やっと堀の底まで掘ることができました。地表面から5m以上の深さがあります。残念ながら、次の日雨のため南壁(写真左側)が崩れてしまいました。
5月11日から始まった発掘調査も7月30日で終了です。無事に調査の目的である三の丸を囲む堀跡を確定し、掘ることができました。深くて狭い作業環境の中、黙々と働いてくださった作業員の方々に感謝申し上げます。ちなみに写真は堀の中で撮りました。
調査区の埋め戻しをしています。これまでのいろいろな苦労を考えると、ちょっとさびしい気持ちになります。
堀跡の掘り下げも深くなり、掘った土をみんなで協力して運びあげています。
堀底の上の砂層から唐津産の皿が出土しました。多分馬見ヶ崎川の氾濫などで流されてきたものと思われます。
堀跡から石が入れられた遺構が出てきました。石の間から漆の椀や瓦、子どものままごと用?の小碗が見つかりました。何のために入れられたのかわかりません。
18日(土)に調査説明会が行われました。雨の中、70人以上の参加者が熱心に話を聞いてくださいました。
遺物の説明では、地域の方々が地元から出土した遺物についてを興味を持って見聞きしていました。
石組1の下から大きい石の石組と小さい石の石組が出てきました。どちらも、向い側の端までは続いていません。何のために造られたのかはっきりしません。
堀を層ごとに掘り下げています。だいぶ深くなってきたので、安全面に十分気をつけて作業をしています。
今週は雨のため現場で作業ができない日が続きました。そういうときは、これまで取り上げた遺物の洗浄作業をします。
遺物の場所がわかるように、はしをさして目印にしています。堀跡の5層目でも江戸時代の陶磁器や古銭などが大量に見つかりました。
大きな石組の下から小さな石組の遺構が2段出てきました。馬見ヶ崎川の度重なる氾濫により壊された堀跡を修復するため、護岸工事をした跡と思われます。
調査区西側の3層目の地層から、江戸時代の物と思われる陶磁器が大量に出土しました。
新しい調査区の全景です。上が東、下が西になります。東から西に向かって傾斜しているのがわかります。三の丸の堀跡かもしれません。
調査区の中央に30cm大の石が連なって出現しました。中からは、江戸時代のものと思われる陶磁器、石鉢、瓦、古銭などが出てきました。
今年度の調査の中心である山形城三の丸の堀跡が確認できなかったため、調査の範囲を東側に移すことにしました。いままでの調査区の埋め戻しをしています。
図面用に遺構の測量を行っています。二本の棒の上の真ん中にカメラを下げ、リモコンで一個一個撮っていきます。
西側から見た調査区の全景です。上の方に山形市役所やメディアタワー、文翔館が見えます。
調査区の中央で、竪穴住居跡が見つかりました。
右側のカマド跡から30cm四方に焼土が出てきました。
事務所の向かい側の第四小学校では、5月23日(土)の運動会に向けて、暑い中総練習の真っ最中でした。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research