「2015(H27)年度」カテゴリーアーカイブ

山形城三の丸跡第16次(9月28日~10月2日)

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P-2区東側の調査も残りわずかとなりました。
調査区中央の溝の調査を行い、土の堆積状況を記録します。

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P-3区南側の完掘全景です。掘立柱建物や竪穴住居など多くの遺構が重なり合った密度の高い調査区でした。

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M-1区では遺構の調査を終え、下層の確認を行いました。


上竹野遺跡(9月24日~25日)

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休日明けの作業となりました。
先週に引き続き2区捨て場(SF133)の掘り下げを行いました。

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4区の遺構配置図を作成しました。
4区東側で捨て場(SF134)を確認しています。

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捨て場(SF133)から土版(どばん)が出土しました。土版は、板状の土製品で主に四角形や楕円形の形をしています。縄文時代晩期の東北地方から関東地方にかけて出土が確認されています。


羽黒神社西遺跡第2次(9月24日~25日)

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今週は、3区と4区の遺構の掘り下げと記録作業、5区の3層掘り下げを行いました。

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4区では、多量の土器や石器とともに炭や焼けた土が密集する、直径1.5mの円形遺構が見つかりました。円形の範囲の中で火を焚いたのでしょうが、その目的などはまだ不明です。

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3区のフラスコ状土坑がどのように埋まっていったのかを調べるために、フラスコ状土坑の縦半分を掘っていますが、深さが2mを超えました。埋まっていく過程で、焼けた炭を土坑の中に投入していた痕跡が見つかりました。

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3区のフラスコ状土坑を人為的に埋めた堆積土から、半透明な黒曜石でできた2点の「異形石器」が発見されました。異形石器は、何に使われたのかはよくわかっていません。しかし、この遺跡で見つかっている「異形石器」を見ると、黒曜石や玉髄などのきれいな色をした石材で作られていますから、服に着ける飾りやアクセサリーのような使い方をしていたのかもしれません。


山形城三の丸跡第16次(9月14日~18日)

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P3区の掘立柱建物跡は、各柱穴を半分掘り下げて断面調査を行いました。図を作成してみると、深さ約50cmの柱穴と約20cmの柱穴が交互に95cm等間隔で並んでいることがわかりました。

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深さ約20cmの浅い方の柱穴では、沈下防止のため、礎石(写真)や根石で柱の基礎固めが行われています。

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先週お伝えしたM1区の土坑は、掘り下げを進めたところ、乱石積の井戸枠を確認しました。埋没の過程で、枠内に積石が崩落したもようです。


羽黒神社西遺跡第2次(9月7日~11日)

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今週は、全国的な被害をもたらした大雨の影響で、調査時間が限られてしまいました。雨の上がった週末に、3区と4区の遺構の調査とその記録作業を行いました。

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フラスコ状土坑の中に埋まった土を掘り出しています。このフラスコ状土坑は一度、南側が崩落した後、補修して再度使われていたことがわかりました。

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フラスコ状土坑の近くで見つかった、中心部に焼土痕跡が認められる土坑です。中から土器片や石器がたくさん出土しました。

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幅50cm、深さ60cm程度の土坑を埋めた土の中から、緑色凝灰岩製の小さな磨製石斧が発見されました。ほかにもいくつかの土器片が、埋め土の中から見つかっています。この土坑を埋める際、埋め土の中に、これらの遺物が混入したものと考えられます。