
行司免遺跡の東側は写真のような細い溝が南北に何条か走っているようで、このうち確認できた4条を調査しました。

これもまた溝跡と思われます。このように行司免遺跡は、溝が何条も掘られていたことがうかがえます。

行司免遺跡の東側は写真のような細い溝が南北に何条か走っているようで、このうち確認できた4条を調査しました。

これもまた溝跡と思われます。このように行司免遺跡は、溝が何条も掘られていたことがうかがえます。

今週はE区に戻り、遺構のプランが不明確な部分についてさらに掘り下げながらの検出作業を行いました。

乾燥による地割れと降雨による荒れを防ぐため、遺構の分布する範囲に、シートを掛け、遺構検出面を保護する作業です。

梁行き2間、桁行き4間の南北に長い掘立柱建物跡です。F区東端部では全部で4棟の掘立柱建物が見つかりました。
北東部の2棟が東西棟で南西にあるこの建物を含む2棟が南北棟です。

掘立柱建物跡が見つかったF区から出土した土器は多くはありません。
台の付いた須恵器の坏は建物の時代のものとなるようです。平安時代の初め頃ではないかと考えられます。

地面を柱状に残していた箇所を掘り下げて地層の重なり具合を調べました。

溝跡(SD5)の調査を行っています。
人が中に入っているこの溝は調査区を東西に流れる溝です。

SD5の断面を撮影しました。

D区SD1遺構精査
溝跡から、杭や板が組まれた状態で検出されました。
今週でD区の遺構精査は終了です。

C区SE515遺構精査
井戸跡が検出されました。四角い木枠が残存しています。

C区SP309遺構精査
ピットの中央から内黒の土師器(坏)と、端から土師器の破片が出土しました。

C区SX244遺構精査
焼土の中に、土師器の破片が固まって出土しました。

竪穴住居跡を掘り上げた様子
出土遺物が全く無く、いつの時代なのか分かりません。どのように使われたのかも分かりません。

炭を焼いた窯跡
登り窯のような形をしています。写真中央の窯跡上面から須恵器の破片が出土しました。
窯跡との関係はまだ分かりません。

斜面の面整理作業
だんだん斜面がきつくなっていくので作業に苦労しています。

先週紹介した溝跡を掘り下げている状況です。
土留めを行ったと考えられる杭や板が検出されています。

井戸跡と思われる遺構の断面を確認しました。

両刃鎌を使って丁寧に地面を削っていきます。きれいになった地面のわずかな土の違いを見つけて溝跡などを見つけていきます。

石が集まっている箇所の調査に取りかかりました。まだ、この遺構の性格はわかりませんが石は熱をうけているようです。

須恵器が出土しました。奈良時代のものです。

溝跡の掘り下げをしています。遺物から近代まで使われていた溝跡と考えられます。

酒田工業高等学校の生徒さん達が見学にいらっしゃいました。皆さん真剣に説明を聞いています。

F区の東端部で平安時代の建物を構成する柱穴などが見つかりました。今週末までに4棟の建物があることがわかりました。

梁行2間×桁行3間の南北に長い建物跡で、柱穴の大きさが1辺70cmほどの隅丸方形
です。

梁行2間×桁行3間の東西に長い建物跡です。この建物跡の東に隣接して、もう1棟の建物があります。