土橋北半の下層で確認された”しがらみ”の平面的な広がりを記録した後で、南北方向に断ち割って掘り下げを行いました。
しがらみより下は、大部分が写真右側から続く堀の堆積層と判明しました。土橋は、元々堀として広く掘削されていたところに、江戸時代のある時期に構築したものと考えられます。
土橋北端の土層断面です。上層は土留め板の脇に充填した土橋の盛土で、下層は土橋構築前に堆積した堀の砂層と考えられます。
土橋北半の下層で確認された”しがらみ”の平面的な広がりを記録した後で、南北方向に断ち割って掘り下げを行いました。
しがらみより下は、大部分が写真右側から続く堀の堆積層と判明しました。土橋は、元々堀として広く掘削されていたところに、江戸時代のある時期に構築したものと考えられます。
土橋北端の土層断面です。上層は土留め板の脇に充填した土橋の盛土で、下層は土橋構築前に堆積した堀の砂層と考えられます。
近世の遺構検出面の調査もほぼ終了しました。
遺構を清掃して、近世の遺構検出面の完掘状況全景を撮影しました。
今回の調査区の大部分は、河川の中にあるため、遺物がかつての流れにそって直線的に出土する様子がみてとれます。
別の場所では川砂利の土層に挟まれて遺物が出土し、急流に押し流されたことがうかがえます。
土橋の北半分について、記録をとりながら掘り下げを進めました。上層では盛土が比較的見られましたが、中層より下は丸石の積み上げを中心に構築しています。
写真中央の杭列より左側(土橋の本体部分)では、積み上げられた丸石を除去すると砂層になります。堀(写真右側)に面する杭列間では、下層近くにしがらみ状の小枝が広がります。
杭列の裏側には、積み上げた丸石が崩れないように横長の板材を6~7段重ねて立て据え、長細い板材を等間隔に立て並べています。板材は釘などで固定していないようです。
水の流れで堆積した砂地の層からは、遺物の出土が少ないのでスコップで掘り下げます。この下には石の層があり、その上面には、流されてきた遺物が出土することがあります。
先週のHPで紹介した近代の溝は、一部堀南岸まで及んでいます。写真左下の横木は動かされている可能性が高くなりましたが、この西側(写真右下)に攪乱されていない胴木の痕跡が残存していました。
馬出部分の東側には、近代の溝による破壊を辛うじて免れた土坑が確認されました。土層の堆積状況を記録したうえで覆土を掘り下げています。
近代の溝上層と近世の遺構を完掘した状況です。近代の溝の胴木付近で大きな金峯石が2つ見つかり、堀南側の上層で並んで出土した金峯石と一連のものかもしれません。
今週も区画ごとの掘り下げを行いました。後半の調査区は、ほぼ全体が川の中にあるようで、住居跡などはありませんが、流されてきた遺物が出てきます。
掘り下げを進めると、川の跡がはっきりと出てきました。川から外れた場所にはいくつかの柱穴のような遺構が確認できます。
地域の小学生を中心に、体験発掘を実施しました。皆さん丁寧に遺物を掘り出してくれました。
今週も7区南側の調査を行いました。
主に近世の遺構を掘り下げ、並行して記録してます。
江戸時代の洗い場でしょうか。低い石組で、床面も石が組まれていました。
深い穴で、壁面に板材を立て4か所に杭を打って固定していた穴蔵のような遺構が発見されました。出土したのは近世の遺物ばかりなので、近世のものであると考えられます。
先週から掘り下げを進めた石組遺構を完掘しました。がっちりと壁面に石組が施されています。深さも70cmほどあり、床面が突き固められており、水場ではないと思われます。地下の貯蔵施設なのでしょうか?近現代の遺物が出土したことから近年まで使われていたようです。
今週も7区南半の遺構精査を行いました。近世の土坑からは磁器が出土しました。
石組を掘り下げています。出土する遺物は近現代のものですが、石組自体は近世のものと推測され、長く使用されて埋めるときにゴミも投棄したようです。
インターンシップの大学生が発掘作業に参加しました。考古学を専攻しており、将来考古学に関わる仕事に就きたいとのこと。とても頼もしいです。
下層の様子を探るため、区画ごとに掘り下げています。下から遺物や新たな遺構が発見されるかもしれません。
掘り下げて行くと遺物が出土します。掘り出したい気持ちを抑えて、出土位置や状況を記録するため、四角い島状にのこしています。