野田遺跡・下中瀬遺跡(10月23日~10月27日)


野田遺跡の掘立柱建物跡です。先週の答えは、この写真の黄色の線と白色の線上の柱穴で構成された建物になります。黄色線の建物は、3×3間で、主軸がほぼ南北を向きます。白色線の建物は、2×3間で西側に1間拡張されたようで、主軸がやや西側に傾きます。白色線の建物の柱穴には柱痕が残るものが多く、黄色線の建物より新しいことから建替えが行われたものとみられます。


野田遺跡の調査風景です。今週は天気の良い日が続き、先週付け替え工事が終了した農道の下の調査も行いました。農道の下からは、平安時代(約1,150年前)の土器の底に、墨で字が書いてある墨書土器が2点出土しました(下の写真)。さて、何と書いてあるのでしょうか?


農道の下から出土した墨書土器です。2文字あるようです。墨書土器の文字には、人名や地名(所有者や所属)、吉祥文字(おめでたい文字)などが書いてある場合が多くあります。


2つ目の墨書土器です。少し字がくずしてあるかもしれません。当時は文字を知っているのは役人などがほとんどで、一般の集落では記号として認識されて書かれる場合もあったようです。