引き続き旧石器が出土する予想範囲の調査を行いました。連日のように降ってくる雨に悩まされながらの調査となりました。
旧石器が出土するローム層から、磨製石斧が出土しました。日本では、3.8万年から2.9万年前にあたる後期旧石器時代前半期では、刃の部分を研磨する「刃部(局部)磨製石斧」がよく出土するのですが、これまでに県内では発掘調査による出土例がありませんでした。出土した磨製石斧は、残念ながら破損したものですが、山形県内では初の事例となります。そして、県内最古の磨製石斧でもあります。今後、用いられた石材や製作技術、破損の状況などについて、詳細な分析を行う予定です。
段々と日が短くなっていくのを、1日の作業を終え、調査事務所に戻りながら感じます。遺跡そばの女鹿漁港からは、日本海に落ちていく夕日をみることができます。
先週紹介した4区の竪穴建物で見つかった遺物の出土状況です。赤い土器が煮炊きに使われた長胴甕で、灰色の土器が食器として使われた坏や蓋です。甕は壊されて廃棄されており、食器類は重ねて廃棄してあります。
2区の南側調査区では、焼けた土や粘土を張り付けたような範囲が竪穴住居の北側壁付近から見つかっています。立ち割って断面を確認したところ、ブロック状に成型した粘土を据え付けたことが分かりました。
4区の大型竪穴建物の調査を開始しました。少しづつ掘り下げると・・・。
遺物がまとまって出土しました。須恵器と呼ばれる焼き物が重なって出土した箇所もあります。平安時代でも9世紀初頭くらいのものとみられます。
今週も旧石器出土予想範囲の掘り下げを行いました。約2m四方の範囲を、一人ずつ担当して掘り下げていきました。
集中的に石器が出土した範囲について、写真撮影を行いました。
ドローンでも上空から石器の集中範囲を撮影しました。壁沿いに石器が出土しています。
東北大学東北アジア研究センターの、旧石器時代の石器の使用痕研究を専門にされている佐野勝宏教授が見学にいらっしゃいました。
C区北側の遺構検出が終わったので、ドローンを用いて調査区全体の俯瞰撮影をしました。
C区北側は耕作するために削平された部分がありますが、古代の住居跡と思われる遺構や、縄文時代中期頃の大きな土坑などが発見されました。
C区東側の旧石器の調査を続けて行いました。茶色粘土の土である火山灰由来のローム層を掘り下げると、珪質頁岩や玉髄といった石材を素材にした石器が出土しました。中には、1cmにも満たない小さな破片も出てきました。そのような小さな石器をも見つけるよう、丁寧に細かくローム層を掘り下げていきます。
4区で遺構検出を行いました。中央付近に大きな竪穴建物が確認されました。複数の竪穴建物が重複している可能性もあります。今後の調査で確認します。
2区南側では古代の遺構を検出しました。近世の遺構によって壊されており、分かりづらい部分もありましたが、2棟の竪穴建物を確認することができました。
先週に引き続き、C区北側の面整理を行いました。
C区北側の東端では、縄文時代中期頃のものと考えられる土器が出土する大型の土坑が発見されました。
C区北側では、多数のピットとともに、古代の住居跡やその可能性がある遺構、縄文時代の大型の土坑の可能性がある遺構が発見されました。
今週は3区を中心に作業を進め、調査を終了しました。3区北側では平安時代の竪穴住居や近世の井戸跡と考えられる遺構が見つかりました。
3区南側では、北側の半分以上が現代の開発により遺構が無くなっていました。その中でも、遺構底面に石敷きを行った遺構(写真下中央左側)などが見つかりました。
3区の調査が終了したのに伴い、3区の埋め戻しと新しい調査区である4区の表土除去を重機で行いました。次週からは2区の南側調査区と4区を並行して調査していきます。
C区北側の表土掘削が終わrりました、遺構が残されていないか、地表面を薄く削って色や土質の違いを調べました。
C区北側は、おそらく戦後直後に行われた開墾によって削られてしまった部分が多いようですが、一部に古代の土器が出土する溝や火を焚いた焼土遺構などが確認されました。
今週も2区と3区に分かれて作業を行いました。3区では引き続き竪穴住居の掘り下げを行い、床面を確認しました。
2区では近世の遺構の調査がほぼ完了しました。今後は下層の古代の遺構について調査していきます。掘り下げに伴って少しずつ古代の遺構が見えてきています。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research