先週お伝えした炭化材が出土したのとは別の竪穴建物です。長軸9.0m・短軸5.5mとかなり大型です。
4区東側の掘立柱建物跡を完掘しました。底は10cm大の石を多く含む層になっており、地盤の固い砂利層まで柱を打ち込んだ後、粘土で固めたことが推察できます。
4区中央付近の土坑から完形に近い坏が出土しました。
4区北側から中世の掘立柱建物跡が見つかっています。2間×6間の建物跡で、南北に庇(ひさし)と考えられる柱列が見られます。ほぼ全ての柱穴の中には扁平な石が置かれており、礎石の役割を担っていたものと考えられます。
長方形平面の竪穴建物を掘り下げていたところ、埋土から炭化材が出土しました。炭化材は複数あり、上部構造をうかがわせる出土状況です。
長楕円形の土坑を半截したところ、弓なりに曲がった長い板が設置されていました。何らかの構造物でしょうか。今後の展開が楽しみです。
4区の竪穴住居の調査を進めています。住居の東側(写真左側)が削られており、床面に近い状態で見つかりました。
3区南壁から北に延びる溝跡を掘り下げています。V字状の断面を持ち、細かい土器片が多く出土しています。
4区の直径50cm程の土坑から土師器の壺が残りの良い状態で出土しました。接合が楽しみです。
2区・4区の住居跡3棟を無事完掘しました。2区と4区合せて5棟の遺構が見つかりました。
先週お知らせしたフラスコ型土坑の写真測量をしました。
底部が広くなった土坑の形がよくわかります。
今年度の調査も終了し撤収作業を行いました。関係各所、作業員のみなさま、ご近所の方々、ご協力ありがとうございました。
引き続き2区と4区の住居跡を調査しました。
調査も終盤です。
1区のフラスコ型土坑から甕や壺が出土しました。
弥生前期のもののようです。
後半調査の遺構の掘り下げが始まりました。写真は石組の水場遺構(近代)に複数の導水路(近世~近代)が集中しているエリアです。
こちらは楕円形の土坑の土層断面です。八幡西遺跡では古代の遺構には決まって黒色が強い土が堆積しています。埋土を指標に、遺構の時期のまとまりを区別しながら掘り下げを進めています。
3・4区西側の調査がだいぶ進みました。柱穴、土坑など多数の遺構が密集しています。
4区西壁際の竪穴住居から土器が大量に出土しました。当時の床面から出土しており、住居の時期を見極めるうえで重要な資料です。
調査区東側の調査も随時行っています。4区東側から大型の掘立柱建物跡が見つかり、掘り下げを行いました。
今回は馳上遺跡の整理室からこんにちはです。
遺跡は米沢市にある古墳~平安時代の集落遺跡で、当時の河川沿いに営まれた50軒以上の住居跡が見つかっています。
今年も発掘調査を行っていますが、平成21~25年に調査した分の成果を来年3月に刊行する予定です。
報告書刊行に先駆けて、集落の最盛期である奈良・平安時代の特徴的な遺物をいくつかご紹介します。
前回の蝉田遺跡と同様、たくさんの墨書土器が出土しています。
最も多いのは「奉」の略字と考えられる「夲」という文字で、約70点確認できました。
神様へ食物を奉って祈るときに使われた器と考えられます。
文字を書くのに欠かせない道具のひとつが硯(すずり)です。
「円面硯」という丸いかたちのものや、皿・蓋などを硯に転用したものがたくさん出土しましたが、これは変わったかたちをしています。
もともと鉢のかたちにつくった器を窯で焼きあげる前に分割し、硯につくりかえた非常に珍しいものです。
文字を書く道具には、墨・硯のほかに木簡をけずる小刀やこれをとぐための砥石なども必需品でした。
これは、とぎへった砥石の一端に穴をあけ、約2.5cm四方の平らな面に記号のような点や線が刻まれています。
ハンコのような使われ方をしたのかもしれません。
11月3日(木)に馳上遺跡第8次と元立北遺跡の発掘調査説明会を行います。
元立北遺跡からは、縄文時代の遺物と古墳時代の住居跡が見つかり、馳上遺跡では古墳時代と奈良・平安時代の住居や建物の痕跡、井戸跡が見つかりました。
遺物は各時代に使われた土器や木製品などの生活用具類が出土しています。
古墳時代の焼失した住居跡(元立北遺跡)
建物跡を掘り下げている様子(馳上遺跡)
調査説明会案内(PDF)
日時:平成28年11月3日(木)文化の日 10:30~(雨天決行)
調査遺跡:馳上遺跡・元立北遺跡
場所:米沢市川井字道下(地図)
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research