「村山地方」カテゴリーアーカイブ

羽黒神社西遺跡(10月20日~24日)

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2区の西側拡張部分の面整理を行いました。
2区の北西側、「クロボク」という村山地方に広く分布する特徴的な土壌が厚く堆積しています。
クロボクは、真っ黒な土で、歩くと「ボクボク」音がすることから名付けられた土です。
縄文時代に形成したと考えられ、本遺跡でもクロボク層の下部から、縄文早期の遺物が出土しました。

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1区で検出した遺構を半分掘り、遺構に堆積した土を記録しています。

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フラスコ状土壙の中の堆積層についても、記録を行いました。
詳細に観察すると、下部は人為的に埋立てられたようですが、
上部は自然に土が入り込んで堆積したことがわかりました。
フラスコ状土壙は、下部を埋め立てたあと、穴が空いていた期間があったことが考えられます。

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1区の南側には、落とし穴と考えられる遺構が見つかりました。
底部には、逆茂木(さかもぎ)を立てたと考えられる小さな穴があります。
残念ながら出土遺物がないため、いまのところいつつくられたかはわかりません。


山形城三の丸跡第14次(10月14日~17日)

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今年5月から始まった発掘調査ですが、
いよいよ最後の調査区になりました。

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重機での表土除去を終えて、遺構検出作業を行っています。
砂地や粘質土などさまざまな土質があるので、
平坦にきれいに削るのは技術がいる作業なのです。

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限られた調査期間のため、
複数の作業を狭い場所で行う場合もあります。
ここでは遺構精査と図面作成を並行して進めています。


羽黒神社西遺跡(10月14日~17日)

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調査区を南から撮影した写真です。
木や草が生い茂っていた調査区でしたが、調査も進んで、
この地に残された縄文時代の生活の痕跡が明らかとなってきました。

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2区の西側を調査し、地面を薄く削って遺構がないかを調べました。
わずかながら、縄文時代中期の遺物が発見されました。

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「レベル」という測量機械を使って、土層断面図の基準線の標高を計測しています。
遺構を記録するのには、さまざまな測量機械を使用します。

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こちらは、「トータルステーション」という測量機械で、
機械から発射される光波を反射させるプリズムを持っている様子です。
プリズムを置いた位置の座標を計測して、遺構の平面図を作成します。


山形城三の丸跡第14次(10月6日~10日)

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N-2区の土坑から、猿の飾り瓦が出土しました。
猿は、「去る」の語呂合わせで、悪運が去る、魔物が去るとして魔よけ、災難、
病気を寄せ付けないお守りとされ、屋根の上に載せ、その家を守っていたようです。

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完掘したN-2区の全景写真です。
今週で、B-4区、N-1区、N-2区の調査が終了しました。
今度は、O-1,2,3区の調査が始まります。

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これから調査を行う、O-1区の検出遺構を白線でなぞっています。


羽黒神社西遺跡(10月6日~10日)

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今週は、1区の西側拡張部分の面整理を行いました。
朝は、深い霧に覆われるようになってきました。

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1区西側拡張部分は、戦後の桑畑の跡が確認されました。
そのため、この部分は、遺構・遺物があまり残されていませんでした。

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2区南側の大型土坑の中から、土器や石器が多く出土しました。
この土坑の中に、縄文時代中期の土器や石器を廃棄したのでしょうか?

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1区のフラスコ状土坑の中に堆積層の線引き作業を行いました。
2つの土坑が重なっていますが、断面を観察することによって、
その前後関係と埋没した過程が明らかになります。