柱穴と考えられる小さな遺構から青磁の碗が出土しました。碗の底の部分だけが丸く打ち欠かれていました。
D区の東端で幅2mほどの溝が見つかりました。現在の地形でも大きな段差のある部分にあたり、上の寺遺跡の大きな区画施設として機能していたと考えられます。
D区上段部分の調査が終了しました。写真右下が上の写真の溝です
今週は中山町内小学生と寒河江市内小学生の体験発掘が行われました。短い間でしたが炎天下の中、皆さん発掘調査を楽しんでいました。
調査区の北側から、古墳時代前期の小型壺などがまとまって見つかりました。この写真は掘り出しているところです。
丁寧に土を掘ったところ、17個の小型の土器が出てきました。儀式のようなことをして埋めたのでしょうか。
鎌倉時代頃の擂鉢(すりばち)です。2mほどの大きな土坑から石と一緒に出土しました。
土坑の一部は赤く焼け、石の下には炭を含む層が堆積していました。
以前出土した青白磁梅瓶(せいはくめいぴん)と同じものと思われる破片が出土しました。
鎌倉時代頃のものです。
D区の一番広い平場の掘り下げが終了しました。
溝や柱の跡などが見つかりました。遺物は上の写真のような鎌倉時代の遺物が少量出土しています。
中世の慈恩寺に関する何らかの活動があったことは確かなようです。
調査区中央を横断する川跡(SD1)を掘り上げた状況です。中央の土層の断面では粘土層と砂層が交互に堆積しており、平安時代以降自然に埋まったと考えられます。
古墳時代上面の調査も終盤を迎え、調査区の北側の遺構を調査していますが、遺構の形状がわかりにくく、苦労しています。写真では四角形の黒いシミが見られますが、竪穴住居跡の可能性があり、慎重に調査を進めています。
D区の下段の平場の遺構がほぼ掘り上がりました。柱穴と考えられる遺構が多く見つかっています。
慈恩寺の北東にある箕輪という集落に続く道です。「箕輪道(みのわみち)」と呼ばれています。
調査事務所から調査区まではこの道を数分かけて歩いていきます。
今回の調査原因となった農道は、この箕輪道にほぼ沿った形で建設されます。
調査区中央を横断する河川跡(SG1)です。手前の川幅は狭く、底面はV字形となっていますが、須川に向かって川幅が広がっています。
古墳時代の住居跡(ST3)の土坑内から、高坏が出土しました。
先週お伝えした掘立柱建物の柱穴かと思われる遺構の断面の様子です。
中央の石の右側から近世以降の陶磁器が出土しています。
見つかった遺構を図面に記録します。
デジタルカメラとトータルステーション(角度と距離を測る測量機械)を併用して図面を作成します。
雨上がりに何度目かの草刈りをしました。
写真奥のこの部分は保存されることになりました。土塁に囲まれた範囲が上の寺遺跡の中心部と考えられています。
古墳時代前期の住居跡(ST5)の床面から、土器がまとまって出土しました。
古墳時代の住居跡(ST5)から出土した土器の状態や内部の施設を、図面に記録しているところです。
D区の遺構を探す作業が終わりました。
柱の跡と考えられる小さな穴や、溝などが見つかりました。
色を塗った部分は、以前お伝えした整然と並ぶ遺構です。古い建物の跡か?と期待して掘り下げを始めましたが…。
遺構の掘り下げを始めました。
建物跡か、と期待した遺構からは近代の陶磁器が出土し、今のところあまり古い時代のものではないことがわかりました。
同じD区の一段高い平場の様子です。畑の畝(うね)と考えられる溝が多く見つかっています。
写真左には、最近まで使われていた道路の側溝が見えます。
調査区中央を横断する溝跡(SD1)の土層断面を実測しているところです。粘質土と砂質の層が交互に凹レンズ状に堆積しています。
古墳時代の住居跡(ST5)を調掘り下げているところです。手前の床面から土器がまとまって出土しています。また奥の床面では炭が広がっています。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research