11区の調査風景です。南東から北西方向(写真では左下から右上)の溝と、その溝の上にある層の土には、ほかの土よりも砂が多く含まれています。
12区(市道)の調査は、6月8日から6月22日まで行いました。道路と並行している大きな石の列と杭の列が検出されました。
6月19日(木)午後2時から現地で、発掘調査説明会を開催しました。
関係者の皆様、地域住民の皆様にご参加いただきました。ありがとうございました。
新しい調査区の全景です。上が東、下が西になります。東から西に向かって傾斜しているのがわかります。三の丸の堀跡かもしれません。
調査区の中央に30cm大の石が連なって出現しました。中からは、江戸時代のものと思われる陶磁器、石鉢、瓦、古銭などが出てきました。
埋甕の出土状況です。出土品は100箱を超えました。興味深い遺物が次々出土します。
竪穴住居内の複式炉の石組みが見えます。焼土も検出されました。今回の調査区には、縄文時代の集落があったと思われます。
土坑を掘り上げた状況です。底から二本の折れた石棒が出土しました。
調査もあと残すところ2週間となり、いよいよ一番奥(3区)の精査に入りました。今週は雨にたたられ、ブルーシートの上にも下にもだいぶ雨水が溜まっています。
3区からは規模や向きの違う溝跡が多数見つかりました。これは比較的深くて短い溝跡で、平安時代の須恵器の破片が出土しています。
今回の調査では、初めて発掘に参加した作業員も多かったのですが、遺構掘りのコツがつかめてきたようです。
今週は、2区(真ん中の調査区)の遺構掘り下げを行いました。手前の1区では、パラソルの下で遺構平面図を作成しています。
1区の遺構の平面図を作成しているところです。調査区に水糸で方眼を作って計測し、方眼紙の上に遺構の平面形を写し取っていきます。
H1トレンチで竪穴住居跡が検出されました。この写真は炉跡の検出状況で、焼土も確認されました。
炉の埋設土器の検出状況です。この土器内に炭を入れたり、火種を保存しました。中にたまった灰を利用してドングリなどのあく抜きをしました。
「台付き鉢」の台の部分が出土しました。台の上の部分も復元できるか楽しみです。
今年度の調査の中心である山形城三の丸の堀跡が確認できなかったため、調査の範囲を東側に移すことにしました。いままでの調査区の埋め戻しをしています。
5月28日から11区の調査を行なっています。調査区の南東から北西方向に溝跡が、南西部に黒色の土があります。
11区の黒色の土からは、多くの遺物が出土しています。一方、茶色(褐色)の土からは、ほとんど遺物が出土しません。
堀跡の西側の立ち上がりを調べるために、6月8日から、道路の下を発掘しています。山形市や山形警察署に所定の届け出をして、市道を通行止めにする許可を得た上で行なっています。
12区(市道部分)を掘り下げたところ、南北方向に並んでいる大きな石の列が検出されました。堀に関連するものなのか、調査を進めます。
作野遺跡の発掘調査が6月9日より始まりました。今回の調査は、徳内・シーボルトラインの道路工事に伴って行われます。調査区の両隣りは、山形で今が旬の、サクランボの畑です。このサクランボのように調査成果に大きな実りがあれば嬉しいです。
初めに重機で表土を剥ぎ取り、縄文時代(約3,000年前)の地層まで掘り下げていきます。今は平坦な土地でも、縄文時代はかなり山あり谷ありの地形だったようです。
縄文土器の破片が数多く出土する中、形状を一部とどめた遺物も何点か出土しています。
石皿と思われる遺物が出土しました。
面整理をていねいに削ると、黒い部分の遺構が姿をあらわします。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research