6区を南側から撮影したものです。3b層はクロボク土という、1万年前以降に形成されたと考えられる、火山灰を母材とした北村山特有の土壌です。遺跡では、低い地形に厚く堆積しているのが確認されました。
6区の3b層上面から、15cm程度の川原石を、径40cmくらいに丸く囲った「石囲い炉」が見つかりました。石が赤く変色していることから、火を受けている可能性が高いのですが、石で囲った内部からは、灰や炭などは出てきませんでした。いったい、なんのために作った「炉」なのでしょうか?
「石囲い炉」の近くで、縄文時代中期の土器が、立ったような状態で発見されました。深鉢形の土器で、「炉」となにか関連があるのでしょうか?