
5区大溝の上層から、擂鉢、瓦、宋銭が出土しました。
しかし、これがこの溝の年代決定の決め手になるかは今後詳しく調べます。

5区大溝の掘り下げ作業です。

5区大溝の上層から、擂鉢、瓦、宋銭が出土しました。
しかし、これがこの溝の年代決定の決め手になるかは今後詳しく調べます。

5区大溝の掘り下げ作業です。

清水8遺跡西側の溝の断面です。
ベルトを残しながら、写真撮影用に掃除をしていきます。

掃除後の溝です。
きれいになって写真映えがしますね。

今週から清水8遺跡の南側の埋戻しが行われます。
この後道路を付け替えて現在の市道の下を調査します。

月曜日には、東北学院大学の谷口教授の引率のもと、
中国の重慶師範大学の楊華教授と蒋剛教授と大学院生2名が、本遺跡の発掘調査の見学にいらっしゃいました。
日本と中国の発掘調査の仕方の違いについて、とても興味深く見学されていました。

トータルステーションという測量機械を用いて、検出した遺構の輪郭を測量しました。

南側の斜面にあたる3区の2層を掘り下げました。
北隣の4区と同様に、3区でもたくさんの遺物が出土しました。

3区からは、本調査4体目となる土偶が出土しました。
やや小ぶりの土偶です。

L-2区の全景写真です。ここもまもなく調査が終了します。
次は、新しい調査区(N区とB区)の調査が始まります。

先週も紹介しました、K-2区の石組み遺構の完掘状況です。
いよいよK-2区の調査も終了です。

9月から調査を行うB区の様子です。

3区の遺構検出作業です。
奥の鉄筋コンクリートの建物が建っていた所は、3mほど掘削されていました。
2mも掘ると、河原のようにガラガラと大小の石が出てきます。

5区で検出した南北方向の溝の断面です。
堀ではなく、区画の溝だと思われます。

その溝を埋めるときに、このような大きな石も一緒に埋められていました。
6人がかりで引っ張りだしました。

18日と19日には、仙台の東北学院大学文学部歴史学科の佐川正敏教授の指導のもと、
本遺跡で学生さんの考古学実習が行われました。
暑い中での実習でしたが、土の中から出てきた遺物をみて、興味津々の様子でした。

今週は、3区の北側と4区の面整理を行いました。
調査区の標高が高い部分に、土坑や焼土などの遺構が多いことがわかりました。

4区から縄文時代中期の土器が出土しました。

4区では、縄文時代早期の尖底土器の底部が出土しました。
底が尖った土器で、地面に突き刺すようにして使われたと考えられています。

規則正しく並んだ遺構が見つかりました。
柱の跡と考えられます。

今週はラジコンヘリで空中からの写真撮影を行いました。

空中からの撮影で新たなことが判明することもあります

K-2区の石組み遺構は、3段目・4段目と精査を進めています。
中には直径50cmを超える大きな石もあるので、たいへんな作業です。

石組み遺構4段目の状況です。
石組みの内側に一辺約120cmの正方形の木組みがあったようです。
四隅の柱の跡がはっきりと確認できます。

木組みに使われていた木材の一部が、腐らずに残っているのが見つかりました。
この遺構の年代や性格を知る手がかりになるでしょうか?

4区の西側には、大量の土器片や石器が分布していました。
先週、遺物の取り上げを行った後、今週はさらにその範囲を掘り下げました。
掘り下げたところ、遺物がさらに出土しました。

4区の南東部を掘り下げたところ、袋状土製品が出土しました。
本調査では、2点目の出土になります。

4区の南東部、袋状土製品が出土したところの近くで、土偶の足の部分が出土しました。

出土した土偶の足の部分を洗ってみると、表面に精緻な文様が施されていることがわかりまました。
元の大きさを考えると、かなり大きな土偶であった可能性があります。
今後の調査で、残りの部分が発見されることが期待されます。

4区の南東部の黒色土が拡がる範囲に、
地層の状態を調べるために、細長いサブトレンチを設けました。

サブトレンチの南側では、少なくとも3個の土器がその場所で潰れた状態で出土しました。
黒色土が拡がる範囲に、住居などの遺構がある可能性が考えられます。

写真撮影のために、地面を削ってきれいにしています。
土の色がよく出ているのがお分かり頂けるでしょうか。

写真撮影の前にタワーを立てています。

遺跡の範囲は南側にも広がっています。
草がものすごく繁茂しているので汗だくになりながら草刈りを行います。