平成29年度 発掘調査速報会『発掘やまがた最前線2017』の資料を掲載しました。
ご一読ください。
平成29年度 発掘調査速報会『発掘やまがた最前線2017』の資料を掲載しました。
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今週は天候にも恵まれ、井戸枠の隅柱や横木などを取り上げました。約1,000年前のものですが、取り上げてもしっかり形を保持していました。
井戸枠材の取り上げと共に、重機により調査区の埋戻し作業も行いました。最終週の鳥海山は中腹までもう真っ白です。
調査最終日に、最後に取り上げた大型の井戸枠材や発掘器材などをトラックに積んで調査が終わりました。半年間、炎天下の日も雨、雪の日も働いてくださった地元作業員の皆さん、ありがとうございました。
同じく調査最終日には、事業主体の国土交通省酒田河川国道事務所の担当者の方に埋戻し状況を見ていただき、現地引き渡しも行いました。今後は、上山市のセンターに戻り、出土品の洗浄や注記、復元、図面作成をして、両遺跡の実態をより明らかにしていきたいと思います。
野田遺跡の掘立柱建物跡です。先週の答えは、この写真の黄色の線と白色の線上の柱穴で構成された建物になります。黄色線の建物は、3×3間で、主軸がほぼ南北を向きます。白色線の建物は、2×3間で西側に1間拡張されたようで、主軸がやや西側に傾きます。白色線の建物の柱穴には柱痕が残るものが多く、黄色線の建物より新しいことから建替えが行われたものとみられます。
野田遺跡の調査風景です。今週は天気の良い日が続き、先週付け替え工事が終了した農道の下の調査も行いました。農道の下からは、平安時代(約1,150年前)の土器の底に、墨で字が書いてある墨書土器が2点出土しました(下の写真)。さて、何と書いてあるのでしょうか?
農道の下から出土した墨書土器です。2文字あるようです。墨書土器の文字には、人名や地名(所有者や所属)、吉祥文字(おめでたい文字)などが書いてある場合が多くあります。
2つ目の墨書土器です。少し字がくずしてあるかもしれません。当時は文字を知っているのは役人などがほとんどで、一般の集落では記号として認識されて書かれる場合もあったようです。
野田遺跡のSE101井戸跡の掘方(ほりかた)を掘り下げているところです。(井戸跡の井戸枠を設置した外側の部分を掘方[ほりかた]と言います。井戸は水が出る深さまで大きく掘って、その後井戸枠を設置し、その外側の掘方に土を埋めて井戸枠を固定したようです。)
野田遺跡の調査区北端の掘立柱建物群です。(調査区北端の中央部は調査区の中でも標高がやや高い地区で、掘立柱建物跡などの柱穴が発見されました。掘立柱建物跡は2×3間の大きさで、埋土が褐灰色の粘土であることが特徴的です。写真手前に丸い柱穴が直線で並んでいます。)
野田遺跡の調査区北端東側の溝跡と土坑群です。(調査区北端の標高が高い部分には掘立柱建物群などの柱穴群が集中しますが、その東側には柱穴群を区切るように溝跡が南北に走り、建物柱穴などは希薄になります[写真左]。更にその東側には直径約1m前後の土坑群が複数確認され[写真右]、大きな集落構成がうかがえます。)