P-2区東側の調査も残りわずかとなりました。
調査区中央の溝の調査を行い、土の堆積状況を記録します。
P-3区南側の完掘全景です。掘立柱建物や竪穴住居など多くの遺構が重なり合った密度の高い調査区でした。
M-1区では遺構の調査を終え、下層の確認を行いました。
休日明けの作業となりました。
先週に引き続き2区捨て場(SF133)の掘り下げを行いました。
4区の遺構配置図を作成しました。
4区東側で捨て場(SF134)を確認しています。
捨て場(SF133)から土版(どばん)が出土しました。土版は、板状の土製品で主に四角形や楕円形の形をしています。縄文時代晩期の東北地方から関東地方にかけて出土が確認されています。
2区捨て場(SF133)の掘り下げの様子です。土器・石器が多量に出土しており、特に土器はある程度、形になるものも出土しています。
遺物の出土状況を撮影しました。
写真撮影後、4m×4mのグリッドごとに平面図を作成しました。
今週は、3区と4区の遺構の掘り下げと記録作業、5区の3層掘り下げを行いました。
4区では、多量の土器や石器とともに炭や焼けた土が密集する、直径1.5mの円形遺構が見つかりました。円形の範囲の中で火を焚いたのでしょうが、その目的などはまだ不明です。
3区のフラスコ状土坑がどのように埋まっていったのかを調べるために、フラスコ状土坑の縦半分を掘っていますが、深さが2mを超えました。埋まっていく過程で、焼けた炭を土坑の中に投入していた痕跡が見つかりました。
3区のフラスコ状土坑を人為的に埋めた堆積土から、半透明な黒曜石でできた2点の「異形石器」が発見されました。異形石器は、何に使われたのかはよくわかっていません。しかし、この遺跡で見つかっている「異形石器」を見ると、黒曜石や玉髄などのきれいな色をした石材で作られていますから、服に着ける飾りやアクセサリーのような使い方をしていたのかもしれません。
7区のST71竪穴住居跡の完掘状況です。
南北に棟持柱状の立派な柱と、中央にも柱が有ります。四隅と東西壁にもやや細めの柱が有ります。
8区の表土掘削を開始しました。
引き続いて、8区の面整理も開始しました。
先週お知らせしたM-1の乱石積の井戸です。調査を進めて石を一段取り外したところ、石組の半周部分がはっきりわかるようになりました。
M-1区の調査期間が残りわずかのため、悪天候をおして記録作業を行いました。
P3区の掘立柱建物跡は、各柱穴を半分掘り下げて断面調査を行いました。図を作成してみると、深さ約50cmの柱穴と約20cmの柱穴が交互に95cm等間隔で並んでいることがわかりました。
深さ約20cmの浅い方の柱穴では、沈下防止のため、礎石(写真)や根石で柱の基礎固めが行われています。
先週お伝えしたM1区の土坑は、掘り下げを進めたところ、乱石積の井戸枠を確認しました。埋没の過程で、枠内に積石が崩落したもようです。
2区(後半調査区)の捨て場の掘り下げを開始しました。
土器・石器が多く出土しています。
掘り下げ後、写真撮影を行いました。
北側に焼土が確認されました。
遺構精査と並行して、平板による遺構配置図の作成に着手しました。
今週は、全国的な被害をもたらした大雨の影響で、調査時間が限られてしまいました。雨の上がった週末に、3区と4区の遺構の調査とその記録作業を行いました。
フラスコ状土坑の中に埋まった土を掘り出しています。このフラスコ状土坑は一度、南側が崩落した後、補修して再度使われていたことがわかりました。
フラスコ状土坑の近くで見つかった、中心部に焼土痕跡が認められる土坑です。中から土器片や石器がたくさん出土しました。
幅50cm、深さ60cm程度の土坑を埋めた土の中から、緑色凝灰岩製の小さな磨製石斧が発見されました。ほかにもいくつかの土器片が、埋め土の中から見つかっています。この土坑を埋める際、埋め土の中に、これらの遺物が混入したものと考えられます。
今週も悪天候の合間にST71竪穴住居の調査を進めました。
北壁と南壁に棟持柱状の立派な柱が立っていたことが分かりました。
南東隅です。右端は南東隅柱、残り2本は壁柱穴の跡です。
床面には、昔の人が掘り下げた時の鋤の跡が残っていました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research