50cmほどが遺存しています。残念ながら、現在のところ遺物は出土しておりません。
2区の御殿堰で囲まれた部分を重機で掘り下げました。三の丸の堀跡で、左壁面黄色い斜面部分は堀の立ち上がり部分です。深さは3mほどとあまり深くはありません。堀底から江戸時代後期頃の陶磁器や木材片が出土しました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research