1区北側の川跡から木製の鍬が出土しました。
一部欠けてはいますが、全体の形がわかる資料です。
同じ川跡から長頸瓶が出土しました。
近辺で同じ個体と思われる破片も出土しており、接合が楽しみです。
1区の竪穴住居の柱穴から、柱が原型を留めた状態で出土しました。
床面から1mほどの深さまで打ち込まれていました。
土坑から弥生時代前期と考えられる遺物が出土しました。
遺物がどのように出土したのかを図化している様子です。
11区の防空壕跡を掘り下げました。
L字状になっています。手前が入り口です。
11区の南壁の西端です。
調査区の三方には元の地権者さんのお父様が積んだ土地境界の石組があり、南側の石組の下から古い大きな石組が見つかりました
丸い大きな川原石を並べ、角を打ち欠いて上に石がしっかり載るように加工されています。
この石組の向こう側(写真上方向)は三の丸の堀です。
いつの時代のものなのか、今後慎重に調査を進めます。
遺構検出面をさらに掘り下げた面から、竪穴住居跡が見つかりました。
土師器の甕の破片など遺物が多く出土しています。
8×4間の母屋に、三面ないし四面廂が付く大型の掘立柱建物跡です。
内部は間仕切柱があり、6つの部屋で構成されています。
大型建物跡の背面に隣接する2×2間の建物跡です(写真手前)。
建物跡の写真撮影中、太陽の周りに虹色の輪が現れました。
「ハロ」と呼ばれる光学現象だそうです。
2区は地下水の湧出が多く、土が浮いてしまい人が入れる状態ではありませんでした。
そのため、再度重機を入れて表土を削っています。
重機で削ったあとは人力で土表面を綺麗に削りなおし、遺構があるか確認します。
1区の川跡から木製品が出土しました。
写真では確認できませんが、内側が削られており、端部が外に開いたU字形の断面をしています。
5区の風倒木跡の調査を行いました。
少しですが、土器が出土しています。
5区で発見された土坑を掘り下げています。
中には大きな石皿とみられる遺物が埋められていました。
12区を完掘しました。
奥の方に近世の土坑があり、陶磁器やかわらけの灯明皿が出土しました。
12区の記録作業です。
光波測量機で正確な位置を計測して図化します。
記録終了後に埋め戻しました。
残るは10区と11区です。
8/5から花笠まつりでした。
事務所の前を踊り手さんが集合場所に向かって歩いて行きました。
先週までの梅雨空から一転、真夏の空の下での作業となった一週間でした。
現場は連日かなりの高温となりました。
調査区はかつての馬見ヶ崎川の流路の中にあります。
堆積した砂の上に遺構があるためとても崩れやすく、土嚢で養生しながら調査を行っています。
先週抽出した掘立柱建物跡の写真を撮影しました。
この建物跡は長軸・短軸ともに2間(けん)と、八幡西遺跡では最も小さな建物です。
こちらの建物跡も全体は5×3間ですが、3間の母屋に二面廂(手前と奥)が付く構造です。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research