拡張した縁辺部の調査と並行して、土層観察のため、これまで半掘りしていた遺構の完掘作業を開始しました。
調査区西側の遺跡範囲では、県教育委員会による試掘調査が行われました。その結果、遺構や遺物の存在が確認された場合は、来年度に発掘調査を実施します。
夕方5時前の西の空です。日没がすっかり早くなり、家路に着くころには日暮れで暗くなり始めます。
拡張した縁辺部の調査と並行して、土層観察のため、これまで半掘りしていた遺構の完掘作業を開始しました。
調査区西側の遺跡範囲では、県教育委員会による試掘調査が行われました。その結果、遺構や遺物の存在が確認された場合は、来年度に発掘調査を実施します。
夕方5時前の西の空です。日没がすっかり早くなり、家路に着くころには日暮れで暗くなり始めます。
建物の規模が不明だったSB1001は桁行6間、梁行2間の大きな建物であることが分かりました。
F区の表土除去が終わり遺構検出のための面整理作業を行っています。地山との境界付近で平安時代の土器片が多く出土しました
D区の竪穴住居跡(ST20)の検出状況です。南西側(写真右下)で大きな須恵器片が密集して出土しています。隣接して、北東側(写真左上)には土坑と思われる遺構(SK19)もあります。
C区の竪穴住居跡(ST13)カマド付近の写真です。これまで検出した加藤屋敷の住居跡は、土師器片や須恵器片などの出土遺物から、すべて奈良・平安時代のものと考えられます。
B区の溝跡(SD2)です。図面や写真等の記録作業が終わったため、残しておいた土(ベルト)を掘り下げていきます。
今週から遺構の完掘作業に入りました。遺構断面の記録作業が終わり、半分にした遺構内の埋め土をすべて掘り下げていきます。
完掘した柱穴の状況です。くぼんだ範囲に柱がすえられ、周りを河原石で敷き詰めて、しっかりと固定した様子がわかります。
河跡(SG1)西側の完掘した柱穴群です。前の写真であったように、他にも石組みの柱穴が確認されました。
福栄小学校の子ども達が見学に来ました。現場で発掘を体験してもらいました。
地面の一部分が焼けて真っ赤になっていますが炉やカマドの痕跡はみつかりませんでした。
先週お伝えした河川跡の全景です。断面を見るためのベルトを残し、完掘しました。
分層作業をしているところです。土の堆積状況を見ながら層を分けていきます。
斎藤家調査の様子です。柱の跡などを掘っています。
斎藤家調査区内の柱の跡です。底に石が残っていました。この上に柱を建てたと考えられます。
前々回掲載された草刈家調査区内での木枠の進行状況です。周りを掘り進めると、水路のようになっています。来週は、どのように広がるかを調査していきます。
この季節、置賜地方は霧に包まれる朝が増えてきます。10時過ぎまで霧が晴れないこともあります。
以前見つかっていた溝の続きが拡張部分でも見つかりました。中世前期の遺物が出土します。
溝が掘りあがりました。何度も流れを変えていたようです。
調査も終盤を迎えました。来週25日(水)には調査説明会を行います。現在は、河川跡の掘り下げ作業などを行っています。箸のたっているところから土師器や須恵器が出土しています。
赤く焼けた遺構の断ち割り作業の様子です。焼けたところがどこまで広がっているかを調べています。
火起こしと勾玉の説明を聞きました。
当日は100名ほどの参加があり、みんな喜んで参加していました。
勾玉石に鉛筆で下書きをしてヤスリで削っていきます。
最後はもみがらに火をつけたところに芋を入れて全員で焼き芋をしました。