「山形城三の丸跡第23次」カテゴリーアーカイブ

山形城三の丸跡第23次(11月4日~12日)


季節がら、3時過ぎると日の光がきつくて土の色が見えにくくなってきました。


7区北側の竪穴住居の床面を出しました。カマドはあまり残存状況が良くなく、痕跡をとどめる程度でした。


11月12日に、調査区が狭く駐車場も無いので、事前申し込みで調査説明会を開催しました。ご近所の方々をはじめとして、25名ご参加いただきました。ありがとうございます。


山形城三の丸跡第23次(10月24日~28日)


調査も終盤です。8区北側の調査も順調に進行しております。近世の大きな遺構がありましたが、掘り下げるとそれほど深くない土坑でした。


地元の山形第一小学校の6年生約30人が見学に来てくれました。歴史の勉強の一助となり、歴史に興味を持ってくれると嬉しいですね。


7区南側の調査も順調に進み、全景写真を撮影しました。


山形城三の丸跡第23次(10月3日~7日)


今週も7区南側の調査を主に行いました。江戸時代の面の調査はほぼ終了し、平安時代の遺構検出を始めました。


平安時代の竪穴住居跡です。住居の一部は江戸時代以降に壊されていたり、調査区外にひろがったりしていますが、残りは非常に良いようです。


8区南側も調査が終了して埋め戻し、新たに北側を掘削しました。来週から遺構検出作業を行います。


10月6日は豊烈神社の例大祭で、お神輿の巡行が実施されました。豊烈神社は水野家藩祖忠元を主祭神に祀る神社で、日本で三例しか残っていない古式打球で有名です。


山形城三の丸跡第23次(9月12日~16日)


今週も7区南側の調査を行いました。


主に近世の遺構を掘り下げ、並行して記録してます。


江戸時代の洗い場でしょうか。低い石組で、床面も石が組まれていました。


深い穴で、壁面に板材を立て4か所に杭を打って固定していた穴蔵のような遺構が発見されました。出土したのは近世の遺物ばかりなので、近世のものであると考えられます。


先週から掘り下げを進めた石組遺構を完掘しました。がっちりと壁面に石組が施されています。深さも70cmほどあり、床面が突き固められており、水場ではないと思われます。地下の貯蔵施設なのでしょうか?近現代の遺物が出土したことから近年まで使われていたようです。


山形城三の丸跡第23次(9月5日~9日)


今週も7区南半の遺構精査を行いました。近世の土坑からは磁器が出土しました。


石組を掘り下げています。出土する遺物は近現代のものですが、石組自体は近世のものと推測され、長く使用されて埋めるときにゴミも投棄したようです。


インターンシップの大学生が発掘作業に参加しました。考古学を専攻しており、将来考古学に関わる仕事に就きたいとのこと。とても頼もしいです。


山形城三の丸跡第23次(8月29日~9月2日)


今週の前半は7区南側の遺構検出作業を行い、後半から遺構精査を開始しました。


検出作業が終了すると、全景写真を撮影しました。


必要に応じて、遺構全体を段下げして再確認したり、半截する作業をしました。検出された遺構は概ね近世のものですが、古代の遺物も出土しており、慎重な検討が必要です。


山形城三の丸跡第23次(8月22日~26日)


今週は、ひたすらジョレンで7区の遺構検出作業を行いました。ところどころ攪乱を受けていますが、近世の遺構の残存状況は良さそうです。また、昨年度に大型の竪穴住居を検出した6区のすぐ隣なので、平安時代の遺構も期待できそうです。


まだ遺構がハッキリと見えません。来週前半も遺構検出作業を行う必要がありそうです。


山形城三の丸跡第23次(8月17日~19日)


お盆休みが明け、新たな調査区の表土掘削に入りました。


8区の南側はコンクリートの建物基礎により破壊されていましたが、北側は残っているようです。


8区は土捨て場の関係上、半分に分けて調査します。まず、南側半分の調査に入りました。重機で表土を掘削した後、ジョレンで面整理作業を行いました。