今週は調査最終週となりますので、遺物の回収を進めました。この場所からは大量の遺物が出土するためここまで掘り下がりました。
調査区全体に広がる河川跡の底面は、20cm程度の石の層になっています。その直上から遺物が多く出土することが多いようです。ここからは、かめの口縁が見つかりました。
後半の調査区もこれで終了です。前半とあわせて5か月続いた調査が終わりました。調査に協力いただいたすべての皆様に御礼申し上げます。
今週は調査最終週となりますので、遺物の回収を進めました。この場所からは大量の遺物が出土するためここまで掘り下がりました。
調査区全体に広がる河川跡の底面は、20cm程度の石の層になっています。その直上から遺物が多く出土することが多いようです。ここからは、かめの口縁が見つかりました。
後半の調査区もこれで終了です。前半とあわせて5か月続いた調査が終わりました。調査に協力いただいたすべての皆様に御礼申し上げます。
重機による表土の除去が終了しました。
表土を除去した後は、遺構を探すために地面をきれいに削っていきます。
土の堆積の様子を図面にとる研修を作業員の方に行っています。今後の記録作業にそなえます。
今週も7区南側の調査を主に行いました。江戸時代の面の調査はほぼ終了し、平安時代の遺構検出を始めました。
平安時代の竪穴住居跡です。住居の一部は江戸時代以降に壊されていたり、調査区外にひろがったりしていますが、残りは非常に良いようです。
8区南側も調査が終了して埋め戻し、新たに北側を掘削しました。来週から遺構検出作業を行います。
10月6日は豊烈神社の例大祭で、お神輿の巡行が実施されました。豊烈神社は水野家藩祖忠元を主祭神に祀る神社で、日本で三例しか残っていない古式打球で有名です。
今週も掘り下げを続けました。調査も終盤を迎え、大部分の遺物の取り上げを終えていますが、まだまだ遺物が出土します。
ドローンで空撮を実施しました。画面奥にみえる新しいS字の道路の範囲が前回、前々回の調査区です。この道路の続きが今回の調査区になります。
尾花沢市の原の内A遺跡の調査が始まりました。調査前に今後の計画や調査の進め方などを作業員の方に説明します。
調査区を設定した後、遺構が見える深さや、土層を確認するために調査区周縁をスコップを使い線掘りしていきます。
重機を使って、土置き場を整備します。水田の耕作土、床土、調査土を分けて置くための準備です。最初に耕作土を剝いで集めていきます。
近世の遺構検出面の調査もほぼ終了しました。
遺構を清掃して、近世の遺構検出面の完掘状況全景を撮影しました。
今回の調査区の大部分は、河川の中にあるため、遺物がかつての流れにそって直線的に出土する様子がみてとれます。
別の場所では川砂利の土層に挟まれて遺物が出土し、急流に押し流されたことがうかがえます。
水の流れで堆積した砂地の層からは、遺物の出土が少ないのでスコップで掘り下げます。この下には石の層があり、その上面には、流されてきた遺物が出土することがあります。
今週も区画ごとの掘り下げを行いました。後半の調査区は、ほぼ全体が川の中にあるようで、住居跡などはありませんが、流されてきた遺物が出てきます。
掘り下げを進めると、川の跡がはっきりと出てきました。川から外れた場所にはいくつかの柱穴のような遺構が確認できます。
地域の小学生を中心に、体験発掘を実施しました。皆さん丁寧に遺物を掘り出してくれました。
今週も7区南側の調査を行いました。
主に近世の遺構を掘り下げ、並行して記録してます。
江戸時代の洗い場でしょうか。低い石組で、床面も石が組まれていました。
深い穴で、壁面に板材を立て4か所に杭を打って固定していた穴蔵のような遺構が発見されました。出土したのは近世の遺物ばかりなので、近世のものであると考えられます。
先週から掘り下げを進めた石組遺構を完掘しました。がっちりと壁面に石組が施されています。深さも70cmほどあり、床面が突き固められており、水場ではないと思われます。地下の貯蔵施設なのでしょうか?近現代の遺物が出土したことから近年まで使われていたようです。