
2区は地下水の湧出が多く、土が浮いてしまい人が入れる状態ではありませんでした。
そのため、再度重機を入れて表土を削っています。

重機で削ったあとは人力で土表面を綺麗に削りなおし、遺構があるか確認します。

1区の川跡から木製品が出土しました。
写真では確認できませんが、内側が削られており、端部が外に開いたU字形の断面をしています。

5区の風倒木跡の調査を行いました。
少しですが、土器が出土しています。

5区で発見された土坑を掘り下げています。
中には大きな石皿とみられる遺物が埋められていました。

12区を完掘しました。
奥の方に近世の土坑があり、陶磁器やかわらけの灯明皿が出土しました。

12区の記録作業です。
光波測量機で正確な位置を計測して図化します。

記録終了後に埋め戻しました。
残るは10区と11区です。

8/5から花笠まつりでした。
事務所の前を踊り手さんが集合場所に向かって歩いて行きました。

先週までの梅雨空から一転、真夏の空の下での作業となった一週間でした。
現場は連日かなりの高温となりました。

調査区はかつての馬見ヶ崎川の流路の中にあります。
堆積した砂の上に遺構があるためとても崩れやすく、土嚢で養生しながら調査を行っています。

先週抽出した掘立柱建物跡の写真を撮影しました。

この建物跡は長軸・短軸ともに2間(けん)と、八幡西遺跡では最も小さな建物です。

こちらの建物跡も全体は5×3間ですが、3間の母屋に二面廂(手前と奥)が付く構造です。

1区北側の川跡を掘り下げています。
川底付近から遺物が多く出土しています。

川底から円面硯と思われる破片が出土しました。
線刻による模様が刻まれているのが確認できます。

1区と2区の境にある竪穴住居跡のカマド脇から大量の土器が密集して出土しています。
甕(かめ)や小型壺、坏などが確認できました。

先週に引き続き、遺構の掘り下げを行いました。
深い遺構はおたまを使って掘り進めます。

土坑からは縄文時代後期はじめ頃の土器が出土しています。

縄文時代の終わり頃の土坑とみられる遺構もみつかっています。

12区の江戸時代の土坑の断面を計測し図面として記録しています。

断面の記録が終わった後に江戸時代の土坑を掘り下げました。
当時の磁器や灯明皿が見つかりました。

大手町の調査区にも測量用の杭を設置しました。
設置した杭は測量機器を据える際や図面を作成する際の基準として使用します。

遺構の掘り下げをはじめました。
この土坑からは18世紀の染付の碗や擂鉢が出土しています。

川西町の小中学校の先生方が、地域の歴史に理解を深める目的で研修に来られました。

この日は東北地方で梅雨明けが宣言され、炎天下の現場では発掘作業も体験してもらいました。

今週は建築史の専門家を現場に招き、掘立柱建物を構成する柱穴群の抽出をお願いしました。
同一建物の抽出には、上部構造の専門的な知識が必要になります。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research