
城北町の調査区の埋め戻しを行いました。発掘作業員の皆さんの尽力で今年度の調査も無事終了しました。

発掘器材を搬出して撤収です。関係各所および近隣の皆様、ご協力ありがとうございました。

野田遺跡のSE101井戸跡の土層記録作業の様子です。縦板の井戸枠内が狭いため、掘り方(井戸枠を設置するために掘った穴の部分)も掘って井戸の作り方を記録しています。

SE101井戸跡の掘り方から、底部に墨で文字が書かれた土器(墨書土器)が出土しました。文字は略字で墨が薄いところもあり、現時点でははっきりと判読できませんが、今後センターにある機械で赤外線をあてると明確になるかもしれません。

秋田県埋蔵文化財センターの遺跡廻りバスツアーの方々が野田遺跡に来跡されました。同じ出羽国でありながら、庄内地方と秋田県では古代の住居形態が異なっており、庄内地方では掘立柱建物跡主体であるのに対して秋田県では竪穴住居跡と掘立柱建物跡が併存することなどを紹介しました。
今回は平成27・28年度に発掘調査を行った上竹野遺跡(大蔵村)の整理室からです。

上竹野遺跡では、昨年の第2次調査で弥生時代の土器棺が発見されています。現在整理作業では、この土器棺の復元を進めているところです。

土器棺は、取り上げて洗浄しましたが、バラバラの破片となっています。まず、破片を並べて元の形を確認していきます。

破片のつながりを確認した後に、土器の底部から破片を接合し組みあげていきます。大型の土器なので2人がかりの作業です。

ほぼ全体の形がわかるようになりました。高さ50cmを超える大きな壺です。完成までもう少しです。

城北町の調査も終了が迫ってきました。
壁面や遺構を清掃し、調査区全体の写真を撮影します。

記録作業も終了間近です。
遺構や検出面の標高を計測して平面図に記録し、作業終了です。

野田遺跡のSK2土坑の土層断面です。SK2土坑からは、斎串(いぐし)がまとまって出土しました。覆土から出土した土器の形から、年代は8世紀後半頃のものと考えられます。

SK2土坑の斎串(いぐし)出土状況です。斎串は、長さ約20cmの細長い板の先端が三角形に加工されたもので、当時のお祭りなどに使われたと考えられています。遊佐町は鳥海山の湧水が豊富なため、普通は腐って残りにくい木製品も多く見つかります。

北区南端部の建物跡の精査状況です。黄色いリボンを付けたピンポールが立つ柱穴が建物を構成するもので、一部柱根が残るものもあります。調査区南半部の建物跡はいずれも2×3間ほどで、やや小規模です。

PDFデータ(山形県教育委員会作成)
平成28年度山形県発掘調査速報会の資料を掲載しました。

城北町の調査区の土層を記録しています。調査区は馬見ヶ崎川の旧河道域にかかっており、土と砂の層の堆積状況から氾濫を繰り返していたことがわかります。

堆積土上に17世紀頃の肥前陶器が出土した遺構検出面がありますが、その堆積土の中から青磁碗が出土しました。さらに約80cm掘り下げた下層からは8世紀頃の土器が出土しています。

先週末に台風対策を行ったため、ブルーシートはめくれる程度ですみましたが、看板などが壊れる被害を受けました。

南区のSK2土坑の斎串(いぐし)出土状況記録作業です。木札を加工して作った斎串がまとまって出土しました。お祭りに使った後廃棄したものと考えられます。

北区の遺構精査の様子です。調査区中央~北半部にかけて調査を行い、建物の柱穴群や溝跡などを検出しました。柱穴には、柱根が残るものもあります。

野田遺跡の北区南半部の遺構精査の様子です。
井戸跡や大型の土坑、建物の柱穴群(一部柱根が残存)などがあります。

週末の大型台風に備えるため、遺構保護用のブルーシートや足場に使う板に土のうで重しを追加しました。

センターの裏には川が流れており、そのほとりにはクルミの木が生えています。毎年秋にはたくさんの実がなるので、敷地内に落ちたものを拾って、体験学習などで縄文クッキーを作るときの材料にしています。

殻の側面に丸い穴があいているクルミが落ちていました。
これは、ネズミが実を食べるときにあけた穴なのです。

歯型もしっかりと付いています。
こういったクルミの殻は遺跡からも出土します。
人間が保存していたクルミをネズミが食べてしまったもののようです。
縄文時代にはすでに食べられていたクルミ。今ではメインの食材として使われることは少なくなりましたが、当時はヒトにとっても大切な食料でした。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research