「2014(H26)年度」カテゴリーアーカイブ

山形城三の丸跡14次(8月18日~22日)


K-2区の石組み遺構は、3段目・4段目と精査を進めています。
中には直径50cmを超える大きな石もあるので、たいへんな作業です。


石組み遺構4段目の状況です。
石組みの内側に一辺約120cmの正方形の木組みがあったようです。
四隅の柱の跡がはっきりと確認できます。


木組みに使われていた木材の一部が、腐らずに残っているのが見つかりました。
この遺構の年代や性格を知る手がかりになるでしょうか?


羽黒神社西遺跡(8月11日・12日)


4区の西側には、大量の土器片や石器が分布していました。
先週、遺物の取り上げを行った後、今週はさらにその範囲を掘り下げました。
掘り下げたところ、遺物がさらに出土しました。


4区の南東部を掘り下げたところ、袋状土製品が出土しました。
本調査では、2点目の出土になります。


4区の南東部、袋状土製品が出土したところの近くで、土偶の足の部分が出土しました。


出土した土偶の足の部分を洗ってみると、表面に精緻な文様が施されていることがわかりまました。
元の大きさを考えると、かなり大きな土偶であった可能性があります。
今後の調査で、残りの部分が発見されることが期待されます。


4区の南東部の黒色土が拡がる範囲に、
地層の状態を調べるために、細長いサブトレンチを設けました。


サブトレンチの南側では、少なくとも3個の土器がその場所で潰れた状態で出土しました。
黒色土が拡がる範囲に、住居などの遺構がある可能性が考えられます。


清水遺跡第7・8次(8月11日・12日)


写真撮影のために、地面を削ってきれいにしています。
土の色がよく出ているのがお分かり頂けるでしょうか。


写真撮影の前にタワーを立てています。


遺跡の範囲は南側にも広がっています。
草がものすごく繁茂しているので汗だくになりながら草刈りを行います。


山形城三の丸跡15次(8月4日~8日)


石組の井戸の完掘状況です。
ガラス瓶が出てきたので、数十年前まで使われていたかもしれません。


土を盛って整地したかのような場所にトレンチを設定しました。
南北方向に伸びる大きな溝跡でした。


隣の3区の表土掘削も行いました。
手前(北側)は建物の基礎で撹乱を受けて状態は良くないようですが、
奥(南側)は残存状況が良い可能性があります。


山形城三の丸跡第14次(8月4日~8日)


新たに調査開始したL-2区です。
検出した遺構には白く線を引きわかりやすくしています。
遺構精査の前には測量を行い、遺跡の位置の基準となる杭を設置します。


K-2区で検出された、井戸と思われる石組みの1段目の図面を作成しています。
この後、見えている石を外して2段目の調査に取り掛かります。


石組の2段目の図面を作成しています。
石組の中央にはロの字型の溝のような部分がありますが、
これは組まれていた木材が腐り、周辺の土や石だけが残って空洞になったものです。


羽黒神社西遺跡(8月4日~8日)


4区斜面部分での遺物検出作業状況です。
足場が悪く、おびただしい数の土器片から足の置き場に苦労しながらの作業です。
足・腰がとても疲れます。。


4区斜面部での作業状況です。
一列に並んで、斜面上部から下へ向かって遺物を検出しながらその広がりをとらえているところです。


4区東側での遺物検出状況です。
土を少しずつ削るようにして掘り下げ、土器・石器などの遺物を見つけて行きます。


4区東側の斜面部で見つかった深鉢といわれる甕形土器の優品です。
底が抜かれているようで、もしかしたら甕棺として使われたものかも知れません。


縦型の石匙が出土した状況です。
石匙は携帯用の万能ナイフと言われています。


横型の石匙が出土した状況です。


土偶頭部、目鼻のしっかりした表現と丸く空いた口が特徴的な中期中葉の典型的な土偶です。


頭から5mほど離れた地点から出土した土偶体部。
広げた腕、女性を表す乳房、胸からお腹にかけての隆起線と沈線、
おへそと思われる穴などが特徴です。