旧石器時代から近現代まで幅広い時代の調査成果が得られた水林下遺跡(遊佐町)です。
山形県内最古の磨製石斧が出土しました。約3.5~2.8万年前のもので、富山県と長野県境付近で産出する透閃石岩という石材です。再加工や過度の使用で元の形から大きく変わっていますが、磨いた面が残っています。
縄文土器も出土しています。縦に半分に割った竹で細かい格子状の文様が刻まれた土器片です。約5300年前の土器と思われます。
今回の調査では古代の竪穴住居跡も確認され、古代の土器も出土しています。写真は土師器の皿です。
調査では製塩土器も出土しています。塩を作るための土器で、大半は破片ですが、多く出土しています。海が近い水林下遺跡で、塩作りがされていたのでしょうか?
今年度の調査が終わり、使った器材についた泥などの汚れを、丁寧に洗い落しました。
現場周辺の器材の撤収や農道の補修も終わり、旧石器が出土したC区東側を埋め戻しました。
最終日には、上山市にある埋蔵文化財センターへ搬入する器材をトラックに積み込みました。積み込んだのち、トラックは出発し、センターへと向かいました。
今年度のすべての作業が完了し、全員で労をねぎらいながら、解散となりました。水林下遺跡第2次発掘調査に携わった皆さま、そしてご協力いただいた皆さまに、御礼を申し上げます。
秋田大学の林信太郎先生が8月に続いて現場へお越しなり、鳥海山の火山噴出物の岩石や旧石器時代の石器が出たローム層などのサンプルを採取されました。
先週は雨やアラレが降ったりと、大荒れの天候の中の調査となりました。みんな、泥だらけになりながら頑張りました。
掘り下げ作業は、金曜の午前10時まで行いました。最後の最後まで石器が出土しました。今年度では300点余り、昨年度と合わせると450点近くの石器資料が採集されました。
掘り下げが終了したあとは、現場においてある器材の撤収や調査区の埋め戻しを行いました。今年度の調査も、残すはあと2日になりました。
雨が降る中、堆積層を観察するために残した土手状のベルトを崩していきました。
石器がたくさん出土した地点のそばのベルトの中からも、続々と石器が出土しました。
2000年に発覚した「前・中期旧石器ねつ造事件」ののちに行われた検証発掘では、埋め込まれた石器の下には埋め込んだ際に使用した工具の跡など、不自然な痕跡が残されていることがわかりました。そのため、水林下遺跡の調査では、ねつ造された石器ではないことを示すために、石器の下の跡形である「インプリント」の記録も行いました。
調査も終盤になり、遺跡の全景写真をドローンを使って撮影しました。掘る作業は、実質あと1週間ほどになりました。
雨天が多かった一週間だったので、好天に恵まれた月曜日は、たいへん貴重な1日でした。
月曜日からは、水林下遺跡第2次発掘調査の現場公開が始まりました。見学に訪れたかがたは、3万5千年前の石器が出土している状況を目の当たりにして、大変驚かれた様子でした。
石器の出土位置を記録するために、出土した石器を中心として、数cm範囲を残し、土の柱として残して周囲の掘り下げを行います。写真や座標計測をした後で石器を取り上げ、土の柱をまた石器が出ないか崩すのですが、この日はその柱から後期旧石器時代前半期に多く現れる「台形石器」が出土しました。意外な場所から出土したので、大変驚きました。
連日雨が降り、泥をかき出しながらの調査となりました。
透閃石岩(とうせんせきがん)製で、裏側に研磨痕がある剥片が出土しました。これも、もともとは磨製石斧だったことが考えられます。先日発見された石斧とは異なる母岩のようで、石斧がもう一つあったことが示唆されます。
玉髄というガラス質で半透明な石材から割り出された、大きな剥片が出土しました。水で汚れを洗うと、きれいな色合いの石器に見えます。
山形で初めて後期旧石器時代前半期の磨製石斧が発見されたこともあり、県内外の旧石器を研究者が見学に来ました。
長年、石器の石材について研究されている明治大学黒耀石研究センター客員研究員の中村由克先生が現場にいらっしゃいました。先日出土した磨製石斧について、顕微鏡観察や帯磁率測定などの分析が行われ、北陸産の「透閃石岩(とうせんせきがん)」ということが判明しました。この石材は、東北地方では3例目で、直線距離で約300km以上遠く離れた場所から来たことが判りました。なぜ、この透閃石岩製磨製石斧が水林下遺跡にあるのかについては、今後の検討課題となります。
連日のように雨が降り続きました。前日に溜まった雨水を排水し終えて、やっと発掘調査が始まります。
排水が終わり、旧石器が出ると予想されるⅥ層を鎌で削ると、黒っぽくてつるつるした珪質頁岩(けいしつけつがん)という石を素材にした剥片(はくへん)が顔を出しました。剥片は、石塊に川原石などのハンマーで叩いたときに割り出される石片のことを言います。
C区北側の東端には、縄文時代と思われる遺構がありましたので、より東に遺構が拡がっていないかどうか確認するために、重機による表土掘削を行いました。
引き続き旧石器が出土する予想範囲の調査を行いました。連日のように降ってくる雨に悩まされながらの調査となりました。
旧石器が出土するローム層から、磨製石斧が出土しました。日本では、3.8万年から2.9万年前にあたる後期旧石器時代前半期では、刃の部分を研磨する「刃部(局部)磨製石斧」がよく出土するのですが、これまでに県内では発掘調査による出土例がありませんでした。出土した磨製石斧は、残念ながら破損したものですが、山形県内では初の事例となります。そして、県内最古の磨製石斧でもあります。今後、用いられた石材や製作技術、破損の状況などについて、詳細な分析を行う予定です。
段々と日が短くなっていくのを、1日の作業を終え、調査事務所に戻りながら感じます。遺跡そばの女鹿漁港からは、日本海に落ちていく夕日をみることができます。
今週も旧石器出土予想範囲の掘り下げを行いました。約2m四方の範囲を、一人ずつ担当して掘り下げていきました。
集中的に石器が出土した範囲について、写真撮影を行いました。
ドローンでも上空から石器の集中範囲を撮影しました。壁沿いに石器が出土しています。
東北大学東北アジア研究センターの、旧石器時代の石器の使用痕研究を専門にされている佐野勝宏教授が見学にいらっしゃいました。
C区北側の遺構検出が終わったので、ドローンを用いて調査区全体の俯瞰撮影をしました。
C区北側は耕作するために削平された部分がありますが、古代の住居跡と思われる遺構や、縄文時代中期頃の大きな土坑などが発見されました。
C区東側の旧石器の調査を続けて行いました。茶色粘土の土である火山灰由来のローム層を掘り下げると、珪質頁岩や玉髄といった石材を素材にした石器が出土しました。中には、1cmにも満たない小さな破片も出てきました。そのような小さな石器をも見つけるよう、丁寧に細かくローム層を掘り下げていきます。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research