
柱穴と考えられる遺構を浅く掘り下げ、柱の痕跡や柱材を抜き取った穴がないか確認します。

これは2つの柱穴が重なっています。土質や色調などの違いから、左側の柱穴の埋め土を右側の柱穴が掘り込んでいると判断できます。

江戸時代頃の小型の柱穴が複数見つかりました。一直線に並ぶところもあり、掘立柱建物を構成するものが含まれるようです。

柱穴と考えられる遺構を浅く掘り下げ、柱の痕跡や柱材を抜き取った穴がないか確認します。

これは2つの柱穴が重なっています。土質や色調などの違いから、左側の柱穴の埋め土を右側の柱穴が掘り込んでいると判断できます。

江戸時代頃の小型の柱穴が複数見つかりました。一直線に並ぶところもあり、掘立柱建物を構成するものが含まれるようです。

C区東側に遺構が残っていないか、表面を削りながら調べました。

クロボク土の中や、地山の表面からは土器や石器とともに、鳥海山の噴火の際に飛んできたり、流れてきたと思われる、拳大から径1m大の安山岩がたくさん出てきます。

最新の測量機器を使って、調査区を測量しました。

内陸では強い雨が降った所もありましたが、遺跡がある女鹿地区は雨がほとんど降りませんでした。鳥海山から湧き出る積乱雲が見えても、なぜか女鹿には雨雲が届きませんでした。

重機で表土掘削した部分を人力で丁寧に削り、遺構検出を進めています。

調査区全体に広がる旧河道の土は、縄文土器が出土する北側の褐色土(写真右側)と巨石を含む南側の黒色土(写真左側)の間に砂礫が帯状に挟まります。

北側の褐色土上面で“縄文時代の万能ナイフ”石匙(いしさじ)が見つかりました。比較的近くで石鏃(せきぞく)も出土しています。

梅雨らしい天候が続いています。雨天後の調査は調査区の排水からスタートします。滑る足元に注意しながら、バケツやスポンジなどを使って排水していきます。

排水が終われば続いて遺構の掘り下げを行います。今回の調査区では柱穴や土坑など、大小さまざまな遺構があり、各遺構にあった掘り方を考えながら調査しています。

C区西側の今年度あらたに調査する範囲のクロボク土を掘り下げて、遺構が残っていないか調べました。

クロボク土の直下には、いくつかの柱か杭の跡や土坑の可能性ある遺構が見つかりましたが、出土遺物はほとんどありませんでした。

C区東側でも、クロボク土の直下に遺構や遺物がないか調査しました。C区東側では、クロボク土直下に柱穴や土坑、溝跡などの多数の遺構が見つかりました。また、古代の土器や縄文時代と考えられる石器が多数出土しました。

遺構の掘り下げを始めました。まずは半分だけ掘り下げ、土の堆積を確認します。

遺物も少しずつ出土してきました。これは17世紀初めごろの九州で焼かれた陶器です。

事務所から調査現場までのルートは、ほ場整備工事で農道が分断されているため、工事用道路を歩いて向かいます。

先週から継続して表土除去を行ないました。昨年度の調査と同様に旧河道が広がり、重機でないと動かせない巨石がゴロゴロしています。

重機で掘削した壁面を削り整え、大事な調査区が雨などで水没しないように事前に排水溝を巡らせておきます。

重機や手作業で、未調査区の表土と昨年度調査未完了の範囲の埋め土を取り除きました。古代の土器とともに、石器が数点出土しました。

調査区を測量するための基準点と、調査区内を格子状に区切り、遺物や遺構の位置を記録するためのグリッドを設定しました。

ドローンで遺跡上空から撮影したパノラマ写真です。左に鳥海山が、右に日本海と約3,000年前に噴出した「猿穴溶岩」でできた三崎海岸が見えます。遺跡は、ながめが良い場所に立地しているのがわかります。

山形城三の丸跡の22次調査が開始されました。作業開始にあたり雇用開始式を行いました。

いよいよ調査開始です。今回は4区画に分け調査を行います。まず、1区の表土を重機で掘り下げました。

遺構を検出した状態です。灰色の土壌は近世の整地層のようです。それを掘りこんで井戸跡のようなものが見られます。

杉沢C遺跡の第2次調査を開始しました。まずは発掘調査器材をトラックから降ろして調査環境を整えます。

調査区まわりの草刈りを行い、重機による表土除去に備えます。

周囲では、ほ場整備のための工事が同時に進められています。安全に気をつけながら9月上旬まで調査を行います。