「発掘調査速報」カテゴリーアーカイブ

水林下遺跡第3次(6月7日~10日)


遊佐町水林下遺跡の第3次発掘調査が始まりました。開始式を行い、さっそく発掘調査で使用する器材の搬入を行いました。


雨の中、現場で使う器材を運び出し、休憩テントの設営や草刈りなど、調査の準備を行いました。その後、2次調査終了時に、検出面の上に敷いた保護シートの上に溜まっていた泥をかき出しました。


準備が整ったので、さっそく発掘調査が始まりました。まずは昨年度C区北の東側を拡張した範囲について、遺構の検出を行いました。


鶴ヶ岡城跡第3次(6月6日~10日)


週の前半は雨の中での調査でした。調査区の周囲に溝を掘って遺構面の水はけを良くします。


遺構面をきれいにすると、石を詰め込んだ穴の列が見つかりました。鶴岡南高の前身である荘内中学校の礎石の痕跡と考えられます。


学校の屋上から撮影しました。調査区中央部の灰色に見える部分が堀跡の可能性があります。


北向遺跡第3次(5月30日~6月3日)


1台の重機で表土を掘り、もう一台で排土をまとめます。今週で重機の稼働は終わり、残りは人力で掘り下げて行きます。


地面を薄く削り、遺構を探して行きます。みな1列になって、息を合わせて作業を進めています。写真奥には大岡山がきれいに見えます。


大岡山の頂上から見た遺跡全体です。奥に月山と葉山を望みます。


北向遺跡第3次(5月23日~27日)


今週から北向遺跡第3次調査が始まりました。発掘調査作業員として、遺跡のある地域の方々にも多く参加を頂いています。まずは事務手続き。一人ひとり書類を確認しています。


重機で表土を掘削した後ろから、人力でていねいに地面を削っていくと、古代の生活のあとが浮かび上がってきます。今回の調査では何が発見されるでしょうか。


令和3年度発掘遺物速報~山形城三の丸跡第22次~

山形城三の丸跡では古代から近現代の生活痕が確認されています。


古代の須恵器の坏(つき)です。表面は火をうけたせいか、荒れています。


須恵器の蓋のつまみ部分です。内側に「大」の文字が刻まれています。「大」の文字が刻まれた土器は以前の調査でも見つかっています。どんな意味を持つのでしょう?


今から約400年前山形城の三の丸として整備されましたが、その頃の陶磁器も出土しました。上は#唐津焼の皿、下は見込みに植物が描かれた伊万里焼の皿です。どちらも16世紀末から17世紀初頭のものです。


調査ではたくさんの瓦も出土しました。出土した軒丸瓦のほとんどは巴紋ですが、花のような文様の軒丸瓦も。元禄年間山形城の城主であった堀田家の家紋、竪木瓜(たてもっこう)です。


令和3年度発掘遺物速報~杉沢C遺跡第2次~

縄文時代と近世の遺構や遺物が確認された杉沢C遺跡(遊佐町)です。土器は地文である縄文だけが施された深鉢が多く出土しました。


この土器は後期前半の時期で、煮炊きに使っていたようです。大きさの割にとても薄く、縄文人の技術力の高さが感じられます。


杉沢C遺跡で出土した縄文土器には、小さなアナが空いているものがあります。土器に入ったヒビ割れが広がらないように、対になった穴をあけ紐などで結んで土器を修復した補修孔です。現代のSDGsのように縄文人も大事に使っていたようです。


縄文時代晩期の土器が多く出土している杉沢C遺跡ですが、今年度の調査では縄文時代後期(約4000年前)の土器がまとまって出土しました。沈線で入り組み状の文様を描き、中に縄文を施します。所々にポツポツ円形の刺突文が入れられています。


縄文土器の内側に黒褐色の塊が付着しています。おそらくアスファルトの可能性があります。庄内地方では天然のアスファルトが採れますが、接着剤として使うために持ち込んでいたのかもしれません。