大きなカクランの穴の跡を掘っています、ベルトを掘って堆積層の様子を見ます。
カクラン層から出土した一升瓶です、現代の遺物が出土することも珍しくありません。
清水遺跡8次の溝跡を慎重に掘り下げています。
途中をカクランに切られています。
大きなカクランの穴の跡を掘っています、ベルトを掘って堆積層の様子を見ます。
カクラン層から出土した一升瓶です、現代の遺物が出土することも珍しくありません。
清水遺跡8次の溝跡を慎重に掘り下げています。
途中をカクランに切られています。
前回紹介しました、大量の瓦が出土したL-1区の石組み遺構の5段目です。
最終的に、6段目まで瓦が出土し、総数390点の瓦が検出されました。
J-4区の調査が終了したので、埋め戻して、その上に砕石を敷いて、平らにならしています。
これから調査を行う、L-2区を重機で掘り下げています。
調査事務所のすぐそばです。
先週に引き続き、4区の2~3層の掘下げを行いました。
今週は、たいへん蒸し暑い中での作業でした。
4区の南側では、縄文時代中期の遺物がたくさん出土しました。
4区の北側では、縄文時代中期の遺物が出る層位よりも下位から、中期よりも古い縄文時代早期の土器片がたくさん出土しました。
遺跡の北側には、縄文時代早期の遺構や遺物が広がっている可能性が高いことがわかりました。
4区の北側から出土した、押型文土器や条痕紋土器などの、縄文時代早期の土器片です。
これまでに出土した中期の土器よりも古いものです。
縄文時代早期の土器は、装飾された中期の土器と異なり、尖った底をした、シンプルな形をしています。
遺跡では、少なくとも、縄文時代早期に生活の舞台となっていたことがわかりました。
4区の南側の遺物集中部の中から、土偶の頭部が出土しました。
逆三角形の顔に、目、鼻、口が表現されてありました。
縄文時代中期に特徴的な土偶のかたちをしています。
27日には、東北学院大学の佐川教授と熊谷教授が来訪されました。
今週は晴天が続いたため、B区の北側の調査を進めることが出来ました。
写真撮影のための清掃作業をしています。
B区北側の全景写真です。
黒い部分が遺構です。
全景写真の撮影が終了したため、B区の河跡を掘り下げます。
河跡の中から刻書土器が見つかりました。
表面に文字が刻んであるのが分かります。
「佛法為」と読むことが出来るようです。
K-2区の東側は遺構精査が進み、並行して断面図・平面図作成などの記録作業を行っています。
連日の猛暑の中、熱中症に注意しながら調査を進めます。
L-1区の石組み遺構から出土した瓦は2段目の取り上げが終わり、1段目と合わせて総数237点に達しました。
その下(3段目)にもまだ大量の瓦があり、さらに精査を進めます。。
その3段目の瓦の中に「軒平瓦(のきひらがわら)」が見つかりました。
中心飾りの「宝珠文(ほうじゅもん)」と2本の唐草の文様がはっきりと確認できます。
この瓦が造られた年代を知る手がかりになります。
6区の河川跡土層断面図を作成しました。
5区では遺構の精査を開始しました。
石組の井戸跡です。
廃棄するときに上部の石組を崩したようで、大きな石が出てきました。
調査事務所のすぐ前で、バイクの自損事故が発生しました。
交通安全には気をつけないといけません。
清水遺跡7次で、トータルステーションで座標を測り、図面に点を描いて結びます。
遺構の形をそうやって図に描いていきます
清水遺跡8次の遺構の半裁(半分に割って掘り下げること)も進んでいます。
清水遺跡8次の遺構の検出も終わり、真夏に本格的な調査の山場を迎えます。
4区2層から出土した「土笛」です。
全体は鳥?形で、背中の中央に穴が穿たれていました。
内部は中空です。
出土土器の清掃をしています。
刷毛やブラシ、竹べらなどを用いて慎重に進めています。
出土した土器をブラシを使って洗浄をしています。
4区2層中の土器出土状況。
おびただしい数の土器が斜面上部から出てきました。
4区3層での土器出土状況です。
形がやや残っていた例で、無紋地に大ぶりな渦巻文が特徴的です。
遺物出土状況の写真撮影をしています。
左手にはカラーチャートを持っています。
現地の色彩が忠実に再現できるようにするための方法です。
L-1区の瓦の実測を行っています。
ちいさな破片もひとつひとつ正確に記録していきますので、とても根気のいる作業です。
記録が終わった瓦から取り上げます。
画像のような軒丸瓦も数点出土しています。
一段目の記録と取り上げが終わりました。
下にはまだまだ大量の瓦がありました。